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キラキラしていてよ、東京。

三年間という期限付きの制度を使って、北海道へ引っ越して、二年半。

あと半年で、いったんのリミットが来る。

最近は──というか移住後二年が経過してすぐ、リミットが来た後のことは、ずっと考えているのだけれど。

「こうなったらいいな」という未来はあるも、そうは問屋がおろさない。

あれこれ声を上げてみたり、プレゼンテーションしてみたりするけれど、なかなか歯車は噛み合わない。

いわゆる就職活動的な経験値は、ほぼ皆無。

だから、強烈に誰かに拒否されるという体験は、良いのか悪いのか失恋のときくらい。

仕事は、わたしを裏切らない。だから今度も、裏切らないと信じている。

けれど、噛み合わないタイミングが続くと──そのお相手がピンときた、とっておきな相手ならなおさら──さすがに消耗するみたい。

「ここに、あなたに居場所はない」と言われているような気がする……というほどは正直凹んでもいないけど、でも付き合いの長い友人たちと気軽に会えたり大好きな本屋がたくさんあったりお芝居も美術館も選び放題だったりするキラキラしているはずの東京が、この一週間、ほとんどきらめきを失って、ただのビル街にしか見えなかった。

インスタで見つけた新しいお店に行ってみても、歩くのが好きだから仕事終わりに夜の都内の街を歩いて帰っても、ほとんどまったく、ときめかない。

特に、ラジオを聴きながら夜の都内を歩いて帰るという行事は、都内に滞在しているあいだ、わたしにとってはとても大事な時間だ。

どうでもいいこと、考え込んでなかなか答えが出ないこと、その日一日嬉しかったことや悔しかったこと──。

その日起きたことを反芻しながら、時々イヤホンから、ラジオのパーソナリティである芸人さんたちのやりとりが聞こえてくれば、フフフとニヤけたりしながら、明るい夜道を歩く。

東京の夜の散歩は、反省と癒しの時間なのだ。

だのに、歩きながら時折横切る、眠らない街並みは、今回はなんだか無理して夜更かししているように見えて、癒されるどころか少し、苦しかった。

閉店した店の前に無造作に置かれたゴミの山とか、細い道で窮屈に縦列駐車したトラックの列、ほとんど誰も通らなさそうな街路で赤い棒を持って立ち尽くす警備員さん、夜道を横切るネズミなんかを見かけると、わたしも行先をなくして夜道を浮浪している匿名の一人でしかない気がしてきて、歩いている最中、もうタクシーを拾ってさっさと帰ろうかと何度も思った。

最近、体もあまり調子が良くなくて(人生で初めて歯医者さんにお世話になったりした)だからなのかもしれないが、不調のキャパがある一定数を超えると、自分が居る場所の彩度も落ちてしまうのかもしれない。

いつもなら、北海道では体験できない、ピリッとしびれるような刺激をくれる街、東京。

わたしは北海道もとても肌に合うから、三年の期限が切れてもなんとかそのつながりを紡ぎ続けたいと思っていて、そのためには東京の力を借りなければならない部分もある(詳しくは書かないけど)。

でも今回初めて「もう東京は、いいかな」と思ってしまったよ。

前ほどの東京に対する期待もきらめきも、なんだかぼやけてしまったみたい。

そしてそのボケ感は、なにもわたしの不調による色眼鏡のせいだけじゃない気がするの。

端的に言えば、不信感。いかさま感。偽物感。

誰かに何かを言われたわけでも、何か決定的なシーンを見たわけでもないけれど、ほのかにただよう違和感に、戸惑ったのは他でもなくわたし。

「あれれ、あんなにキラキラしていた東京が、どうして少し、胡散臭く見えちゃうんだろう?」と、目をゴシゴシしてみるけれど、やっぱり前ほどピントが合わない。

単純に、わたしの人生の舵取りが軌道に乗らないことを東京のせいにしているだけなのかもしれないけれど。

また東京がキラキラ見えるようになったら、わたしの人生の波乗りも、それなりにうまく進むかしら。

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