12/12 思考の整理

文章にして綴ると、どうもロマンチックになるような気がする。

これまではあえてロマンチックに仕立て上げていたように思う。
自分の考えが儚く美しい響きを纏っていくのが快感だったのかもしれない。

でも今、まさに書きながら変に脚色しないように留めているような感覚がある。

この1年で、人は酔いたい生き物なんだと痛感させられた。
それはそれで悪くなくて、そんな風にロマンチックに脚色していく人生も素敵だと思う。

私もそのひとりで、ドラマを生きたかったし、無意識に脚色しちゃうくらいには常にほろ酔いで生きていたんだと思う。

心のうちでは喜びや悲しみが次々と入れ替わり、豊かな色彩が出来上がる。

淡々と過ぎていく日常じゃつまんないから、その色彩を外に出してもう一回味わってみる。

せっかく文章に綴るからには、それをもっと綺麗に脚色してみる。
ラメでコーティングするみたいに美しく、よりドラマチックに。

そうする為に文章を書いてたのかもしれない。
勿論それだけじゃないにしても、多分にそういう部分があった。

だけど今は、なぜかそういう書き物に心が動かないから、自分もそうやって書けない。

わざと酔う必要がなくなってしまったんだと思う。
脚色するまでもなく、生きてることそのものが当たり前のようにミラクルで奇跡の連続なんだとわかったから。

奇跡の連続だなんて、どこかで聞いたことのあるような、自分で書きながらむず痒くなる言葉でしか表現できない自分にゲンナリした。

でもそうなんだよね。
朝起きて、水をのんで、排便をして…
もうそれが、なんかすべてなんだよね。

すべてのことが異様に豊かで、おかしくなりそうなくらい。
だから、あえて自分の日常を綺麗に脚色すると、ひっくり返って全部ウソっぽく感じてしまう。
そういう表現が素晴らしい人もたくさんいて、いいなぁと思うものの、自分がやるには違和感が強くなってしまった。

もうラメのコーティングはいらないらしい。
だけど、なんかやっぱり受け取ったものだから外に出したいし、出さないと循環できないなぁと。
人間、やっぱり巡らないと死んじゃうね。

ただの日記なら書けるのかなぁ。