記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

movie 1.5 その後のリンポチェと僧侶

 『輪廻の少年』の記事を書いた折、ネタバレを恐れてその後ふたりがどうなったのかについて書きませんでした。結末を知りたい、とコメントくださった方もおり、いろいろ、YouTubeやその他調べてみましたが、やはり「アジアンドキュメンタリーズ」は入会しないと簡単に観られないようでしたので、結末を書いておくことにします。
 ネタバレを避けたいと思われている方はご注意ください。

 ***

 その旅の旅費は、リンポチェのお世話役である僧侶が必死に貯めたものでした。

 僧侶は医師でした。しかし決して裕福ではなく、小さな家にひとりで住んでいました。年齢はわかりませんが、若くはありません。彼の独白によると「高学歴でもないし、最新の医療を施すこともできない」医師だとのことでした。往診して患者の話を聞き、多少まじないがかった伝統的な診察をします。

 少しずつお金を蓄えていましたが、村での収入だけではとてもチベットに向かうほどの旅費は貯められず、彼は、近隣の集落を回って収入を得ることを思いつきます。

 バスに乗って、4、5日留守にします。リンポチェはその間ひとりで僧侶の帰りを待つことになりました。バスで見送りに行くときに、寂しさのあまり泣き出してしまうリンポチェ。それをなだめながらの出発です。リンポチェを抱きしめ、泣いているリンポチェを置いていくのは心配だから、笑って見送ってくれと励ます僧侶。

 標高の高いところにある家は寒く、暖房が欠かせません。リンポチェは僧侶がいない間、見よう見まねで家事をし、日々の祈りを行います。ひとりで食事をし、掃除をし、古いストーブに薪を入れているうちに、火事寸前になったりもしました。僧侶がいない間に友達が遊びに来て、彼らにお茶を振舞ったりと大人げなふるまいをするのですが、僧侶が帰ってくるのをいまかいまかと待つ日々でした。

 リンポチェは学校で様々な教科を友達と一緒に学んでいました。英語も勉強していました。忘れ物をして、校長先生の電話を借りて僧侶に電話し、届けてもらったりするなど案外ちゃっかりしているところもありました。僧侶は嫌な顔もせず彼に教科書を届け、しっかり勉強するのだよと励まします。

 休みの時間に友達と遊ぶリンポチェの高らかな笑い声は、他の子供たちと比べても誰よりも透明です。本当に心から楽しそうな、鈴の音のようなその声は耳に残ります。

 物心ついて来たころに「お前は本当にリンポチェなのか。なぜ誰も迎えに来ない」などと言われることが増え、反抗期も迎えてリンポチェは荒れます。僧侶の言うことをきかず、勉強にも身が入りません。僧侶は地域の寺から僧侶を招き、勉強の面倒をみてもらうのですが、あまりはかばかしい効果が得られません。「迎えの当てがないリンポチェの面倒はみられない」と一度は入山を断られた寺に、もう一度かけあって、寺に置いてもらったりもしましたが、結局は「面倒をみることができない」と返されてしまいます。映画ではそこまで明かされませんでしたが、寒村の寺は経営が厳しいのかもしれません。

 もうこれ以上村で待つのは限界、と、ある程度お金が貯まったところで、彼らは旅に出たのです。

 旅に出る前、リンポチェは母にお別れを言いに行きます。彼の母親は、彼を身ごもったときの話をしてきかせ、リンポチェとして見送らなければならないけれど、母親としてこんなにつらいことは無いと泣きます。その涙を見て「なぜなくの」と言いながら少年も涙ながらに母と別れるのでした。

 インドの街はふたりとも不慣れでした。車や自転車や歩行者や牛など、ごった返す道を恐る恐る歩くふたり。心もとなくて、互いに身を寄せ合い歩きます。

 途中で同じ年頃の少年と出会うこともありました。彼らはバドミントンなどをして遊んでいるのですが、誘われてやってみてもリンポチェは初めてなのでできるはずもありません。やったことがないのかと言われ恥ずかしそうにするリンポチェ。それでも手を振って別れ、リンポチェと僧侶はまた道を急ぎます。

 標高はどんどん高くなり、次第に寒く、雪深くなっていきます。道なき道を、雪に足を取られながら一歩一歩進むふたり。次第に近づいてくるチベットの山々を見ながら「あれを越えれば」と必死に歩きます。

 私から見ると、まったくの軽装備で、あんな雪山を歩くなんてと正直恐ろしいと思うほどでした。伝統的な袈裟とジャンパーくらいしか身につけていないし、荷物はほとんどありません。雪山で立ち止まり、凍傷にならないようにリンポチェの靴と靴下を脱がせてかじかんだ指をさすってやる僧侶。「くさい」などと言いながら、それでも文句も言わずまた歩き出します。ふたりとも手袋すらつけていません。

 チベットの国境近くの、最後の村のところで、雑貨屋さんをみつけたふたり。もう疲労困憊で疲れ切っています。軒先の手袋をみつけ、買おうか、という僧侶。手袋はまるで洗濯物のように洗濯ばさみで外に吊ってありました。僧侶は手袋を一組買い求め、リンポチェに与えます。リンポチェは「お菓子も…」とどさくさに紛れて僧侶に言いますが「それはだめ」と言われてしまいます。お金はもう、底をつきかけているようでした。

 事情のありそうなふたりを見兼ねた雑貨屋のおばさんが、ふたりに「少しあたたまっていきなさい」と店に招き入れます。お茶(チャイ)をいただいて、心底あたたまった顔をするふたり。どこへ行くのかという雑貨屋のおばさんの問いに、この子はリンポチェで、迎えが来ないのでここまで旅をしてきたこと、これから国境に向かうことを話すと、おばさんは「リンポチェにお会いできるとはなんと光栄な」とリンポチェを敬います。

 この村が国境までの最後の村だが、国境は封鎖されている、通ることはできない、無理に通ろうとすると殺されてしまうかもしれない、お願いだから行かないでほしい、と彼女はリンポチェと僧侶に懇願します。
 せっかくここまできて、絶望的な表情をするふたり。しかし実際に、彼らは疲れ切っていました。

 その後映画では少し話が飛び、リンポチェは国境近くにできた寺に迎え入れられることになりました。国境は超えることができませんでしたが、そのためインド側に新しい寺院ができていたのです。

 リンポチェはそこで修行を積み、生まれ変わる前と同じ立派な高僧となるために、そこで学問と修行を修めるのです。行先が決まり、やっと心からほっとしたふたり。しかし僧侶は、いつまでもそこにいることはできません。

 帰る日がやってきました。

 寺の門を出る途中まで一緒に歩きながら、僧侶とリンポチェは、ちょっとでも泣き言を言ったらお互いに泣き出してしまうと分かっているように、軽口をたたきあって、最後の時間を過ごします。

 急に「雪合戦をして遊ぼう」と、僧侶が言います。そのとき、そこに雪はありませんでした。季節はもう春だったのでしょうか。

 「雪もないのに?」とリンポチェは驚きます。しかも、そんな風に遊んでいたのはほんの幼いころで、だいぶ大きくなってからはそんな遊びはしていませんでした。

 「前はそうやって遊んだじゃないか」といって、僧侶は雪を投げつける真似をします。リンポチェも、雪があるように雪玉を作り、僧侶に投げたり、ふたりは地面を転げるようにして遊びます。その時のリンポチェの声は、まるで本当に雪山で遊んでいるかのような、幼い日に帰ったような、鈴のような笑い声。

 僧侶はきっと、リンポチェのこの声を聞きたかったのでしょう。

 結局泣き出したリンポチェを、以前僧侶がバスに乗るのを渋って泣き出しなだめた時のように、抱きしめて慰める僧侶。笑顔で送ってくれと言います。ひょっとしたらもう、これが今生の別れになるかもしれない別れでした。
 
 気がすんだように、ふたりはその後颯爽と離れ、手を振ります。リンポチェと僧侶は、互いの姿が見えなくなるまで、手を振るのでした。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?