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お墓参り

台風が近づいているので、早めにお墓参りに行った。仕事から解放されて土日ゆっくりできるのは久しぶりだった。

大好きな祖父母、あとはよく家に遊びに来てくれて母、私と2世代にわたってかわいがってもらった親戚のおばちゃんのお墓へ。

私の地元は大きなお寺があって、親戚のおばちゃんはそこのお寺、うちのお墓はそこの近所の小さなお墓だ。

実は私1人でお墓参りに行ったのは初めてだった。
お寺近くの花屋さんでお花を購入して、大きなお寺から訪れた。

お寺には同じ考えだったのか、ぱらぱらと人がひっきりなしに来ていた。
まずおばちゃんの家のお墓が見つからないという重大な問題がおきた。
同じ苗字の家がとても多くて、ヒントはお相撲さんの墓石の手形の近くということだけだった。
どうしても見つからなくて叔母さんに電話したところ、やっぱり毎回迷ってるとのことだった。
しっかりは覚えてない、ごめん、お墓の横の石に彫ってある名前を一件ずつ確認してくれと笑

やっとお墓が見つかる。不謹慎かもだけれど、今後のためにもスマホで場所を写真に残しておいた。

水を桶に入れてきて、お墓にかけてお花を花瓶に入れておしまいなんだと思っていたけれど、
水道で隣にいたおばさんが、花瓶の内側や湯呑みを丁寧にたわしで洗っているのを見て、私もそれに倣った。

花瓶の内側は苔や枯れた花や葉が変色してくっついていた。たわしで洗うとぴかぴかになって、自分も清々しい気持ちになった。

お線香を購入する場所も分からなくて叔母さんに電話して聞いた。お線香の火は着火マンみたいな機械でつけたが、その機械が蓮の花の形をしていて、中央部分で火がつけられるて意外とオシャレだった。

おばちゃんに思いを馳せた。
幼稚園から大学まで、家に帰ってくるとおばさんがうちの台所で祖父母、母、いれば叔母も含めて家族とお茶をのんでおしゃべりしている姿が真っ先に浮かんだ。
私は思春期で気難しい時期もあったけれど、
他人が家にあがってきても、大好きなおばちゃんだからちっとも嫌じゃなかった。
私の家族もみんなおばちゃんのことが大好きで、家に来てくれるといつだって歓迎ムードでいっぱいで、いつだっておばちゃんの健康と笑顔を願っていた。そこだけは家族みんな気持ちは一つだったと思う。
母も母の姉妹もおばちゃんが大好きだった。
実は苦労が多かったと聞いていたのに、本当に優しくて笑顔が素敵な人だった。

祖父母に関しては思い出すだけで涙が出そうになった。私はずーっと祖父母と同居していたので、もはや親以上にお世話になったと思っている。
思い出すと寂しくなるから、普段あまり思い出さないようにしているが、今でもあの壊してしまった家に帰りたいな、と思うことがある。あそこに帰ればとりあえず誰かがいてくれたのにな。と。
祖父はもう今の時代いないような男らしい人で、祖母は信じられないくらい優しい人だった。
今でも思い出すだけで涙が出る。
お店を経営していただけだが、まさに偉大な人は市井にいるという言葉が合っているような人達だった。

長くなったが、自分が思っているよりも多くの方々がお墓参り、という文化を大切にされているのだな、としみじみ感じた。

そして、みなさんお墓の前で故人に思いを馳せて話をさかせていた。中には涙ぐんでいる方も見かけた。

私は今日お墓参りに行ったことで、自分は家族や親戚から大切にされてかわいがってもらっていたのだな。と思い出すことができた。

社会に出るとつらいこともあってやさぐれることもある。でも、どんな人にも子供時代はあって、
自分は大事にされていたんだな、と思い出せることは、とても幸せなことなのだなと思った。

実は、なぜいきなりお墓参りに行こうと思い立ったのか自分でも分からないのだが、
(お彼岸ということも把握していなかった…)
素晴らしいことを思い出せたし、自分の気持ちが落ち着いたいい1日になった。

おばちゃんのお墓の横に一輪花が咲いていた。
あまりにも花びらが分厚くて毛が生えていたので、フェルトで作った造花…?なぜ??
と思ったのだが、よーく見たら本物の花だった!

クルメケイトウという花で仏花でよく使われるらしい。種が偶然落ちたのかな?
咲いてくれてありがとう!

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