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サラバ、写真部

例年では既に桜は足元へ散っている時間設定なのだが、この春に豪雪ばかりを見てきた影響で、どうにもその実感が湧かないまま三月のカレンダーを捲る日が迫ってきた。高校を卒業してもう一年が経っている。一年も経てば何かが変わって、きっと新しく前に進めるだろう、と去年は健康的な予測をしていたわけだが、実際に大学生という身分になってみると全くそんなこともなく、ただ漫然と過ごしていたらいつの間にか一年が経ってしまった。これがこの一年の簡単な感想、というよりは後悔や諦念に近いものだろうか。相変わらず鬱病は治らないし、いつだって不安で不出来で不得意を重ねている。それでも単純な幸福を手に入れるため、とにかく誰かと会おうと予定を立てたり、大して多くもない仕事に追われているような態度を取っている日々を続けていた。

無意味にも思える生活の中で頭を抱えていたら、いつの間にか季節も一巡して、高校写真部の後輩も、去年の自分達と同じように卒業した。それを祝うという口実で、パンデミックによって叶わなかった"合宿"を行うことにした。別に後輩の卒業を祝うという目的が嘘というわけでは無いのだが、本意はおそらく、あの写真部でまた集まることができなくなったら寂しいから、程度のものだったと思う。あるいは、彼らが卒業して母校を去ってしまい、過ごした日々の記憶があの場所から消えてしまうことを恐れた私が、写真部と訣別するための儀式を求めていただけなのだろう。

7限が終わる、誰もフィルム現像なんてやっていない名ばかりの暗室を開ける。「てーとく先輩」と敬称に敬称を重ねた不思議なあだ名を呼ばれるところから始まる、どこにでもあるどうしようもない話。写真甲子園も出ない、現像なんてやらない、ISOとかF値もよくわからない、決して程度が高いとは言えない環境だったが、皆写真を撮ることは好きでいてくれた。私はそれでいい、むしろそれが最善だと思っていた。"写真部の部長"という立場から、後輩達に伝えたかったのはその一つだけだ。贅沢を言えるなら、"ずっと撮り続けていてほしい"と思っている。それが叶えば、写真部で抱えた全ての苦労も時間も惜しくはないし、先輩として本当に後輩に恵まれたという確信がより強固になる。そして一友人として、本当に皆で過ごした写真部での時間は替え用のない煌めきだった。これは実に健康で幸福である。それでもどうして私はこんな簡単で大切なことをすぐに忘れて、憂鬱だ不安だと涙を流すのだろうか。

話を合宿に戻そう。行き先は秩父、日帰り旅行なら最適な場所選びだ。
写真部だけでなく、高校3年間を過ごした友達との旅行のあるだろうと想定し、遠くに行って泊まるというよりかは、日帰りの距離で二泊三日するのが最もコストを抑えつつ体験を上等にする最適解だと考えた末の場所選びだ。
免許を取ってからというもの、やるべき事を放置してほぼ週に一度伊豆や山梨へ旅行に行っているのだが、それは旅行という形を取った暮らしの移動みたいなもので、千円以上のサービスはほとんど受けず、食事も自炊していた。もちろん好きでそのような旅行をしているのは事実なのだが、非日常感は薄らいでいた。この合宿では、後輩に写真部最後の思い出として良いものにしたいと決めていたため、財布と金銭感覚に麻酔を掛けて、値段を理由に留意することはしなかった。無尽蔵に外食するし、たまたま見つけたトゥクトゥクのレンタルもその場で即決した。そういうお金を払って多くのサービスを受けるという旅行は久しかったので、全てが新鮮で飽きがなかった。"体験を買う"という事を口ではよく言っていたが、今までは本当に体験を買っていなかったのだなと気付いた、また一つ幸福へ近づくことができたと思う。

この旅は本当に楽しかった。一度も憂鬱と目を合わせることなく三日間過ごすことができたのは、本当に高三の修学旅行以来のような気がする。高校時代も鬱病患者ではあったが、幸福度の上振れは今よりも遥かに高い位置にあった。その上振れが一瞬だけ戻ってきたような気がして、幸福を見つけることができたような気がした。ベタな観光地を巡って、ジャンクフードを買ってきて、ゲームして、誕生日を祝って、適当な事を口に出しては、それで笑って疲れて寝る。きっとどこにでもある光景だ、この惑星から我々だけが消えてしまっても生活は変わらない。その程度の出来事だというのに、一挙手一投足の度にその光を撮像素子に焼き付けている。ありふれた光景だというのに、その場にいる全員が発生した出来事全てにカメラをむけていた。写真部はどこにいても写真部のままだった、それは卒業しても変わっていなかった。だからこそ写真撮影という行為を通して、あの頃に戻ったかのような錯覚を覚えるのだろうか。ノスタルジーに浸るのではなく、新しく高校時代の無い記憶が刻まれるような、スピンオフが作られている感覚だ。

振り返ってみると、写真を始めたのは写真部に誘われたからだし、良い写真が撮れていた楽しい思い出は大抵写真部関連だった。部員三名から始まって、感染防止の規制で生活が右往左往し続ける中、ほぼ詐欺の勧誘動画で五十人仮入部員が来て腰を抜かしたり、何よりも写真を楽しんでもらおうと日帰りの撮影企画を立てるなど、手探りの自転車操業のように過ごしていたら、いつの間にか我々は卒業してしまって、部室に戻ったら居ると思っていた彼らも卒業してしまった。生徒会に頼み込んで増やした貸出カメラや、フォトウォーク企画みたいな文化が、これから先も受け継がれていけば、少しでも我々の生活が残っているようで嬉しいと思う。しかし、奇跡的な運の良さとちょっと努力だけでおそらく最盛期を走り抜けた写真部は、あと三年もすれば私が入学したときみたいな静けさがまた戻ってくるだろう。それでも、部活の時間を一緒に過ごした後輩達が、写真部が楽しかった、という記憶をこの先も持っていてくれたら、頑張った価値は大いにあったと言える。

後輩達へ
ロクに展示もできなかったし、技術的なことはほぼ教えなかったし、俺らは無計画で先輩として致命的にダメだったけど、皆愛想尽かさずついて来て各々楽しんでくれてありがとう。俺らは二人とも皆との縁はかけがえのないものだと感じているし、あの日部活で出会えてよかったと思ってます。これから新生活したり、高校を卒業したりすると思うけど、その度少しめんどくさくてもカメラを持ち出してみてね。写真部として教えたかったことはそれだけです。やってて良かった写真部!ありがとう!そして最後に、俺に一言で写真を始めさせて、大学で写真を専攻させるに至らせた親友にも、
ここで感謝の言葉を述べておく、ありがとう。
サラバ、写真部。

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