見出し画像

ちょっとした、寂しく感じたこと

特に言葉にすることもなく、
時間の経過とともに薄れていったけれど、

同じような体験をするたびに
寂しさを感じていたことがある。

つい最近もまた同じような体験をして、
やっぱり寂しいもんだよな、と気付いたから、
今回は言葉にしてこの気持ちを表に出してみようと思う。


自分の知り合いが発信している情報が、
話題になったり評価されたりしている場面で、

その知り合いにとっての、
その情報源が私だった時、

何かしらの感謝の気持ちを伝えてもらえたら
とても嬉しく思う。

けれど、その場面は多くはなくて、
ほとんどの場合は特に何の連絡もない。


私自身が人との繋がりに対して、
おそらく非常に敏感で感度が高いため、
細やかに配慮することを怠らない。

そしてそれが私の特性であり、強みでもあるから、
みんなにできることでないことも知っている。

情報源になった人には一番に感謝を伝えるし、
公に発信することがあった場合には特に、
情報源になった人へのリスペクトを添えることは忘れない。

別に公に伝える必要はないかもしれないけれど、
そうして悪い気がする人が少ないことも知っているからだ。


だから私も同じようにしてほしい、
ということではないけれど、
(そうなのかもしれないけれど)

ありがとうの一言もなく、
ただただそちらで盛り上がっているのは、

なんとも寂しい気持ちになるんだよなぁ。


まぁもちろんね、
どうでもいい小さなことかもしれないのよ。

気にならない人も多いと思うしね、
気になってしまう私の心が小さいことも知ってる。


でもね、寂しいのよ。
バッサリ置いていかれた気持ちになっちゃう。

華々しい舞台に上がってスポットライトを浴びている
その人の華やかさは、

私の情報がなかったらそうはならなかったのにって。

なんか思っちゃうんだよね。

ここまで書いてとても惨めな気持ちにもなっているんだけど。。。


ありがとうって、その一言をメッセージしてくれたら
もうそれだけで温かい気持ちになれるのに。

私からの情報はなかったかのように、
無視されるという感覚が寂しいのかもしれないね。

私はいなかったことにされている、
何ならちょっとバカにされている、

そんな感覚だろうか。


自分が舞台の真ん中に立ってスポットライトを浴びる、
そんなことが少ないから、羨ましいのかもしれないね。

自分がそうなりたい、その気持ちの裏返し。


自分が得意な役回りもあるし、
でも真逆を望む気持ちも同時にある。

そのどちらが正解とか、そういうことでなく、
どちらも望み、どちらにもなれる、

そんな自分のポテンシャルがあることを
自分自身が認めてあげたいなと。


望めばいつだって、
舞台の真ん中でスポットライトを浴びるという
選択を私がすることもできる。

それを自分に許してあげたいと、
私自身が願っているのだろう。


まずは自分の中にその気持ちがあることに、
ちゃんと目を向けてあげよう。

そうかそうか、
真ん中でスポットライトを浴びたいんだね、
そんな気持ちが自分の中にあるんだよね。

その気持ちを、
それが自分の中にあることを、
目を逸らさずにちゃんと見てあげて
聴いてあげること。


それをずっとしてきてあげなかったからこそ、
拗ねて寂しさを感じていたのかもしれないね。

だったらそこから始めてみよう。


ひとつひとつしか、できないんだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?