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アイシテルのカエル

私の両親は、


日本で一番の両親


と言っても過言ではない。

父も母もとても面白い。

他の家の親が言わないような面白いことを平気で言う。

1日1回は絶対に笑う。

お笑い芸人になれるんじゃないかと思うときもある。

それに、2人とも仲が良く、ラブラブだ。

羨ましい。

とても幸せだ。


今はね。


私が小学三年生だった時、

急に父と母が別居することになった。

私は母と一緒に祖父母の家に行き、住むことになった。

なぜかと聞いても、

「大人の事情だから。」と言って教えてくれなかった。

祖父母の家から学校までは車で40分。

毎日5時半起きの生活だった。

小学生にはキツかっただろうなと今になって思う。

雪が降れば、橋が閉鎖され学校に行けない。

友達と遊ぶのにも、車で送ってもらう許可がいる。


本当に地獄だった。


今とは真逆の生活。

それと同時に母も大変だっただろう。

母は私より早く起き、家事をして、

私を学校に送って、仕事へ行く。

夕方になると、私を学童へ迎えに行き、

家事をし、私より遅く寝る。

毎日が寝不足であろう。

それに、私は手間のかかる子供だったのでたくさん迷惑をかけた。

バスケのクラブにも入っていたので、

試合の送り迎えもしなければいけない。

そんな日々が約6年続いた。

私が中学二年生になったある日、突然前の家に帰ることになった。

前の家を取り壊し、父が新しく家を建てるそうだ。

私の頭の中はハテナでいっぱいだった。

なんで急に?結局理由はなんだったの?

聞きたいことはいっぱいあったが、あえて聞かなかった。

なぜか。


母の顔がとても幸せそうだったからだ。


私はとても嬉しかった。

どんな形であろうと

母が幸せなら、

父が幸せならなんでもいい。

久しぶりに会った父も、少し太っていたが元気そうだった。

料理があまりできない父だったから、

ほぼ毎日外食であったのだろう。


お疲れ様。よく頑張ったね。


そう思った。

家を建てたあとは別居していたとは思えないほど

幸せだ。

父の愛情表現もすごい。


昔が地獄でも、今が幸せならそれでいい。


これまで苦労をたくさん味わった父と母。

これからはたくさん幸せになって欲しい。

そう思っている。

そのためにも病気治さないとな。

迷惑をかけてばっかりだ。



これからも幸せになろうね。


パパ。ママ。


愛してるよ。


そういえば、別居していたときに好きな絵文字があった。


🐸(カエル)


きっと帰る(カエル)。


母が帰ってきた今でも、

父と母と私のグループLINEの名前は🐸。

父と母はこの意味を知らない。


私だけが知っている暗号だ。


(2022.02.17.)

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