見出し画像

スタグフレーションは絶望か希望か

今の時代、今の社会は、絶望ですか?希望ですか?と問いかけたならば、あなたはどう答えますか。
そして、絶望を感じている人と希望を感じている人の割合はどのような割合になるのでしょうか。
さらに、なぜ絶望と感じますか?なぜ希望と感じますか?と問いかけたならば、どのような答えがくるのでしょうか。
いったい何を「根拠」として、絶望と希望を語るのでしょうか。

社会というものは多くの人間たちの心の動きによって形成されています。
例えば、政治においては、多くの人たちから「こっちがいい」と選択される方向性を提案した集団たちが意思決定の権利をもち、その集団の判断基準から、社会の仕組みが構築されて、その仕組みの中で人たちが生活するようになるのです。
自ら意思決定しない人たちは、意思決定する人たちの生み出した仕組みの中、決められたルールの中で受動的に生きる人生になります。
政治においては、ある程度、人という単位がみえやすく、一人の人間の判断基準が仕組みを変化させることに影響することもありますが、
経済においては少し複雑になります。一人の判断基準では動かすことが困難な、市場の「見えざる手」に判断を委ねている状態です。

多くの人たちの心を動かして団結しながら、人類は環境に合わせて生きる動物ではなく環境を変えていく力を身に着け、動物にはできない文化文明をつくってきました。
そのような中で、現代文明は科学精神がメジャーになっている時代です。
1つの物事を提案する時に、納得させ、多くの人たちを動かすために、特にビジネスの現場ではデータサイエンスからくるエビデンス(「証拠」「根拠」「裏付け」「形跡」等)を出して、その根拠を提示するという方法を用いることが多くなっています。
しかし、逆にいうと、今まで経験したことのないことに対しては、過去のデータの蓄積であるエビデンスは全く用をなさない、役に立たないものであるともいえます。

2045年にはAIが人間の脳機能を超える知性を発揮して人間が予測不可能な発展をするとされる「科学的特異点」シンギュラリティの概念は、アメリカの数学者、ヴァーナー・ヴィンジ氏が広めたのをはじめとし、人工知能研究の世界的権威でもあるレイ・カーツワイル博士も2005年にシンギュラリティを提唱したそうです。 日本では、2016年にソフトバンクの孫正義氏の影響で広まってきたようです。
シンギュラリティは、人類にとって、絶望に向かう道でしょうか、それとも希望に向かう道になるのでしょうか。
続きはまた次回

#シンギュラリティ
#AI  
#経済危機

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?