歩いた先に行き着く舞台 | 映画『幕が上がる』
先日、モノノフであることを独りでにカミングアウトした私ですが今回は2015年に公開したももいろクローバーZが主演を務めた『幕が上がる』を鑑賞したのでちびちびと語っていこうと思います。気が向いたらお付き合いください。
作品紹介
劇作家平田オリザ氏が2013年に発表した処女小説をアイドル『ももいろクローバーZ』の主演で映画化した作品。実は伊藤沙莉や吉岡里帆、芳根京子など今活躍する女優の若々しい姿が見れる貴重な作品でもあります。
個人的には水曜どうでしょうの大魔神こと、ヒゲDの藤村さんが謎に出てくるのがツボです。
あらすじ
等身大であるが故に感動する
本作は、高校演劇というテーマの中で成長していく高校生の姿を描いていくのが本筋です。こういった部活動を通して成長していく群像劇ってありふれていて、言ってしまえば擦られまくっているようなテーマなんですよね。
だから、私もこの映画を観る前はただももクロの5人の可愛いところが見れるくらいかなくらいで正直ほとんど演技経験のないアイドルの映画に映画としての完成度を求めてはいけないとすら思っていました。
ただ、私のこの愚かな思い込みはももクロの5人にきれいにひっくり返されます。この映画には青春映画としての高い完成度と感動がありました。
その要因は、高校演劇というテーマと彼女たちの等身大の演技の親和性にあると思っています。
たしかに演技においては同年代の女優と比べて、拙いところは数多くあります。冒頭のシーンなんかこれ2時間も見ていくのきついなとすら思いました。
この映画においての彼女たちの役どころは演劇部でありながらどこか本気になり切れていなくて、顧問に弱小とすら呼ばれるレベルの高校生。
映画前半、新入生オリエンテーションで演劇をする彼女たちの姿は誰かが作ったような話に誰かがやっていたような演技。悪く言えば幼稚園児のお遊戯会のようにすら見えてしまう。
ただ、そんな彼女たちがガラッと変わるのが「肖像画」という演目をするシーンです。
この「肖像画」とは自分自身の体験を1人語りのように演劇にするような手法です。
今までは、自分じゃない何かを演じていた彼女たちが自分自身を演じることで変化していくわけです。
私は演技や演劇に全くの無知ですがこのシーンを見て、演じるとは他の何かをただ真似するのではなく自分自身を近づけていくような、あくまで等身大の自分自身が演技における資本なのだと感じました。
高校演劇という素人の高校生が等身大で演劇にのめり込んでいく姿とそれを全力で演じようとするももクロの5人の等身大の姿が重なっていくからこそこの映画は深く感動ができるのだと思います。
誰かが書いた台本で生きていくのか
この映画のメインのヒロインは、百田夏菜子さん演じる演劇部長の高橋さおりです。このさおりというキャラクターがすごく高校生らしいんですよね。
演劇部の先輩が引退し、半ば強引に部長を任命されたさおりは、部長としてその気になって頑張ってみるもなかなかうまくいかない。
新入生オリエンテーションでは誰も見てくれないし、部長としてこの先どうすればいいかもわからない。
そもそも演劇部は友達に誘われたから、部長も任されたから。
今までは先輩たちがつくりあげた台本に沿って演じていればよかった。
「もう辞めてしまいたい」そうさおりが思った時に神様が現れます。
かつて大学時代に「学生演劇の女王」と呼ばれていた美術の吉岡先生です。先生に対して、さおりは神に教えを乞うように「どうしたらいいかわからないんです」と言います。しかし、先生から返ってきた答えは
「何で演劇やってるの?だったら辞めればいいのに」
この質問にさおりは答えることができませんでした。そんな中、さおりは吉岡先生から舞台に立つ側ではなく、演出に専念することを提案されます。
そして少しずつ演劇に向き合い、部員と向き合い、自分と向き合い、さおりは苦悩しながらも自分自身の台本を描き始め、変わっていきます。
強豪校から転校してきた中西さん(有安杏果)に吉岡先生と同じ質問をされた時、さおりはこう答えます。
そう語るさおりの言葉には迷いながらも答えを見つけた強い意志が見えました。
自分自身の高校時代を振り返るとさおりのように何故部活をやっているのかなんてちゃんと考えたことは無かったかもしれないと思います。
高校時代の部活の最後の大会で負けたとき、私は正直どこか冷静でした。
「あー終わっちゃな」そう感じる程度でこみ上げる涙すらなかった。
今思えばなんとなく部活をやっていただけで自分とちゃんと向き合えていなかったのだなと少しばかり後悔をします。
ある時、吉岡先生は、さおりを含めた3年生にどこまで行きたいのかと問います。みんななら全国を目指すことができるし、一緒に行きたいとも思う。でも責任は持てないと。。。
そんな問いに戸惑っていたさおりたちですが映画の終盤吉岡先生にさおりはこう語ります。
その覚悟を聞いた先生は、かつて自分が諦めた役者への道へと歩みだすことになります。
吉岡先生の行動は教師としては、非難されてもしょうがない。
ただ、吉岡先生の行動は自分の人生の台本を書き始めるに遅いなんてことはないと言ってくれているように感じます。
歩いた先にどこにたどり着くのか
この映画で印象に残っているセリフがあります。
それはさおりが全国大会の見学の後に中西さんに語ったこのセリフ。
青春というのは淡く、儚いものです。
必ず終わりが来る。
限られたあの時期に全力で向き合っていたからこそ、濃い経験となっていくわけです。
県大会前、吉岡先生が去った後さおりは部員に向かってこう語りかけます。
部活に限ったことじゃなくて、仕事や色々なことに共通して言えるのは、どれだけ歩いても歩いても答えなんて用意されていないことの方が多くて、皆そうやってゴールが見えない不安の中でもがいて生きている。
でも振り返るともがきながら歩いてきた道には、今まで自分たちが歩いてきた足跡がしっかりと残っている。
だからこそ、さおりの言う通り歩くのをやめてしまえば今までの自分たちを諦めるということになる。
この映画は、全国に行けたかどうかではなく、県大会での舞台の幕が上がるシーンで終えていきます。
歩いても歩いてもゴールなんて見えてこないのかもしれない。
それでも結果ではなくて、歩いていくことに価値があるそういった意味がこのラストシーンには込められているように感じます。
観終わった後、ももクロの「青春賦」のMV見ると余計に感動するのでお勧めです。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました〜
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