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超合理主義の時代を生きる、満足しない若者たちへ。

マーケティングではこの現象を
「断片化」と言うのです。

探しても探しても
満足しない時代。

暇な時間でさえ
忙しく探し回って、
疲れてしまう。

SNSを、次から次へと見る。
面白い動画を、Youtubeを
探し続ける。

まだまだ探す気ですか。
それより僕と踊りませんか。
夢の中へ 夢の中へ 
行ってみたいと思いませんか。

「夢の中へ」井上陽水


9月13日の日経新聞(朝刊)に
載っていました。

今や歌でさえ
「(良い歌を)せわしなく探し続ける」
時代だから
前奏が長いとスキップされるそうです。

例に出ていたのが
1997年の「CAN YOU CELEBRATE?」

そう言われて聞くと
確かに前奏が長い、気もします。(29秒)

比べて
断片化の時代の特徴として
例に挙げられていたのが
「夜に駆ける」と

「M八七」

「新時代」

これら3曲すべて
前奏がなく、
いきなり歌に入ります。

前奏飽き、を
排除しているんですね。
戦略か、偶然か。

いい歌だとは
思っていますがね。


マーケティングの授業で
留学生に言いました。

昔、私が子どもの頃、
ドラえもんを見ました。
金曜日夕方8時から、だったかな。

30分、面白かった。満足。終わり。

次は1週間、待つんです。

今、私の子どもは
ドラゴンボールが好きです。
Amazon primeで見るので
たくさん、見ることができます。

テレビは1日1時間までに
していますが
毎日時間ギリギリまで見たら
すぐ終わってしまいます。

だから探します。

ドラゴンボールの前は
呪術廻戦を見ていました。
その前は、鬼滅の刃。

面白いものを、探し続けるの。

忙しいですね。
心が忙しい。

暇なときでさえ、次!次って
探し続ける。
止められない。



休憩時間に教室へ行っても
静かなのは、もう慣れました。

母国語でも交流しないで
ひたすらスマホを見ている学生たち。

友達と話しているのは
数人なので、
目立ってしまいます。


コロナの影響もあって
あえて静かにしているのでしょうか。

私も年を取ったな、と思います。
自称26歳ですけどね。


数年前は
休憩時間が騒がしかった。
あの頃が懐かしい。


授業開始にも
私語が尾を引いてしまうので
「静かにして!」ということばを
学生たちの母語で
何か国語か、覚えたくらいです。


今の学生たちは
ちょっとお葬式みたいに
感じてしまいます。
静かすぎる。

スマホが手放せないで
友達も作らない。
帰りは交流しながら、じゃなくて
当然のように個々に帰る。

授業が終わったとたんに
スマホを取り出して
歩きスマホで階段を
降りているから
注意することも日常になりました。


なんでそんなに忙しく
スマホを見ているんだろう。


こんなに情報化して
無料で何でもできるように
なった時代。

たやすく中毒のように
依存してしまうこの流れに
強い意志の力で
逆らえる若者は
少数なのかもしれません。


新聞にはこう載っていました。

録画の授業は
1.5倍速で見る。

教授の話は内容が薄くて
面白くないから
眠くなってしまう。


ねえ、余白を全てカットして
全てを頭に入れることが
本当に出来るの?

私たちはYoutuberのように
面白おかしく重要点だけを詰め込んだ
授業をしなければならないの?

生身の人間が教えるより
コンテンツに教えてもらいたいですか。
AIの教授の方が
「むだ」なく教えられるかしら。


知ってる?


「ポストモダン」という考え方では、
余白を取り去って
合理性だけを突き詰めると
人間はストレスが溜まり
息が詰まってしまうと
考えるんですよ。


神より人間、
宗教より科学、
美より便利を追究した
モダンの時代は1945年まで。
もう終わったの。


極力「むだ」を排除して
人より一歩でも先に
何かに到達しようとして、
余暇も忙しく何かを
探し続けている。


成長下での経済や社会環境に
否応なく及ぼされた影響は
ぬぐい切れないところが
あるのでしょうが、


そうやって、その習慣で
人生100年時代を
張り詰めた神経のまま
幸せに生きながらえることが
本当に出来ると、思っているの?

習慣ってね、
なかなか変えられないんですよ。
年を取ってから変えようと思っても
それはとても難しい、ことなんです。





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