オンラインサロン考

承認欲求互助会という仕組み

この記事を読んで、いろいろ考えた。

キラキラ…まではいかなくても、近いところには足を踏み入れたことがある身としては、耳の痛い話だ。
承認欲求互助会のようになってしまう構造は、起業ビジネスだけではない。怪しげなマルチやカルトはもちろん、パフォーマンス界隈やスピ系、コーチング、ワークショップ等々…どこかしら片足突っ込んでる人が多いんじゃないだろうか?

もちろん、それが必要なタイミングもあるので、全てが悪いわけではない。(医療人類学のクラインマン的にいうなら、それらは民間セクターや民俗セクターの役割を担うこともあるだろうし)
ただ、問題は内向きに閉じていってしまうことだ。

本来、起業コンサルタントは「専門セクター」のはずなのに、一部のキラキラコンサルは事実上「民俗セクター」のようになってしまっていて、その実情に本人たちが気づいていないことだろう。
バランスを取る視点というのは本当に難しいし、精神的にも結構修練が必要だ。

でも、それが出来ていないと何となく気持ち悪いという感覚を出来るだけ多くの人が持つことが「社会の居心地の良さ」に繋がるような気がするのだけど…それもまた綺麗事だろうか?

オンラインサロンとファンクラブ

承認欲求互助会の代表は、何と言ってもオンラインサロンだろう。
でも、本来のオンラインサロンとはそういうものではないはずだ。

であれば、主宰のカリスマ性を強調していくようなオンラインサロンは「ファンクラブ」と言った方がいいのではないか?
具体的には、主宰者を褒め称えたり、持ち上げたりするような空気感があったり、主宰者に会えることがサロンの最大のメリットであることを打ち出しているような場合。
これはもうサロンじゃなくてファンクラブだろう。

サロンは会員同士の交流が主目的で、主宰はサロンの方向性を示すのが役割だ。
イベントも、主宰に会える楽しみはありつつ、会員同士の交流がなければ成立しないものでなければサロンとは言えない。
サロンはサロン内で醸成されたリソース拡散していくものだが、ファンクラブは内向きに集約していく。
リソースはクラブ内でしか回らない。

どちらかが悪いわけではないが、個人的な好みや相性はある。
自分が好きなのはファンクラブなのか、サロンなのか。
それを見極めることが、自分に合ったコミュニティ選択のキモになるのだろう。

ただ、実際ファンクラブではないオンラインサロンはどのくらいあるのだろう?
かなり注意深く運営しないとサロンとして成立しないので、絶対数はかなり少ないはずだ。
私はサロンに興味はあるが、ファンクラブには興味がないし、どちらかというとやや嫌悪感さえある(アーティストやアスリートなど、いわゆる一般的なファンクラブはこの話には含まない)
場づくりとしてのサロンはやってみたいけど、周りを見渡すとほとんどファンクラブばかりだ。
ロールモデルになるサロンは、今はもう解散してしまった(コロナが落ち着いたら再開してほしい)。

カリスマは、気持ちいい。
カリスマ的に扱われる快感を一度知ってしまったら、自己抑制が必要なサロンには戻れなくなるのかもしれない。
それでもいつか、サロンに挑戦してみたいなと思う。
サロンと言わなくてもいい、なにかの場を作れたら。
今はそう思う。

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。