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京都音楽博覧会2023にて

京都に暮らし始めて早1年弱。「京都で暮らせて幸せだな」と感じるできごとはたくさんあって、そのたびに私はこの選択が間違っていなかったことを実感する。

「京都で暮らせて幸せだな」と感じるできごとが、昨日もまた1つ増えた。くるりが主催するフェス「京都音楽博覧会2023」に参加したからだ。

会場となる梅小路公園までは、家から歩いて20分ほど。散歩がてらフェスに行ける身軽さはなんとも心地がいい。大好きなアーティストが音楽を奏でて、たくさんの人がそれに聞き入っている。普段の暮らしの延長線上にある空間で、その心地よさを感じられる不思議さ。そんな日常と非日常が入り混じった時間を過ごした。

私はいままで10近くのフェスに行ったことがあるのだけど、京都音楽博覧会は、どのフェスともひと味違う空気を纏ったフェスだと感じる。

なんだろう、私が大好きな京都だからだろうか。特別に大好きな街で、大好きな音楽が聴ける空間、そのものが愛おしくて。

ちゃんと音楽を楽しんでいる実感が欲しくて、なるべくステージの前の方でライブを楽しみたいと思っていた私が、この日はずっと後方のシートエリアにいた。前の方で見よう、という妙な焦りを感じずに、ただ後方から見える景色をじっくりと眺めているような。アーティストの顔や演奏している手先は見えない(視力は0.4)のだけど、でもなぜか満足感がたっぷり。

きっと私は、空間そのものが愛おしかったんだと思う。前方で好きなアーティストを眺めたいという気持ちよりも、後方で「この景色を忘れたくない」と思える空間をじっくりと味わうこと。その気持ちが勝っていた。

いっそのこと、1日中ほとんどシートの上に座っていた。そんなフェスなんてある?と昔の自分だったら驚くだろう。焦らずのんびりと、ただいま目の前に広がる空間を味わうことだけに集中していたかったのかもしれない。

おやつに買ってきていたミスドのドーナツを食べたり、しまいには心地いい音楽をBGMに本を読んだりもしていた。なんて自由で心地いい空気なんだ。前方で盛り上がってもよし、後方で寝転がりながら聴いていてもよし。そんな自由が広がる空間で、私も存分に好きなように時間を過ごした。

楽しみ方は、一人ひとり違うんだな、と当たり前のことに気づく。いままで私はフェスに行ったら「せっかくお金を払っているんだから、前の方でステージを見て盛り上がりたい」という気持ちを信じて疑わなかった。自分がそうしたいのではなく、そうであるべきだと思い込んでいた。

けど、そんな肩の荷を手放してみたら。限りなく自由で、心地いい空間が広がっていたのだ。普段の日常から離れて、生身の音楽に耳を傾けながらうたた寝をするのを贅沢だと思ってもいいのだ、と。

ただただ心地いい風と音楽を感じながら、目を閉じていてもいい。それだけで満たされる感覚になるし、それを感じるためだけにチケット代を払ってもいい、と思えるほどの心地いい空間だった。そして、こんな心地よさを、私の大好きな京都で感じられていることが、ただただ幸せだった。

暮らしからちょっとはみ出た空間で、非日常を味わう。それがこんなにも心地よく身体にしみわたってくるなんて。これからも私は、形にできない「空間」や「いい感じ」「心地よさ」なんてものをたくさん集めて、そのひとつひとつに幸せを感じられる人でありたいな。


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