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葉室麟さんの鎌倉時代小説

 2017年に惜しまれつつこの世を去った葉室麟さんは、50歳から創作を始め、66歳で亡くなるまでの12年の間に大量の作品群を残しています。

 2005年『乾山晩愁』 第29回歴史文学賞受賞。
 2007年 『銀漢の賦』 第14回松本清張賞受賞。
 2012年 『蜩ノ記』 第146回直木三十五賞受賞。
 2016年『鬼神の如く 黒田叛臣伝』 第20回司馬遼太郎賞受賞。

 ググっただけでもこれだけの賞を受けているし、そのほか様々な賞の候補になった作品も数知れません。
 『蜩ノ記』『散り椿』は映画化もしています。

 たった12年の間に。

 私が葉室さんを知ったのは、ちょうど『散り椿』が岡田准一さん主演で映画化されることが話題になったときでした。友人から「原作の葉室さん、私好きなんだけど、亡くなったんだよね」と聞きました。

 作者が亡くなったときに作者を知る、ということは、ままあることです。

 知ったときには、亡くなったすぐ後ということもあって、本屋さんには相当量の文庫本がズラリと並んでいて、なんとなくどれから読んでいいか決めかね、エッセイなどの軽いものをぽつりぽつりと読んでみました。

 葉室さんはエッセイや解説もよいのです。優しくまっすぐな人柄が出ている気がします。縁のある時というものは重なるもので、ちょうど友人と『散り椿』の話をした後、新潮文庫の注釈付文字拡大版で、没後50周年を記念して山本周五郎の『さぶ』が出ていたので購入し、読み返したところ解説が葉室さんでした。一篇の短編のような解説でした。

 葉室さんは主に江戸時代を舞台に作品を描いたようですが、実は『実朝の首』という作品を書いています。

 室町時代の作品は、葉室さんの遺作となった楠木正成を描いた未完の『星と龍』がありますが、おそらく舞台が鎌倉時代というのは、葉室さんの作品の中でもそうないだろうと思います。
 他にご存じのかたがいたら、ぜひ教えていただきたいと思います。

 最近のアルゴリズムはまるで「引き寄せの法則」のごとしですね。鎌倉鎌倉と言っていると、鎌倉が集まってきます。
『実朝の首』もそれで出てきた本でした。

 こちらは、鎌倉八幡宮での実朝暗殺から承久の乱までを描いた作品です。

 史実では、実朝を襲った公暁は、その後肌身離さず首を持ち歩いていたものの、三浦の屋敷に向かったところ、三浦の家臣によって討たれました。首はその時追討に加わった武常晴によって持ち去られ、秦野に葬られたとされています。

 三浦の家臣である武常晴がなぜ持ち去ったのか、三浦と関係が悪かったとされる波多野氏になぜ供養を申し出たのか、今でも謎とされている歴史ミステリーのひとつです。

 そのミステリーにメスを入れ、葉室さんなりのイメージを膨らませたのが本作『実朝の首』。
 ものすごく生々しく率直ストレートなタイトルです。

 中身には触れないでおきます。

 この作品は葉室さんの作家活動の中でもかなり初期に位置する作品です。
 承久の乱に関する記述が簡単すぎるとの評もあるそうですが、この話はそこを描くのが目的ではなかった、と思うのです。謎をめぐって極上のエンターテインメントであることは間違いありません。

 作者、葉室さんの思いは「文庫版あとがき」にはっきりしていると思います。

 興味深いのは、この時代、源実朝と後鳥羽上皇というともに才能あふれた人物が東西の権力者の地位にいたことだ。さらに
 ―――女人入眼じゅげん
 と言われたほど、北条政子、卿の局ら女性が政治に力を振るっていた。鎌倉幕府はなぜ、公家、親王を将軍として抱き続けたのだろうか。

『実朝の首』文庫版あとがきより
文中の「女人入眼」は、『愚管抄』を書いた慈円が政子の権勢を「女人入眼の日本国」と評した
ことから。本文とは無関係ですが永井紗耶子『女人入眼』は2022年直木賞候補になっています。

 この時代は魅力的な人間が多彩であり、かつ不思議なことが多い。
 その謎の中心にいるのが、実は失われた「実朝の首」なのではないか。
 実朝には予知能力があった、と思わせる記述が「吾妻鏡」にしばしば出て来る。たとえ首になったとしても、実朝にはすべてが見えていたのではないだろうか。

『実朝の首』文庫版あとがきより

  上の記述にもあるように、この物語の面白さは「北条義時」VS「後鳥羽上皇」ではなく、「源実朝(の首)」VS「後鳥羽上皇」であることです。
 歴史の中では時に「公家に心酔し武家を疎かにした夢見がちな悲劇の将軍」と扱われがちな実朝を、血肉の通った人間として描いていると感じました。

 血で血を洗う抗争の後には、残党が残ります。歴史の中からは零れ落ちて、すぐに見えなくなってしまう人々です
 葉室さんはそこにも丁寧にスポットライトを当てていきます。

 葉室さんの文体は、現代的すぎないところがいい、と思います。台詞はそのあたりのさじ加減が絶妙だし、上皇の描写にはとことん敬語が用いられています。古き良き時代の香りを残しつつ、群像の言動が意外なほど現代的だったりするのです。それがまたいい。

 また、この物語で、“皇室の文様が「菊」になった理由が、後鳥羽上皇が菊がことのほか好きだったから~(チコちゃん風)”ということを知りました。そうだったのか。やっぱり時代物を読むと、何かしら物知りになって賢くなったような気になります。

***

 さて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も抗争が激化していくところです。
 先週の鎌倉殿は、その波乱の幕開けの、小休止と嵐の前の静けさ、というところだったでしょうか。

 さすがに善児が景時を、ということはなかったようですが、三郎(宗時)を殺害したのが善児であると義時にバレるかバレないか、というのが「天運」というのであれば、善児には天運があったということなのでしょうか。

 二代目善児「トウ」が出てきたときは、あ、範頼殺害現場にいたあの女の子かなと思ったのですが…

 当時の善児のような間諜を「御使雑色おんしぞうしき」といい、『実朝の首』にも安達新三郎として登場しています。

 安達新三郎は安達清経ともいい、安達盛長などの安達氏とは直接の関係がないようですが、頼朝が取り立てた御使雑色で、伝令として義経の動向を逐一報告していたり、静御前の子供を由比ヶ浜に遺棄したのはこの新三郎だったと言われているそうです。
 おそらく善児のモデルなのでしょう。

 また、阿野全成あのぜんじょうは、今回の「鎌倉殿」では人のいい優しい人に描かれていますが、「平治物語」などでは「悪禅師」と呼ばれるなど、あまりいいように描かれたことの無い人だと思います。謀反をたくらんだとして頼家から配流され、八田知家に殺害されています。
 
 先週の回は「コメディの終わり」のような回だったような気がします。

 「おなごはキノコが好き」は無理やり感ありましたし、義時の妻の姫の前が突然「離縁しない起請文」を出してくるのはちょっとこじつけっぽかったですが(史実では義時が姫の前に熱烈にラブレターを送りまくってアピールしたので、頼朝が絶対離縁しないという起請文を書かせたそうです)。

 これまでもところどころ、阿波局と全成夫婦や、三浦義澄(三浦義村のお父さん)と北条時政は若いころからの知古としてコミカルな場面が多かった印象です。

 時政の相棒とも言える三浦義澄の死の場面は、コメディアンとして名高い佐藤B作の名に恥じぬように(?)コミカルに描かれていましたが、そこには子の三浦義村と甥の和田義盛がいました。
 和田家はもともと三浦から派生した家なので、義村と義盛はいとこ同士です。この場にいた三人の運命が、この先どんどん変わっていきます。

 頼家が失脚し、実朝が将軍となり、この『実朝の首』の物語のところに来るまでわずかな時しかありませんが、それまでにあった出来事は、語り尽くせぬほどの悲惨…

 

 












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