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[連載#6 官能小説:ハルと梨沙」

あらすじ
商社に勤めるハルは内気な性格もあり、休日は一人で過ごすことが多かった。同僚たちは次々に結婚して家庭を持っていく。結婚願望はあるが、30代後半にさしかかると男性からのお呼びもなくなった。このまま人生が過ぎていくのだろうか…….。そんなある日、営業部に転職してきた梨沙から食事に誘われた。ハルとは違って明るくて社交的で積極的な梨沙。その梨沙の目的は、ハルだった。天真爛漫な梨沙の性の誘いに翻弄されるハル。

#6 彼と彼女

呼吸するたびに細身の肩が静かに微動する。生真面目な性格からか、グラスの水滴を度々拭くのが祐介らしい。

「ハルさん、僕と結婚を前提にお付き合いしてください。」
渇いた唇をなめ、真剣な眼差しでハルを見ながら彼は言った。

「えっ。どうしたの急に。」
突然の告白に、思いもしなかった展開にハルは動揺を隠せない。

4つ年下のその男は、ハルの記憶の中では、今まで気のある素振りを見せたことは一度もなかった。
廊下で顔を合わせても軽く会釈する程度の関係だった。
真面目でよく働くが内気な男。ハルが祐介へ感じる印象は薄かった。

「ずっとハルさんのこと気になっていました。
何度か食事に誘いたいと思ったことはあるのですが。すいません。
僕、勇気がなくて。その。すいません。」

緊張したせいなのか、しきりにグラスをおしぼりで拭く祐介の姿を愛らしいと思った。

外見は悪くはない。黒縁メガネが顔に溶け込んでいて、
目にかかりそうな前髪のせいか実際の年齢よりも幼く見える。

こういう人と結婚すれば幸せになれるのかな。
ときめきはないけれど、落ち着いた普通の家庭を築くことが出来るだろう。
愛というよりも、お互いに家庭の役割を果たす機能的な夫婦。
家庭生活を維持するという目的に沿った、良きパートナーとなるだろう。

子どもを持つのも、これが最後のチャンスかもしれない。
体力的に、女という生物学的にも、そろそろ限界かもしれない。

愛がなくても結婚生活は成り立つのかもしれない。
家庭生活の維持”には必ずしも愛は必要ないだろう。

最後のチャンス。このまま結婚するのもいいのかもしれない。
他の友人や同僚と同じように妻となり母となる。
世間が求める本来あるべき女の姿

ハルは祐介の突然の告白に戸惑いつつも不思議と嬉しいという感情は湧かなかった。
以前のハルならば、舞い上がりすぐに”Yes”とこの場で即答していただろう。

彼女を知るまでは

ハルは下腹の方から哀しみが湧き上がるのを感じた。
夏が過ぎ去るような、一つの季節が過ぎ去る中、
自分だけが取り残されていくような切なさ。

何故、今この瞬間に、梨沙のことが思い出されるのだろう。
彼女の屈託のない笑顔。自由奔放で無邪気な姿。

ハルをまっすぐ見つめる瞳。
口角をキュッと上げて微笑むところが好き。
柔らかい唇。キスをするときに頬に触れる細長い指。
軽やかな巻き髪がキスを求めるハルを包み込んだ。


「突然で驚きましたよね。答えは今じゃなくていいので、
考えて欲しいです。」
イタリアン風居酒屋の個室の壁をぼんやりと眺めるハルに
祐介はハルの前に置かれたカクテルグラスに視線を落としながら言った。

梨沙との情事の空想から、突然現実に引き戻されたハルは
空想の中身が祐介にばれていないかとヒヤリとした。

「分かりました。考えておきます。」
コクリと頷きながら祐介と視線を合わせた。
ほっとしたように、祐介の表情が柔らかくなった。


遅くても来週中には、自分の中で”答え”を出さなければ。
目の前にいる彼。今は好きという感情はないが、
付き合いが始まれば情も自然とわくだろう。
梨沙。彼女のことを考えると尋常な感情ではいられなくなる。
喜びと哀しみ。安らぎと緊張。不安と期待。

30代後半になり、こんな状況に置かれるとは思ってもみなかった。
何かを得るならば何かを手放さなければならない。
人生の鉄則がハルの逃げ道をふさぐようで心が重かった。

(#7 へ続く)




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