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なぜわかりたいのにわかりあえないの?

今の私たちの複雑多様な現実世界、宇宙自然、歴史文明、森羅万象は
「ひとつだけがある」ことを証明し
ひとつ(絶対世界)からすべて(相対世界)が生まれている仕組みを
論理とイメージで体系化して共有することを可能にした「令和哲学」。

この「HITOTSU」を発見して体系化して伝達できるレベルまで「発明」したNohJesuという人物。

最初に会った時には
「すべてはつながっているんだよ」と言われても、「はい。そうですよね」
「つながっていることはわかりますが、、それが何なんですか?」

という浅はかな知識水準だった私でしたが、なぜか彼の言葉の深いところに無意識が反応して、学び始めたのですが

いまはこの「HITOTSU」がいかにすごすぎるのかぁーーー!!!

っていうことが深めても深めてもまだ深い いくらでもクリエイトが生まれてくる源泉世界に魅了されています。

しかし、そこに行き着くまでには「さっぱり、わからない!!!!」
わかりたいのにわからないと涙した時間もかなりありました。
日本経済は失われた30年と言われていますが、私の個人史では失われた10年
くらいかな
しかしこの失われた時期は何もないようで、実は地中に深く根をおろし
今かいまかと時を待っていた時期ともいえます。
さてこれから日本と共に私も高度成長していくぞ!

さて、テーマの「わかりたいのにわかりあえない」についてですが
これだけITが発達してAIは一瞬にして情報をコピーする中で、人間がいかにコピー伝達が難しいのでしょうか。
思い違いやすれ違いが、いまこの瞬間も目の前でおこっています。
もし言葉アルゴリズムと、人間の認識が可視化できるシステムが生まれたら、いかに人間のコミュニケーションがズレているのか
いかに自分の思い込みの中でしか話を聞けていないのか
ということがよくわかるでしょう

人間は1分1秒同じ画面をみていない 誰もがカイコの繭の内にいるのが
今までの人間の現在地だったから。
だけど「わかってほしい」「この人ならわかってくれるはず」と自分勝手に期待して、裏切られて落ち込む(もしくはもう落ち込むこともなく諦め)ということを繰り返していることを意識化している人も多いと思います。
無意識までみると、実は人間は誰もがそこに絶望しているんですね。

じゃぁなんで人間はそんな状態なのに「わかりあいたい」「つながりたい」と願うのでしょうか。
本能的なものだから、というならば、じゃぁその本能はどこからきてるのでしょうか
エネルギーだというならば、じゃぁそのエネルギーって一体何なのでしょうか、どこから生まれているのでしょうか

そんなことの源泉までさかのぼっていった時に

すべての「有」を生み出す「無」がある
すべての「有・無」を生み出す「なにか」がある
この「なにか」にあたるのが、Nohさんの言う「HITOTSU」だけがある世界というわけですね。

ここでひとつThinking Timeをとりたいと思います。
AI時代に人間もディープラーニングをしていくには、自ら考えの走る道をつくる習慣をつけることも大事なので。

1.「ひとつだけがある」ことがなぜ時代の哲学になるのでしょうか?

2.「ひとつだけがある」ことがなぜ真理といえるのでしょうか?

3.「ひとつだけがある」ことがなぜ幸せ・成功とつながる方程式になるのでしょうか?

さぁ考えてみよう!



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