あゆみちゃんにつんつんしてもらった記録。
先日あゆみちゃんとお話をした。
今とても必要だろうなと思うことがたくさん出て来たので、自分の記録としてもここに残しておこうと思います。
レポというより、個人的な感想がほとんどですが、同じ体験をした方、同じ感情を持っている方、あゆみちゃんの「つんつん」が気になる方に読んでもらえたら嬉しいです。
この募集に手をあげて、あゆみちゃんに『つんつん』してもらった。
あゆみちゃんは、物事の本質に切り込んでいくのが上手だと思う。
これまで色んな場所でお話されているのを聞いていて、質問の鋭さがさすがだな〜って思ってた。
『つんつん』というあゆみちゃんと一対一の対談は、その鋭い質問力、掘り下げ力で、私たちの中にある詰まりをつんつんして流してくれる。そんな時間だと思う(私的解釈)
公開でも非公開でもということで、私は非公開での対談をお願いした。
(実はちょっとビビってて、つんつんがグサグサ刺さるのでは?と恐れていたからw)
でもこの恐れの理由が、『つんつん』後にわかることに。
(あゆみちゃん、ビビってごめん😂)
ここからは、『つんつん』を受ける中で出てきた話を順を追って書いていきます。
期限がある作業をギリギリまでやらない件
私の中に引っ掛かっていることの一つ。
やらなきゃいけないと分かってても手をつけられなくて、毎度毎度焦る件。
期限があるもの、ないものに関わらず、やらなきゃいけないのにやれてないってことに常に焦りを感じている。
大体は期限内になんとか終わらせられるし、結果オーライなことが多い。
でも、夏休みの宿題のような、コツコツと毎日学習する癖をつけましょう!
という学校目線の、先生目線の考えが、こっそりと足枷をかけていて、
それができない私は常に追い込まれてた。
どこかで、
コツコツできる人すごいな、私はできないな。
またギリギリまで先延ばししちゃった、なんで私できないんだろう・・・
早くやらないと!どんどん溜まってく・・・
どうせ期限ギリギリにならにとスイッチが入らないのに、ずーーーとその「早くやらなきゃ」呪縛に縛られ、やらない間も焦りを感じてた。
例えば仕事で、一週間以内にこの資料をまとめなさい。と言われた時に、
毎日少しずつ作業して一週間で作る人もいれば、
集中して一気に終わらせる人もいる。
学校で言われたコツコツは、大人になると出来ていなくても結果は同じだ。
どちらが正解というわけじゃないのに、
コツコツやるのが普通だろう
という謎のルールに囚われて、自分で自分の首を締めていたことに気づいた。(とっても単純なことなんだけど、意外と自分じゃ気づけないし、考えを変えることが難しい)
あゆみちゃんが言ってくれた、”開き直ってギリギリまで何もしない”を採用して、常に付き纏う焦り期間をできるだけ短くするようにやってみようと思う。
過去の恥ずかしかった思い出が教えてくれたこと
期限の話をしていたら、まだまだ人と比べたがる自分がいるなってことがわかった。
コツコツやる人とできない私を比べていること。
周りの目が気になってしまうこと。
どうして比べてしまうのか、どうして周りの目を気にしてしまうのか・・・
その時、小学校3年生くらいの思い出が頭に浮かんだ。クラスのお楽しみ会で⭕️❌ゲームをやった時のこと。
Q . 先生が一番好きな動物はどっちでしょう?
⭕️・・・ザトウクジラ
❌・・・象のふじ子
担任の先生がザトウクジラが大好きなことはクラス全員が知っていること。
先生の押すスタンプや、持ち物の色んなものがザトウクジラだ。でも、ふじ子も好きだと聞いていた私は、クラス全員が⭕️の方に行くのに対し、一人だけ❌を選んだ。
みんなが知らないことを私は知ってるんだぞ!って自慢したかっただけだったと思う。
その時の、1対 全体 の雰囲気、一人恥ずかしい私、みんなの表情が今でも忘れなくて、ずっと思い出として残っている。私にとってかなりショックな出来事だったみたい。
これまでも、ちょこちょここの場面がフラッシュバックすることがあったけど、私の中の恥ずかしい思い出だから口にすることはなかったんだけど、
あゆみちゃんと話していたら頭に浮かんだので止めずに話してみた。
あゆみちゃんが、
「この経験で、どうやったら集団の中で目立つか目立たないかわかったよね。」って言った。
私はこの経験から、目立ってしまうと周りの目が怖い、恥をかく、一人になる。と記憶して、多数側へ流れた方が目立たないことを知った。
家庭環境や、他にもきっかけはあるかもしれないけど、私が周りの目を気にして目立たないようにする癖はこの経験が少なからず作用している気がする。(だって、あの時の空気たるや……w)
大人になった私からすると、1対 全体 を選択した3年生の私は、すごいことしたなと思う。
勇気あるねって、褒めてあげたい!!
確かに、私の中ではクラスのみんなの目が冷たい目だったと記憶されているけど、全員が冷たかったかなんてわからない。
もしかしたら、ミサちゃんそんなこと知ってるんだ〜と思った友達もいるかもしれない。
それなのに私が勝手に思い込み、嫌な経験として作り上げて記憶してしまっていた。
マイルールが厳しい私
初めに書いた”期限を気にする私”にも、その片鱗は見えると思うのだけど、とにかく(天秤座ゆえなのか?)ルールについて厳しいところがある。
その地域ごと指定されたゴミの捨て方や、学校や保育園が独自に決めたルール、「こうしてください。」というルールは絶対破れない。
ルールを守っていない人にいつでも注意できるように、自分は絶対にルールを破れない!
「車で来ないでください」とお便りに書かれていれば、雨でも暑くても歩いて行くしかない。
さらに、決められてもいないルールを作り(年功序列とか、体育会系にありがちな上下関係など暗黙の了解など)、上級生の母には腰を低く、グラウンドでは座らない、など、無意識に古い価値観に従ってマイルールを設定してきた。
そして、”絶対守らなくてはいけないルール”だと縛り付けてきた。
だから、ルールを守らない人も許せなかったし、私はちゃんとしています!と見せたかった。
そう。その謎なマイルールは守っても守らなくてもいい。
守らなかったからって、怒られるわけでもない。
呼び出しをしてくる先輩なんていないし、怒鳴られたりもしないだろう。
きっとご協力お願いしますと言われるくらい。
それなのに、ここでも⭕️❌ゲームで味わった一対多数の怖さが付き纏って、たくさんのルールで縛っておけば安全だろうという考え方になってしまっていた。
まーいっかって全部許せたら、周りを気にせずに過ごせたら、どんなに楽だろう。自分で自分を苦しめていることも、きっとわかってるのに、謎の恐怖にビビっている。
常に恐れを抱えて生きてきたという気づき
あゆみちゃんと話した中で最後に気づいたのは、
私の中には「恐れ」があるということ。
追い込まれる、ひとりになる、冷たい目で見られる、怒られる・・・
そんな恐れを常に抱えてたということ。ずっと怖がっているんだってこと。
気づいてなかった。
当たり前にありすぎて、その恐怖感に気づかなかった。
いくら調子が良くてポジティブな行動をとっていたとしても、頭の、心のどっかにはこの恐れがいた。
大丈夫かな?ってキョロキョロする私がいた。
その恐れの正体って何なんだろうね?
期限が守れない私はだらしない
みんなと同じことができない私は能力がない
冷たい目で見られる私は恥ずかしい
怒られている私はダメなやつ・・・・・・
もしかしたら、何でもできちゃう完璧な人物を私の中に作ってて、
その完璧から外れたことをすると、自分でダメって事にしてるってこと?
そのダメだって気持ちから、怒られたらどうしようって恐怖を感じるようになるのかな。
ようは、自分に厳しすぎるってことか!
(書きながらの自問自答で、まとまらないけど
出て来た言葉を難しく考えずにそのまま採用しています。)
分かってはいるんです。
「自分に厳しすぎる」って、今まで何度も言われたことがある。
そんな完璧な人、なかなかいないよね。多分。
想像してみるけど、そんな人がいたとしたら余白がなくて苦しそうだなって思ってしまう。(なんか鉄の鎧を着てそうな絵が浮かぶ)
私はそんな苦しそうな人になりたいの?
そうじゃないはず。本当は余白たっぷりにゆる〜くハッピーで過ごしたい。
それなら、その「完璧な人」とはさよならするのがいい。
でも、その完璧な人が居てくれたから今までこの世界で生きてこれたかもしれない。要所要所で受けるショックもきっとその人のおかげで軽くなってたかもしれない。私が傷つかないように、恐怖心を抱くことで最小限で済むように守ってくれたのかも。
どこかで聞いたことのあるような話だけど、やっと少し自分ごととして受け入れられてきた気がする。
0歳から今までの自分を褒める・癒す
あゆみちゃんが時々やっている、過去の自分を褒める・癒す方法を教えてもらった。
0歳から今まで、一年ずつ過去の自分を思い出してその時どきの自分を褒めてあげる。
「あの時大変だったけど、今の私こんなんだから大丈夫だよ。」って言ってあげる。
過去の自分を一つずつ認める。どんな私も。
これをしていくと、過去の自分には今の自分が、今の自分には未来の自分が「大丈夫だよ」って言ってくれてることに繋がる。
過去の嫌なことを引きずって、何かに恐れながら過ごすのではなくて、安心感が生まれる。
恐怖心が安心感に変っていく。
そして、私の中の完璧な人にもありがとうって言おう。
「過去の自分を思い出す」って言われた時、即座に嫌だなという感情が出てきた。きっと思い出したくないことが多いんだと思う。
できれば見ずに歳を重ねたいと思ってしまう。
でも、これをするとしないのとでは、何かを恐れながら過ごすのと、安心して過ごすのとで、日々の過ごし方や考え方が大きく違ってくる。
どれだけ、アクションを起こして表面上派手に過ごしていたとしても、この目に見えないところに手を差し伸べなければ、ずっと心のどこかが怖がったままな気がする。
今、私が向き合うべき(”べき”と強くは言いたくないけど)、やったほうがいいなと感じた。
決して無理にこじ開けなくてもいい。
時間のある時、余裕のある時に少しずつでいいよと、あゆみちゃんは言ってくれた。
今の自分と対話する、過去の自分に声をかける。
これって結構時間がかかる。すぐできそうでできなかったりする。だから先延ばしにしてきた節もある。
そんな私はあゆみちゃんにきっかけをもらった。
今回気づけてよかった!思い切って手を挙げてよかった!
あゆみちゃんありがとう♡
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