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京都暮らし、休日の朝の過ごし方

秋の京都には、たくさんの観光客が押し寄せる。だからか、私は朝の時間に出かけることが多くなった。混雑を避けるため故の、早起き。いつもより少しだけ早く起きて、車も人もまばらな京都の街を自転車で駆け抜ける。

人が数えるほどしかいないひんやりとした静かな街の空気は、京都で暮らしているからこその、ちょっとした幸福をもたらしてくれるかのようだ。

朝6時半ごろに家を出る。自転車で30分の場所にあるお寺で坐禅をするためだ。毎月第2日曜日に坐禅と法話が行われている建仁寺。京都で暮らす前から旅行のスケジュールを第2日曜に合わせて訪れているほど、私はここの坐禅中の空気が大好きだ。

今日の朝の気温は9度。すっかりと冬の空気をまとう朝の時間をひしひしと感じながら20分×2回の坐禅がスタート。普段は呼吸の回数なんて数えないくせに、坐禅をするときにはいつもじっくりと呼吸のゆくえに神経を集中させる。いーち、にー、さーん、しー。ゆっくり、腹式呼吸。

たまに「坐禅終わったら何をしようかな」「お腹すいたな」と、ぐるぐると考え事が浮かぶけれど、慌てて呼吸のカウントへ戻る。深く呼吸をすることで、自分の息が空気に還されてゆく感覚がわかるし、朝の冷たい新鮮な空気を体内に取り入れていることが、じっくりと体感できる。

何も考えないからか、遠くで鳴く鳥の声を鮮明に感じて。深く呼吸をすること、鳥のさえずりに耳を傾けること。自然のままを感じる豊かさを日々忘れて過ごしている自分が少し怖いと思うほどに、意識を研ぎ澄ませていた時間だった。

坐禅をして法話を聞いていたら、時間は9時半に。坐禅中は裸足になるので、身体が芯から冷え切っていた。熱々のコーヒーが飲みたい、とカフェを探す。ちょうど帰り道に行ってみたかったコーヒー屋さん「KAEru coffee」があったので寄り道をした。

深煎りのコーヒーとシンプルなバタートーストを味わいながら昨日の日記を書いたり本を読んだり。何気ない日々はこうやって文字にしていくことで記憶になっていくんだ。

外国のお客さんばかりが来店していて、ここは京都のど真ん中だと思い知る。忙しさの合間にふとお店の人(たぶんご夫婦)が何気ない会話をしているのを聞くのも好きな時間だ。

さらに帰り道には、西本願寺や梅小路公園に寄り道。京都で日常を過ごすことのいいところは、気軽に立ち寄れるスポットがたくさんあるところだ(行きたい場所がたくさんあって、それを選べるという幸福!)。わざわざ、気軽にお寺や神社に寄り道をすることができる暮らし。

イチョウの木がまだ黄色に染まっていないことを確かめて、次はもう少し色づいたら行こうと静かに思う。

バスや電車はルートが決められてしまうけれど、自転車であれば行きたい場所を点と点でつないで自分だけのルートにしていけるのがいい。何にも縛られずに行きたい場所に行くという自分の意志が尊重されるから、より豊かな時間を過ごせるのかもしれない。

こうやってふらふらと寄り道をしていたら、家に帰ってきたのは12時に。なんてことのない休日の朝の時間だけれど、やりたいことをして行きたい場所に行けて、すでにもう心が満たされている。こんな過ごし方が、暮らしの半径5km以内で楽しめてしまう。

この暮らしの豊かさを知ってしまっている私は、京都暮らしを辞めることをしばらくできないだろうな、と辞める気はないくせに、改めて強く思ってしまうのだ。

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