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どうしようもなく

私は死にたかった。半年前の話だ。
何故そうなったかという理由は色々と複雑だし、他の人からすれば「なんだそんなこと」と思えてしまうようなことなので、語ることはしない。ただ私は、死にたかった。

結果としては死ななかった。死ねなかったんじゃない、死ななかった。
「死にたい」と口に出した時、「そんなこと言って、結局お前に死ぬ勇気なんかない」と言われた。その通りだ。その通りだが、当時の私は本気だった。家に紐状の物がなかったので、ホームセンターに買いに行ったし、ぶら下がれそうな橋を見に行ったりもした。

雨が降っていたが、傘を差す気にもなれなかった。頭がガンガンと割れるように痛み、腹の中は無理やりかき混ぜられるような不快感が消えなかった。もう何もかも御免だった。

そうして、私は初めて命を絶とうと意識した。その時脳内に溢れ返ったのは、今までの記憶や家族への想いなんかじゃなかった。経験したことないはずの、気道を締め上げられる苦しみ、全体重が顎や首の骨にかかる痛み。全身から警告が発せられているようだった。その瞬間、私は死への恐怖に支配された。

考えてみれば当たり前だ。「生きること」、それは生物の一番根源的な本能なのだ。その本能に逆らおうなんて、到底不可能なこと。
その本能を捻じ伏せる覚悟、その覚悟を決めてしまう人がいる。自殺がいいか悪いかを語りたいわけではないのでそこはご容赦頂きたいが、その覚悟を決めてしまった人は最早、誰よりも強いのだと私は思う。

死ぬことを諦めた私は、途方にくれた。解放されるはずだった諸問題は、結局肩にのし掛かったまま。気付けば深夜、私は当てもなく河原を自転車で走っていた。頭痛も腹痛も結局解消されない。何故か朝日が見たいと、そう思った。家には帰りたくなかったし、夜を明かすにも土地勘のない場所まで来てしまっていた。

そうして二、三時間気まぐれに流行りの歌を歌いながら河原を走った。自分の声と自転車のチェーン、草むらにいる秋の虫の声だけが耳に届いて来るのが心地よかった。
そして、東の空がうっすらと明るくなり、徐々に空の濃紺が和らいでいくのを見た時、私は素直に綺麗だと感じた。朝日を見たことがない訳でもないのに、初めて見るもののようだった。

空に視線を奪われ、走らせていた自転車を止めて降りようとした時、不意に下腹部からドロリと何かが溢れ出るような感覚がした。確認するまでもなく、その感覚は慣れ親しんだもので。それどころか、今まで自分を苛んでいた頭痛や腹痛の正体まで分かってしまった。そういえばそんな周期だったなと、私は思わず笑いながら朝日に向かって大きく伸びをした。

私は、どうしようもなく生きている。

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