見出し画像

「東京事変」になりたい

気づけば、毎日聞いている。気づけば毎日、口ずさんでいる。

あまりにもナチュラルすぎて、正直意識すらしていない。

スマホケースもパソコンケースも、愛用しているストールも、あら不思議、彼女のグッズで満たされ、全身ユニクロならぬ全身「椎名林檎」グッズで街を闊歩していることもある。

というくらい、椎名林檎が好きだ。10年以上、愛が止まらない。

が、しかし、今日は彼女が2003年から2012年に解散するまで組んでいたバンド「東京事変」の話をする。

時に、椎名林檎デビュー当時から彼女の曲を愛してやまないひとたちが「東京事変は“椎名林檎”じゃない」的な、「彼女は東京事変で変わってしまった」的な議論を引き起こすこともあるけれど、わたしは椎名林檎のソロ活動も別名義で行っているバンド活動も好きだし「東京事変」というバンドが好きなので、そのへんはあんまり気にしない。

最近、「東京事変」みたいになりたいなあと、強く思う。椎名林檎みたいになりたいなあとは思わないのに「東京事変」みたいになりたいなとは思う。

「どういうこっちゃ」と思われるかもしれないけれど、「東京事変」になりたい、とは、主にわたしの仕事の話のことである。

「東京事変」は、椎名林檎、刄田綴色(ハタトシキ)、亀田誠治、浮雲、伊澤一葉の5名で編成されているバンド。この5人は2期と呼ばれ、1期目は浮雲とわっち(伊澤氏)ではなく、晝海幹音(ヒラマミキオ)、H是都M(エイチ ゼット エム)で編成されていた。

彼らは、それぞれ個人でも活動していて、他のアーティストのバックバンドを担ったり、自分のバンドを持っていたりする。

個別に活動するフィールドがある中で、「東京事変」が彼らの活動の中核にあったかどうかは定かではないけれど、大切な存在ではあっただろうと思っているし、ファンとしてはそう思いたい。

2012年の解散ライブは、「どうして解散してしまうの」と単純に思っていたし、「好きだから別れよう」みたいに言われた気がして「行かないで」とすがる思いで一心不乱にステージを見つめ続けていた。

でも、今ならなんとなく、解散した理由が分かる気がする。うっすらと。

彼らは必ずしも“一緒にやらなきゃいけない”メンバーではなかったように思う。それは、結成理由が「バンドとして売れなきゃいけない」とか「事務所に指示されたから」とか、そういうしがらみがなかったという意味も含む。

でも同時に“このメンバーじゃなきゃできない”バンドでもあったようにも思う。誰でもいいわけじゃない。

というのも、彼らにとって「東京事変」という存在は、全員が、個人として生きていく道の途中の、最高に贅沢な寄り道だったような気がするから。その感覚を、無意識にでも共有していたメンバーだったから、結成し得たような、気がする。

寄り道というと語弊があるかもしれないけれど、なんというか、誰も「東京事変」に依存していなかった。「自分はこういう音楽を続ける」とか「こういうふうなことをやりたい」とか「こうやって生きていきたい」とか、そういう主軸を持ちながら、「東京事変」という別軸の自分も生きる決意をしたように、感じるのだ。

だから、常に「自分はこうしたい」というメインロードがあって、時折魅力的な曲がり角を曲がり、違う景色を楽しみ、またメインロードに戻ってくるという、その生き方の最中に「東京事変」というバンドがあったのだろうと、勝手に推測している。

で、「東京事変」になりたいというのは、つまり、そういうことで。

わたしは大企業にも中小企業にも勤めたことがないけれど、会社には依存しない、と決めている。無論、お金を頂いて生きているわけで、仕事はきちりとこなす、という当たり前のことは踏まえつつ、それでも「会社がなくちゃ生きていけない」とか「会社が自分のすべて」みたいな意識は、ない。誰かに言われたわけでもなく、いまわたしが勤めている会社のメンバーは、むしろその感覚を共有しているんじゃないかと思っている(思っていますよ)。

なぜかというと、自分の足で立って生きていくちからも、知恵も、持ちたいと思っているから。実質が伴っているかどうかはまだちょっと自信がないけれど、でもいざ「解散!」と突然会社がなくなったとしても、なんとなく、なんとかなるだろと思っているし、なんとかできそうな気がする。そういう根拠のない自信は、ある。

まあわたしはただのバカなのかもしれないけど、でも、そういう感覚を多かれ少なかれ共有しているひとたちと一緒にいられることを幸福に思っている。それに、ますます「東京事変」というバンド(チーム)の音楽が、いろんなひとに届けられるようになると、寄り道だった「東京事変」という生き方が、自分の主軸に大いなる追い風になるに違いない。

「東京事変」が解散したのは、曲がり角で見る風景を見尽くしたからだ。一緒に、継続的に、やる必然性がなくなったというか、それぞれのメインロードに必要な要素(音楽的技術かもしれないし、チームとして音楽を奏でる意義かもしれないしそれが何かは分からない)を獲得できたから、「解散しましょう」となったのだろう。

ただ、解散することに対して「どうして?」と思っていたメンバーもいた。「いつかこの日が来るとは思っていたけれど、唐突だった」と感じているメンバーもいたように記憶している、としちゃんとか(刄田氏)。

「この風景を見尽くした、堪能し尽くした」と感じるタイミングは、必ずしも一緒ではない。だから、正直わたしは「いつか終わるかも」という感覚は常に持っていて、それは「いつか死んでしまうかも」という感覚にも等しい。ひとは、いつも、あっけなく、突然に、死んでしまうから。

そういう意味では、“安定”はないなと思う。これは、よく言う「大企業に勤めれば安定だ」的な思想とはまた違う“安定”かもしれない。

でも、「“安定”はない」という思想をお互いに共有し合っていれば、少なくとも安心はする。いつか「解散しましょう」と誰かが言い出した時、「その日が来た」と覚悟する。やっぱり、そう言われたときは、とても悲しいだろうけれど。

「東京事変」の解散は、一緒にやるメンバーのことが嫌いになったとか“音楽性”の違いとか、そういうこととはまた違うと思っている。だから、彼らは「東京事変」という名前こそ背負わずとも、一緒に音楽をやることもある。「ジユーダム」は椎名林檎名義の曲だけれど、演奏しているのは間違いなく「東京事変」2期のメンバーだ。

「東京事変」として同じ道を歩くことはなくなったけれど、同時代に生きていれば、再び交じり合うことはある。ましてや、その寄り道していたときの経験が掛け替えのないものであれば、なおさら。抽象的だけれど、それは「一度会ったひとに、再び会いに行く」ような旅と似ている。実際、ツアーやライブでは1期のメンバーがバンドとして演奏していることもある。

わたしがあまりにもほかのバンドや音楽を聞かないだけで、「東京事変」みたいなバンドはあまたある、もしくはそういうバンドの方がむしろ多いのかもしれないけれども。

至上最高の寄り道を楽しめる、そういうバンド(チーム)の一員として生きていけたら、なんて幸せだろうか。

「東京事変」になりたい。そう思うようになって、それぞれの道が交わり、離れ、また再び交わり、そんなことを繰り返す生き方が、楽しくなってきた。ひとりで生きていくメインロードへの意識は常に持ちつつも、たくさんの贅沢な寄り道とそこで見た景色が、わたしを前に進めてくれる。

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。