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桜から新緑へ。季節の巡りをこの目で観察すること。

京都の多くの名所では桜が散り始めていて、少し寂しい。せめて少しでも春を長引かせようと、今まさに満開の場所を探てみる。そこで、妙心寺退蔵院の存在を見つけた。ちょうど大きなしだれ桜が満開だそう。退蔵院であれば自転車で行ける。今日は晴れだし暖かくてちょうどいいだろう。よし、行こう、と朝に決めて退蔵院へ向かった。

境内を歩いてすぐに飛び込んできたのは、とてつもない大きなしだれ桜。薄ピンクの花を咲かせて、青空をバックに堂々たる姿で咲き誇る。

桜の好きなところは、否応なしに上を向かせてくれるところだ。何か嫌なことやモヤモヤしていることがあったとしても、桜を見ているときだけは、上を向いていられる。

眩しいほどの晴れた空に目を細めて、ただ「きれいだなぁ」と眺めていられる。春の、少しずつ明るい方へ開かれていく感じがする空気。

そんな風にして、桜の綺麗さに目を奪われてた私は、つい目の前の緑の世界を見逃してしまうところだった。もう4月も中旬、桜が散り始めるのと同時に、新緑の美しさが迫ってきていることに気づく。

この1週間ですっかりと目に見える景色が変わった気がする。ついこないだまで枯れ木だったものが、葉をつけ瑞々しい姿へと変わっている。眼を見張るほどの緑、緑、緑。

こうやって季節は巡っていくのだ。「桜が終わったら、次は新緑」というような明確な区切りなどはない。桜も新緑も、まるでグラデーションのように続いて、巡っている。

桜が咲いている傍らで、紅葉の新緑が深まる。そっと太陽に目を向けてみると、光に透けて揺らめく葉っぱが、言葉に表せない絶妙な緑として存在する。桜を見ていたはずなのに、気づけばその新緑の美しさに魅了されて、ピンクと緑が混在した世界に吸い込まれていた。

季節、太陽の位置、それを眺める角度、そんなものの偶然の重なりの結果が、今見ている景色なのだとしたら、今見ているものすべてが、奇跡のように思えてくる。

二度と見れない景色を1秒1秒見ているという奇跡を感じられずにはいられない。揺れる風の心地よさを存分に味わう。普段は見逃してしまっているかもしれない景色や風、感情、匂い、音、その一つひとつを味わおうとすれば、世界はやっぱり美しいという結論に至る。

そんな、曖昧でグラデーションのように続く日々をいつまでも愛せたらいいな。桜でいっぱいの景色も、しだいに新緑に押し寄せられていく。その変化をずっとずっと眺めていたい。私の趣味は、「季節の巡りを観察すること」なのかもしれないね。

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