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マクラ

持続可能な魂の利用 松田青子
 自分にとって小説は導入部であるしょっぱなの2頁くらいが大切で、ここの「引き」次第では推力不足で読み進めなくなることも多い。落語の場合もマクラでサクッと笑わせといて本題につなげるわけだが、場の空気をやわらかくしつつ演者に注目させるのが目的であり、必ずしも本題と関連している必要はない。本作の、「おじさん」たちの集団的少女失認発症というイベントも一定のキャッチ効果はあるが、その後の経過については最後まで未回収なので気になるといえば気になる。
 本題のほうだが、年齢性別によらず「おじさん」回路を脳に有している者が社会を牛耳っている日本国はそうでない女性たちにとって常に息苦しい世界だという観点で、いくつかのエピソードが展開されていく。顛末はネタバレになるので書かないが、脳内に「おじさん」回路が存在しない人間が日本の全人口に占める割合ってどのくらいなんだろうか。そもそもこの回路を持たない中高年男性など居るもんだろうか?
 百歳もエッチなことは考える
 なんて川柳もあるくらいだ。問題は回路の有無というよりも制御系が正常に機能しているかどうかのように思うのだが。妄想小説書いたおじさんのエピソードがあるんだけど、妄想なくして小説にかぎらず創作なんて出来ないんで、発表の仕方が人として間違ってるんだよね。まあ、たしかに図書館の若い女性司書に用もないのにしつこく話しかけてるオッサンやジジイとか見てるとムカつくけどねえ。そういう奴らにかぎってお礼の言葉が言えないのは相手を対等の人間だと思ってないんだろうね。先に生まれたら自動的に偉くなれるわけじゃないのに。
 さて、終盤からの展開はカタルシスぽい感じのラストに向かうのだが、社会場面の具体的な描写がほとんど無いのでいまいち痛快さに欠けるというか。でもこれはこれで有りかな。なんとなくカート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』を連想したりして。
 緊急事態宣言が解除されたとたん通勤ラッシュが再開され、基本構造は何も変わってないことがわかる。これでワクチンや特効薬が開発されりゃなしくずしにリモート・ワークはなくなり、あいかわらず紙の書類と印鑑と名刺をあっちへやったりこっちへやったりし、ときには終業後の飲み会という名の拷問が待っていたりする(「おじさんたちと飲みに行っても割り勘」とかセコイ話もざら)。本作に対するカウンターも多々あるようだが、既存のコミュ以外の方法を(災厄によって強制されたとはいえ)試行できる今だからこそ読まれて良いのではないか(とくに若い人たちに)。小説って何書いてもいいんだしさ。

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