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住みたい場所と住みやすい場所

 「住みたい街」「住みやすい街」ランキング、というのがあります。

 「住みたい街」は、住んだことのない憧れの街で、「住みやすい街」は実際に住んでみての実感を伴うもの、というイメージです。

 人によって住みたい、住みやすい条件は違うと思いますが、災害やコロナ禍などで人々の心境が変化してきて、次第に「住みやすい街」が「住みたい街」になってきているような気がします。
 リモートワークが盛んになって必ずしも都心にいなくてもよくなった人が、自然の豊かな地域に引っ越す例も増えていると聞きます。

 「住む場所」というのは、とても重要です。

 重要なんだけれど、自由になりそうで自由にならない部分も多そうです。

 先祖代々の土地があって、という人もいるでしょうし、転勤による転居を繰り返すという人もいます。戦争の根本には「住む場所」があることを考えると、簡単な問題ではなさそうです。

 住めば都と申します。どこでもきっと、寝る場所があってご飯が食べられて、土地に慣れ、親しい人ができれば、愛着の湧くものだと思います。

 私も外国に住んだとき、最初はそう思っていました。どこだって住めば都、きっと馴染んで愛着がわくに違いない、と。

 しかし、外国暮らしは私にとって意外と厳しいものでした。言葉や食べ物、気候の違いなど、いろいろな要因はありますが、思うに、その土地の人とあまり親しくなれなかったというのが大きかった気がします。言葉の壁もありました。でもそれはおそらく、壁を作っていた私の方に原因があったと思います。

 どこに住もうと、心に壁があると、しっくりくる生活というのはできないものですね。

 特に人との関係は大きいと思います。

 親しい人がいる、好きな人がいる、親切にしたりされたりする人がいる。

 そういう場所は、やっぱり居心地がいい。

 それは、生まれ育った場所であっても、同じことかもしれません。

 生まれたときから住んでいても、嫌な過去があったり、周囲となじめなかったりすると、そこは「住みたい・住みやすい場所」ではなくなってしまうかもしれません。

 逆に言えば、今いる場所を「住みたい・住みやすい場所」にするのも自分自身の心次第なのかもしれません。

 小学生の頃、家族の中で父の仕事先が外国になったらどうする?という話をしたことがあります。

 他愛もない「もしも話」です。どこの国、あそこの国、なんて話していましたが、次第に本気モードになり、話がちょっと具体性を帯びてきたとき、「本当に行く、となったらどうする?」と父が言いました。

 私はもう、すぐにでも行きたくて「行く行く!」と飛びつきましたが、母は非常に難色を示し「どこの国?」「子供が小さいのに行けない」「ここを離れてどこかに行きたくない」といい、妹も「引っ越しは嫌」「転校は嫌」と言ったので、その話はまた「ただのもしも話」に戻ってしまいました。

 私は、他の国に住むなんて、考えただけでワクワクで、新しい世界を見てみたくてたまりませんでした。どこの国、なんて関係なく、どこでも楽しいだろう、と短絡的かつ楽観的に、「GO!」に一票入れました。

 しばらく諦められず、行こうよ~、ねえ、行こうよ~、と母と妹を説得しようとしたら、ただの「もしも話」に本気になった私に辟易した父が「どうしても行きたいなら、お前とお父さんだけ行くことになるから、お母さんと離婚しないといけなくなる(そんなのは嫌だろう?)」と言ったので、「じゃ、離婚してもいいから行こう。帰ってきてからまた結婚して」とか無茶なことを言ったような気がします。もちろん、本心からではありませんが、当時は本当に外国に住んでみたかったんですね。

 半ば本気で夢見てしまった私は、家族の同意が得られないことがとても残念でした。

 外国に住むことにあれほど憧れがあったのに、結婚した後、夫の転勤で実際に住むことになったときは、私にも小さい子供がいて、ようやく、当時の母の気持ちが分かりました。母はもともと保守的なタイプではあったと思いますが、特にあの当時の母は、子育てに必死で余裕がなかっただろうと思います。

 当時の私は子供で、現状に対しての満足感より、未知の世界や未来に対して期待するところの方が大きかったのでしょう。まあでも、結局一度は外国に住むことになったのですから、人生、何が起こるかわかりません。そのうえ、実際に行ってみたら楽しいばかりではなかったわけで、今は子供の頃の自分に「そんなことより、心の壁のほうが問題だよ」と言いたい気持ちです。

 以前はリタイア後のシニアが外国に移住したりするのが流行っていましたが、このごろはどうなのでしょう。第二の人生を新しい場所で、と思う人がいる反面、年を取ると故郷に帰りたいという人もいます。

 かつて私が住んでいた国にもシニアの移住者がいましたが、病気になると帰国してしまう人が多かった気がします。病気になったときの医療体制やかかるお金を考えると、医療が充実していて保険のある日本の方が安心して療養できるのだろうなと推察していました。もちろん、ずっとその土地で生きていく方も多くいらっしゃいます。正確に統計を取ったわけでも、そういった統計を見たわけでもはないのであくまで印象ですが。そのあたりを分けるのは、やはり言葉と食事(そして言いたくないけどお金)かな、と思います。

 外国で病気になると、本当に言葉が重要です。私もかの地で病院にかかりましたが、苦しい時やパニックになっているときは日本語しか出てきませんし、説明も日本語でしか頭に入ってきませんでした。言葉が出てこない、説明がわからないのは結構ダメージが大きかったです。よほどナチュラルに当地の言葉が根付いていないと究極のところでは疎外感が強まるなと実感しました。

 年齢を重ねると、新しいことに対応するのが難しくなります。次第に土着していき、どこかに根を張って落ち着きたいと思うのは、自然のなりゆきなのかもしれません。

 私自身、50代の今は、正直、もうそんなにいろんな場所に憧れを抱けません。どこであっても、いいところもあり悪いところもあると知ってしまって、それだったら、慣れた言葉、慣れた食事で、馴染んだ生活を送れる場所がいいと思ってしまいます。

 「住みたい場所」を夢みるのも、若さのひとつ、なのでしょうか。
 だとしたら、若い時に可能な限り色々なところに住んでみるのも、悪くない選択肢なのでしょう。

 さて、現実的な話ばかりではつまらないので、夢として住みたい場所。

 国や地域に憧れる場合もあれば、暖かいとか寒いとか、気候の場合もあると思います。あるいは未知なる場所、はたまた、想像上の場所もあるかもしれません。

 私は、スペースコロニーに憧れています。

 映画やアニメなどに出てくるコロニーは自然が豊かで食品プラントなどもあり、重力がコントロールされた世界。

 2021年に刊行された向井千秋さんの『スペース・コロニー 宇宙で暮らす方法/向井千秋著・監修』を読んだときは興奮しました。

 映画『インターステラー』などのコロニー(たぶん移民船)は緑豊かでいいなぁと思いますが、現実的なのは『オデッセイ』な感じで(火星のドーム生活)、結構大変そう。

 『ガンダム』に出てくる地球圏のコロニーは戦争に巻き込まれるばかりで、ジオン軍にコロニーごと地球に落されたり、ティターンズに毒ガス注入されたり、奇襲されてホワイトベースで逃げて難民になったり、戦争拠点として利がないと見棄てられたりいいことなかったんで(笑)、月面都市あたりはどうだろうかと思っています。

 『ガンダム』でいうと、フォン・ブラウンですね。第二の都市グラナダは軍事基地っぽいイメージなので、やはり市民が住むにはフォン・ブラウンでしょうか。アームストロング公園で、のんびり読書したいです。

 『仮面ライダーフォーゼ』では学校のロッカーから「ラビットハッチ」という月面基地に行けて、ちょっとクサクサしたことがあると、宇宙服を着て月面を散歩したりできました。
 
 『サイバーパンクエッジランナーズ』でも、主人公がVRで月面デートするシーンがありました。救いのない話の中で唯一の楽しくて美しい思い出。

 地球を見ながら散歩したら、嫌なことなんて忘れそうです。

 本来人間は、地球の自然の中にいるのがいちばん幸せなんだろうなと思います。しかし、地球規模で考えると、現在の潮流とは裏腹に「住みたい場所」と「住みやすい場所」のギャップは広がり続けているような気がします。

 地球は「住みやすい場所」でありつづけられるでしょうか。
 それ以前に「住める場所」でありつづけられるのでしょうか。

 現代社会の文明的生活を続けると、どうしても人間が地球を汚してしまうようなので、地球の環境をこれ以上痛めつけないように保存して、月面都市にいてたまに地球に里帰りして、ああ~やっぱり地球っていいな~!海、綺麗だな~、山、気持ちいいなあ!というのがいいのかも、なんて思ったりします。

 文明生活と自然保護を切り離すようですが、どっちも欲しいは成り立たないのかなと思ってしまう今日この頃です。(ん?あれ?これってもしかして、ダカール演説…)

#どこにでも住めるとしたら

 ※ダカール演説とは、エゥーゴ時代のシャア(クワトロ・バジーナ)がダカール会議で行った演説。
 ※2021年7月に「はてなブログ」に書いた記事を加筆修正しました。


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