ゆかいに生きていくために必要な、たった一滴の、毒と欲
きれいなだけの、世界なんて。
うつくしいだけの、世界なんて。
なんだか嘘みたいだ、と思っている。
「嘘みたい」と疑う心がくつくつと煮えるのは、うつくしいものに対するうらやましさと同じくらい、退屈を感じるからだ。
むしろ最近は、退屈の方が、うらやましさをずっとずっと上回る。
つるつるピカピカのうつくしさは、きっと文句なしの一級品だろうけれど、
わたしにはちょっとつまらない。
欲望にまみれた下心がはみ出たり、意地悪な「してやったり」感が醸し出されていたりする方が、案外かわいく見えることだって、あるんじゃないのって思う。
たっぷりの毒と欲に支配されてしまったならば、心も体もボロボロになる。
だから、一滴だけでいい。
だって、たった一滴の毒と欲は、遊びを生んでくれるから。
スポイトでインクをぽとりと落とした波紋が広がりマーブル模様をつくるように。
淡々単色より色々雑色。
一滴の毒と欲を、蓋をして見て見ぬ振りしたり、ないがしろにしたりしすれば、どんどん腐っていく。
腐ってゆけば、腐敗は止まらず、きれいなことは中身のない「きれいごと」になるし、うつくしさは虚構の「八方美人」に化ける。
だから、鬱屈と広がる欲望と毒々しい心を、気分に任せてまき散らすのではなく、腐る1秒前の濃縮したたった一滴、きれいな世界に投下!
毒と欲は「実はね……」という枕詞にのせて届く、毒と欲を見て見ぬふりをしない人にだけ効く魔法の薬、ユーモアのもと。
大事なのは、“たった”一滴であるということ。
用法用量を守らないと、自滅する。
世界を愉快にご機嫌に、おもしろおかしく生きていきたいので、自分の中で渦巻く欲望も、クソみたいな底意地の悪さも、食い殺される前に濃縮して凝縮して、ここぞのタイミングで投下する、神器に変えてしまいたい。
どこか「怒りのパワー」をつなぎとめておきたい心の、それと似ているなあ。
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