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のんびり鎌倉紀行  初日午後の部(一番/十番/九番/二番/三十番&鎌倉八幡宮)

 2022年6月某日。

 ランチを食べた後、九番「浄妙寺」を出て、午後の部スタート。
 いよいよ「明月院」に向けてGOです。


 しかし、午後の部最初は、まず二番「宝戒寺」を目指します。

 なぜ「宝戒寺」?

 詳しいことはわからないのですが(実はHPを見ても理由がよくわからないのですが)、4月から「宝戒寺」では、特別御朱印がある、という情報を得ていた空ちゃん。

  HPでは今年度となっていますが、おそらくは「鎌倉殿」つながりであろうと推察した空ちゃんと私。外国人観光客が解禁になったり、夏休みに入ったりしたらきっと混むだろうから、駅に向かう道すがらに寄り、もらっておいた方がいいんじゃないか、という話になりました。

 確かに、大河「鎌倉殿の13人」の影響はそこかしこにあり、タクシーなどにも「13人」のイラスト絵が描かれていたり、小町通りなどでも、そういったのぼりが立っていたりしました。

 浄妙寺を出て、鎌倉駅に向かい、歩き出します。

 周回2回目の今回は、ナビ子がいなくても、もう道がだいたいわかるようになっています。「三年前はこのあたりでナビ子がこっちに誘い込んだ」などという思い出話をしながら、てくてく駅へ。

 今現在のとんでもない暑さに比べ、まだ比較的過ごしやすい時期でしたが、日差しはきつく、なかなかの暑さ。

 「あの角のところじゃなかったっけ」

 を三度ほど繰り返し、目論見より遠かったことを実感しながら、「宝戒寺」到着。

欠かせない幟旗


手前に見えるのが萩
北條執權邸舊蹟きゅうせき碑(北条執権邸旧跡碑)
大正時代に建てられました

 ここはもともと北条義時が「小町邸」として建てた北条家の屋敷があった場所。
 北条一族はここで執権を執り行いました。
 北条家が滅亡してから、北条氏の霊を慰め鎮護国家を祈念するために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて建てたのがこの「宝戒寺」です。
 天台宗の「戒壇」といって、出家するために得度を授けることのできるお寺でもありました。

 到着して、参道を歩き始め、周囲を見回して「あれ?」と空ちゃん。

参道の両脇に萩が植えられています

「ここってさ、これって、萩、だよね」
「あ、そうだ。三年前、秋に来ようねって言ってたとこだ」
「うっわ。そうだった。また見そびれた!」

 そう。ここは別名「萩寺」と呼ばれる、萩の名所です。

 …秋に再訪の予感…。

 とはいえ、ここまで来たので境内に進みます。

 拝観料300円。
 開館時間は、夏時間と冬時間に分かれています。
 夏時間 4月〜9月 開門 9 : 30 閉門 16 : 30
 冬時間 10月〜3月 開門 9 : 30 閉門 16 : 00

 御朱印は、本堂に行ってからお願いします。

宝戒寺本堂


北条の家紋、三つ鱗がこんなところにも。
時政が江島神社に参拝した時に得た
龍神(蛇とも)の3つの鱗がもとだとか。
江島神社の御神紋も三つ鱗。
戦国時代の北条は、
血縁はないけれど、
執権政治の北条にあやかり
三つ鱗にしたそうな…


聖徳太子堂
聖德太子様は仏教を厚く保護し、また優れた工芸技能者の育成を図られたといわれ、これにちなみ諸職人の守護神として昔から信仰されています。(公式HPより)

 宝戒寺の裏手にはかつて東勝寺というお寺があったそうです。
 新田義貞が鎌倉を攻めた際、北条高時以下一族郎党870人あまりがこの寺に立てこもり、自害して火を放ちました。近くには高時が切腹したとされる「やぐら(鎌倉時代特有の墓所)」があるそうです。ちょっと色々怖いほうの噂があるとかないとか(そりゃあもう、ありそうですよね)。

 「鎌倉殿の13人」では色々これからなのですが、とにかく鎌倉と言う場所は「滅亡」の地でもあります。
 それこそ、比企、和田、といった有力御家人たちの一族が次々と滅んでいった地でもあり、いろいろな場所に、「滅亡の地」があります。

 つわものどもが夢のあと…

 そんな芭蕉の句が浮かんでしまいます。

 と、ちょびっと寒くなったところで、本堂にあがってお参りをしました。

 お参りをしてから、「明月院に行く前に、八幡宮にも寄って行かない?」という話に。
 閉館時間に近い方が、明月院が少しでも空くんじゃないかと言う予想を立ててみたのです。

「うん。あれ?でもそもそも、私たち、なんで宝戒寺に来たんだっけ…あっ!そうだ、ここの特別御朱印は、普通の御朱印とは別に買わなきゃいけないことを忘れるとこだった」

 あぶないあぶない。
 空ちゃんが思い出してくれなかったら、なんでわざわざ宝戒寺に寄ったのかわからなくなるところでした。

 特別御朱印は、紙の御朱印で、すでに書かれているものをいただく形でした。日付だけ、当日に入れてくれます。

 ああ、思い出して良かった。

こちらが特別御朱印。
こちらにも萩の花が。


 ちなみに、いつもの御朱印はこちらです。👇
 「宝戒寺」は鎌倉三十三観音霊場の寺院の中で唯一、准胝観音様をお祀りしています。准胝観音様は日本の天台宗系では「仏母」とされ(お釈迦様の母のことではなく)、沢山の仏を産み出す「母的な仏」という存在で、子宝・安産の守り仏だそうです。「仏母」として「観音様」としてはカウントしない宗派もあるそうです。
 准胝観音様は珍しい観音様で、像も少ないのだとか。
 ちなみにこちらは本堂での写真撮影は禁止です。


 というわけで、次は「明月院」、の前に「鶴岡八幡宮」です。

鶴岡八幡宮様に来るときは青空が多い

 相変わらずの賑わい。

 ミュージアムなど施設に拝観料はありますが、本殿にはありません。
 10月~3月:6時~21時
 4月~9月:5時~21時

 御朱印は今回の目的ではなかったので、すぐに本堂でお参りしました。

大銀杏のこどもの木。
しっかりしめ縄に護られています。
この狛犬さんは、昔は階段の上にいたとか。
今はマスクもしています。
 鳩印がいいかんじ。


 宝戒寺のトイレには、怖くて入れなかった私(←小心)。
 鶴岡八幡宮のトイレは修学旅行生も利用するので数も多く明るく広い。
 あちこちの場所にいくつかトイレがあるので、トイレ休憩にはオススメです。

 あ。念のために言っておきますが、宝戒寺のトイレは、別に普通のトイレです。入り口が少しわかりにくいですが。
 うっそうとした木々の下にあって少し暗かっただけです。
 八幡宮が近かったこともあり、そちらのトイレのほうが大きいかなと思ったのでちょっと我慢しました。笑

 鎌倉めぐりは、ところどころ、トイレ休憩の場所を押さえておいてもいいと思います。お寺にはたいていトイレがありますが、わかりにくかったり入りにくかったり、数が少なく行列してしまうというところもあるので。

 トイレを利用させてもらう場所では、必ずお参りをしましょう!(重要)

 さて、鶴岡八幡宮を出まして、「明月院」を目指します。

 バスにするか、電車にするか迷い、一応バス亭にも行ってみたのですが、道も渋滞しており、いつ来るかもわからなかったので、やはり電車で北鎌倉に行くことにしました。

 小町通りを通って、鎌倉駅へ。

 新陳代謝の激しい小町通りには、新しい店がいくつもできていました。

 電車に乗って、北鎌倉へ。
 そこから明月院までは、さほど遠くはありませんが、少し歩きます。

 近くなるにつれ、増えていく人。
 しかし、帰路の人も多いような気がします。

 見えて来る、紫陽花。

 門を入る前に、思わず写真を撮ってしまいました。

看板がイマドキです。

 紫陽花の時期だからか、受付がふたつに分かれていて、スムーズに中に入れました。

 本堂拝観500円、庭園拝観500円。
 9時00分開門~16時00分閉門

 こちらのうさぎと亀がまた可愛い。

亀さんは怪我をしているようです。
(観光客が触っているうちに壊れたのでしょうか)


この写真は、空ちゃんがかなり苦労して撮りました。
観光客が多くどうしても人が写り込んでしまうので、
根気強く待って、「いまだ!」というところで撮影。


このときはまだ「満開」ではなかったようです
明月院ブルー
少し淡い色合い


御朱印所も行列でした


庭園にある花菖蒲。
庭園も特別公開中でしたが、
今回は行きませんでした。


ほんのり


本堂と丸窓との位置関係はこんな感じ
やっぱり空ちゃん写真が上手いわ~
下の秋の丸窓もいいけれど、
紫陽花と菖蒲の季節も爽やか

 三十番「明月院」については、「鎌ほの」に詳しいので、どんなお寺か知りたい方は、こちらをどうぞ。

 というわけで、空とみらっちの「のんびり鎌倉紀行」、初日の終了です。

 帰りにお茶でも、と思っていたのですが、明月院が閉館時間ギリギリだったので、明月院を出たところではすでに力尽きておりました。

 次回はギラギラの太陽が暑い(であろう)7月の予定です。

***

 先週の鎌倉殿。

 黒幕なのか?と思っていた北条義時(小栗旬さん)が、一貫して「イイコ」な感じでちょっと肩透かしに思えましたが…

「燃え残っては困るのだ」

 頼朝を火葬する櫓を組む相談を八田知家とする義時。

 そうね。確かに、普通に、どうせならしっかりした櫓が欲しいよね。
 でもなんだか、不穏な台詞じゃあないですか?
 比企の娘である義時の妻も思わず聞き耳を立ててましたよ。

 金剛改め太郎が「頼朝様の着物は肩が汚れていたというから、馬から振り落とされたわけではなく、馬上で何事かが起きたのだ」というシーンでは、

「よくぞ見抜いた」

 まあ、そうだね。太郎偉いね。コナン少年みたいだね。義時もそう思っていたからそう言ったのだと思うけれど、そうなら「自分もそう思っている」と言うにとどめるのでは…

 鎌倉殿の話を一度は断った、と梶原景時に言いに行く嫡男頼家。
「それでいい、がっついていると思われるから」という梶原景時。

 ラストシーン、これから先は後家である政子の采配が左右する、と言った後、「私はもう鎌倉に必要がない男だ」と政子に言う義時。
「頼家を頼む」と政子に言わせたいがための「がっつかない」戦略にも思えます。

 なんともいえず良かったのが、比企能員(佐藤二郎さん)のがっつきのわかりやすさと、三浦義村(山本耕史さん)の相変わらずのクールぶり。口は禍の元、となっていく女性たちの攻防。
 三谷さんのキャラクターの妙が冴えます。

 そう思えばそう取れる、というようなことの連続で、結局あらゆることが義時の思い通りに事が進んでいく様子に、目が離せない週でした。

 来週も楽しみです。







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