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感情で語ろう。

言語化とは手段である。
文脈という武器を使って強度のあるように見せることは、説得力としては強力ではあるが、脆くもあります。
それは文脈の多くが人間というものを中心として考えられていることの、誤解を恐れずにに言うと「狭さ」からくるものではないでしょうか。

庭園美術館で開催されている「ブラジル先住民の椅子展」を見てそんなことを考えました。

ここで展示されている椅子たちは「意味」を語りません。感情のみに訴えかけてきます。
我々の「椅子」という観念はそこにはありません。
そして人間は「中心」に位置しません。

人間はヒエラルキーの頂点ではなく、自然を構成する中での一員です。
神を信仰する存在であり、平等であるとか不平等であるとか、そのような観念さえも存在しないように感じられます。
(展示の中で「位の高い男性がこの椅子に座った」と言った解説があるが、そのような不平等さも自然観の中で語られる。)

人間は言葉で物事を分節し、名前をつけ、それをあたかも自分たちのために存在するもののように扱ってきました。
それが過度に「所有欲」を満たすためや、ひいては「拝金主義」に陥ってしまう原因となってしまったのではと思います。
物質的には豊かになったのかもしれませんが、それは幻想を追う行為であり、それで人々が皆幸せな社会であったかは疑問です。

人間のための社会ではなく、人間は社会のための一員です。
そこには言葉にしない、純粋な感情で対話できるシステムが必要ではないでしょうか。

とても考えさせられる良い展示でした。
伊東豊雄さんによる会場構成も美しかったです。
いろいろ語りましたが、単純に椅子はかわいいので眺めるだけでも楽しいです。
9月17日(月)までの開催ですので、ぜひ足を運んでみてください。

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