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その息はまだ(9/24朝)

起き抜けの寒さに驚いて上着を羽織る。
とうとうこの季節がやってきてしまったかと思って寂しくなる、同時に焦る。
これはもう三年ほど前から変わっていない季節性のルーティーンワークだ。
有史以来人間というのは勝手なもので、昨日まで汗だくで走り回っていた自分が居たのにも関わらず、朝になった途端に夏が恋しいと馬鹿を言う。

あんなに彼は冬が好きだと行っていたのに、
あんなに早く枯葉を探して俯いていたのに。
この夏に何ができただろう、僕は少しでも大人に近づけただろうか。そんな取り留めもない年中無休の脳内のトレンドを反芻させ、厚着をした今も自分に似通った詰問をしている。
そんなことをしていたら、脳から何かが抜けていくような感触に襲われていた。
結局昔から俺自身は何も変わってないのに、
毎年社会制度によって強制的に一年ずつ
大きな階段を登らされる学生という有限性の身分のせいで、毎春にまるで成長して大人に近づいているような振る舞いをしなくてはならなくなり、その嘘が腐って堆積したのが今だろう。と、過去に何度も結論づけた事を懲りずに口臭に乗せていた。

ここも望んでたどり着いたはずなのに、
それすらどうにも納得いかない自分は、
この思春期の憂鬱と逆張りからずっと抜け出すこともないまま、また初雪を見るのだろう。
ウダウダと言って歳だけ食っている。
今の俺がまだ息をしていることを僕に知られないように、
とにかく人と話して、何かを作って、まるで毎日何かをやりきったかのように、この夏をごまかし続けていた。

しかし夏という時間は当然有限なもので、
39.0℃の外気温を言い訳にして行っていたこれらの行動なんかは、寒くなって仕舞えばそれすら億劫になるのであった。
どうせみんなもそうだろう と自分に言い聞かせば、少しはこの秋ましてや冬を健康に過ごせるだろうか。

"夏休み"というものはあと3,4回過ごせばなくなってしまうらしい。どうにもそんなこと信じがたいが、卒業する時もそうであったし、きっと"夏休み"も終わって、死化粧された過去になってしまうのだろう。

去年まで過ごした夏休みは鮮明とは言えずとも覚えている。今年はどうだろう、一番自由になったはずなのに、やりたいことができてるはずなのに、何をやったというのだろう。掴んだ自由は枯尾花みたいで、生産行為の残骸も取り止めがなくて雑多だ。
強いて言えば、足枷や憂鬱のついた日々を嫌いなりながら無理矢理に進めて、
目を閉じるたびに遠ざかっていく過去を眺めていたことだろう。

こんな夏を来年の俺はどう振り返るのか、
きっと残り物を使い切った寂しい冷蔵庫のようになっている。その上、どうせ冬も来年もどうしようもないまま、「今日も冴えない1日だった」「冴えない人生だった」と
悔し涙を流していることだろう。
べっとりと臓物に焦げついたこの幼児的万能感は、死ぬまで治らない前世の業か何かだと思うようにしている。

エンターキーを下スマッシュで押し込んだ後、
窓を開けたら冬の匂いがした。
今年も初雪は降るのだろうか、降るのだとしたら少し複雑な気分になる。
貴女は二年前から言っていたような、なりたい自分になれましたか。
僕は貴女が言ってた通り、将来性もない写真家もどきの馬鹿のままです。
誰に向ける訳でもない過去への定期連絡だ。
こんな頭の出来が悪い俺でも、
初雪が降らないと思い出せないことの一つや二つ持ってたっていいじゃないか。

「冬の匂いというにはまだ気が早いな」
思い出しかけた誰かの顔をかき消すように
ベランダで独り言を吐いた。
その息はまだ透明だった。











追記:昼はめちゃくちゃ暑かった、ありえん。

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