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「いそがしい」は幸せ?

「忙しい」ということばを自分で言うのはあまり好きではないのですが、
最近私は「忙しい」です。
周りの人と比べてどうとかではなく、私の21年間を振り返っても、今がいちばん忙しいと思う。

さて、
「忙」という漢字は、「心を亡くす」と書く
という話を聞いたことがあります。

最近、私その状態に陥りかけました。
やらなければいけないことがたまりにたまって、
だんだんとしんどくなってしまった。
今日を終えるのが精一杯で、一週間後なんて何も見えないし、考えたくもない。なんなら明日何をすべきなのかも考えたくない。
人に気を遣うことがまったくできなくなるくらいには心に余裕がなかったし、人の悪いところばかりが目についてどんどんと心が真っ黒くなっていった。
心が「豊か」な状態からどんどん遠のいている感覚でした。

私は、今まであまり「忙しい」状態になることがありませんでした。
中学高校と美術部だった私は、朝早くから夜遅くまで、休日もみっちりと練習に励む運動部の友人を「大変だなあ」と思いながらわりとのんびりと過ごしていた気がします。ちょっと忙しくなるのは作品の提出間際くらいかな。
当時、暇がなさそうな運動部がうらやましかった。
私が暇してる間みんなキラキラと汗を流しているんだなあと。
変な話かもしれないけど、「忙しい」への憧れがあった。

そのうちに、「忙しさ」=「充実」と考えるようになっていました。
中高時代の暇へのトラウマのようなものかもしれません。
忙しくありたい。だから将来もバリバリにはたらいてやるぞ、忙しい大人になるぞと思っていました。

でも、「心を亡くす」状態に陥りかけたとき、この考えを改めたほうがいいのかもしれないと思いました。
このままでいたら私のこころはどんどんと黒く黒くなってしまうのではないか。人間味を失ってしまうのではないか。そしたら充実どころではないじゃんか。ああ、「ゆるーくのんびり生きたいな。」って言っていた知り合いのおじさまの気持ちがわかるかもしれない。

ただ、そんなことを言っても、目の前にある自分のやるべきことは突然消えてなくなったりはしません。いったん、冷静に向き合ってみるか、と思いました。
向き合ってみたら、あれれ?

自分が今抱えているもの、ぜーんぶ自分で選んだものじゃん。
やらされてるものなんてひとつもなかったわ。

やらされている感のものもあるけど、もとをたどってたどってたどっていけば、その環境に身を置くことを選んだのは自分だし。
というか、抱えているものの大半は私がやりたくてやってるものばっかだ。
やりたいものだけど、大変なものもあるから、苦しく感じることもあるだけなんだ。

大学生になっても、正直そんなに忙しいと思うことはありませんでした。
それなりに授業を受けて、それなりにバイトをして、それなりに遊んで。まあ毎日楽しく過ごしていました。
「ああ、なんか、結局中高のときと変わらないじゃんか」、とも思ったり。
何にもしてないな、と思う焦りもあったかもしれません。
自分のやりたいことや将来と向き合うようになりました。なんとなく、自分のやりたいことが見えてきて、ちょっとずつ挑戦をし始めていました。それゆえの忙しさだったのです。

やりたいことを両手に抱えるほどやらせてもらえてるって幸せじゃん!!!
そう思えたら心が余裕でいっぱいになった!おかえり!自分!

これに気づけた私、こう思えるようになった私、今、かなり最強状態です。

これに気づいた瞬間、たまったタスクをこなしていくことにもはやワクワクしてきた。ちょっとこれは自分でもさすがにおかしいと思ったけど。

やっぱり「忙しい」って幸せだと思う。いや、この漢字はじゃないな。
「いそがしい」って幸せだと思う。

もちろん「いそがしい」が正義ではないし、無理は禁物。体を壊してしまえば「いそがしい」が幸せなんて言ってられないしね。
さあ、美味しいもの食べよ~っと。

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