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瀬戸内寂聴さんとわたし


瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました。

わたしが寂聴さんの著書を最初に読んだのは小学生の時で「かの子繚乱」という岡本太郎さんのお母様のことを書いたもの。

岡本かの子さんは血液までねっとりしているんじゃないだろうかと想像しちゃう熱い情念の方なの。子供だったわたしが驚いたのは「痔の手術で入院した病院でであった若い医師を好きになり夫の一平さんも息子の太郎さんも一緒に暮らした。」の件。あ、うろ憶えだけれど。

「着飾って出かけた先」ではなく「痔の手術」で恋人を見つけるって広い世の中には選ばれた「女の天才」という人がいるのね。と自分のパッとしない将来を薄々感じながら読んだのよねえ。

それ以降寂聴さんの作品は殆ど読んだつもりだったけれどもいまwikiで調べるとああ読んでいない本もあるのだわあ。ん?宇野千代さんのことを書いた本もあるわと早速amazon で買っちゃった。

本棚の中で一番多いのが寂聴さんの本。あ、山川紘矢・亜希子さんの本は別の本棚にはいっている特別枠なの。

多感(とされる)年齢で寂聴さんの著作を知り、友達少ないお出かけしないテレビもあまり見ないので本ばかり読んでいた。

もう古すぎて誰も憶えていない脳内メーカーってのでわたしの脳味噌の本についての内容を調べたら40%は寂聴さんだと思う。

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寂聴さんと佐藤愛子さんと宇野千代さんが最も深く読みこんだ女流作家なのに自分の人生は手堅く専業主婦と決めていたのだから学ばない人間っているよね。寂聴さんと愛子さんはお子さんを置いて出奔しているし、千代さんの恋愛遍歴を喝采の気分で読んでいたのになあ。わたしの人生はドラマティック要素ないのよね。

寂聴さんの著書は殆ど女性が主人公で、その中で「ホント性格悪いよね。でも好き」というのが美貌の高岡智照尼という元有名な芸者→出家の方のことを書いた「女徳」という作品。

美人で絵葉書のモデルになるくらいの人気芸妓なんだけれども恋人とのもめ事で自分の指を切り落とすくらいの気性の荒い女性なのよ。でね、散々色々あって結局出家するのだけれども、ある時その庵に美貌の若い男性が訪ねてくるわけ。夜中に智照尼さんは彼を誘惑するのよ。出家してもメンクイの心は消えないの。煩悩は燃え盛ってるのよ!すると美貌の若者は「やめてください!実は僕はあなたの息子です!生き別れの母に会いたくて訪ねてきたんです」って言うの。昔どこだかで(外国だったかな。忘れた)こっそり産みおとした息子だったのよ。でね、それを後悔し恥じるどころか「もう気持ち悪くてゾ~ッとしちゃった」って語るの。あ、これかなり昔に読んだので間違いがあるかも。知りたい方は自分で読んでね。

しかもね、芸妓時代から智照尼さんに恋焦がれて出家のときにもついてきて身の回りを世話する男性がいるの。名前忘れたけど。滅私奉公なのよ。谷崎潤一郎の「春琴抄」の佐助みたいって陰で言われているのよ。恋焦がれた智照尼さんには手も出せずに煩悩に苦しみながらずっとずっとお仕えするの。泣けるわよ。みんな佐助欲しいよね。うちの庭の草むしりもして欲しいわよ。電球取り換えたり燃えないゴミと燃えるゴミ分けたりついでに家庭菜園でパクチーでも作ってほしいよね。その働きモノ庵主さんの文字通りシモベの佐助さんなんだけどいつの間にか庵で引き取った若い孤児の女の子と所帯持っちゃうんだけどね。あれ?やっぱり若い子好き?

でね、時は過ぎてその佐助さんがお爺さんになって病気になって死にかけちゃうのよ。その時に智照尼さんは「わたし昔から汚い年寄りと病人が嫌いで。ヒー」みたいな事言うの。酷いよね。あれ?出家するって仏様にお仕えするんじゃなかったっけ?ってもう笑っちゃうわよ。あはは。ヒトって変わらないものなのねえ。こういうことを書いちゃう寂聴さんが好きなのよ。

女性を主人公にした著作が多いのだけれども、わたしが「この男性好きーー!」とアイドル化しちゃうのが「美は乱調にあり」の大杉栄さんとそれと怖れ多いのですが「釈迦」のブッダと「手毬」の良寛様。いま調べたらもう三冊とも古本しか売っていないのよ。

美は乱調にあり」は伊藤野枝さんが主人公なのだけれども、どうしてこんな毛深くて着物の着方がだらしない体臭のキツイ女がモテるんだ?と(前夫辻潤も色男)口惜しい気持ちになるのだけれども、大正時代のアナーキストで日陰茶屋事件でも有名な大杉栄のモテ男兼ダメ男兼侠気ぶりにうっとりしちゃうのよ。かっこいいのよねえ。子供に魔子とか(眞子じゃない)エマとかルイズとかつけちゃうあたりはキラキラネーム?(森鴎外の子供も於菟とか杏奴とか不律とか有名人の子供じゃなかったらグレる系だけど)まあとにかくわたしは日本人離れした風貌や白いスーツ姿、そして子煩悩な大杉栄にうっとりしちゃうのよ。

そして畏れ多いけれども「釈迦」に書かれているブッダはとっても素敵!って熱心な仏教者に聞かれたら責められそうだけれどもなんたって閲覧数の少ないこのnoteだから大丈夫。この「釈迦」に魅了されて仏教についてかなり調べちゃうわたしって「まんがこども三国志」を読んで歴史が好きになる小学生と変わらないわよね。「ブッダのお顔を見てお声を聴くだけで軽い病気は治ってしまう」と村人婆さんが言う場面で(うろ憶えだけどこんな感じ)「わかる!わかるわよー!」と膝を打つ仏教者じゃないわたし。身を削って書いた寂聴さんゴメンね。ブッダもゴメンね。

そして「手毬」は70歳の良寛様と30代の美しい貞心尼との文通から始まる交流なの。これはね、全国100万人の年上好き、お爺さん好きな女の子には必読の書よ。良寛様(70超えて枯れ木状態でステキ)が「あいたし」と手紙を書くってね。ああ、わたしだって!子供の時から子供嫌いだったわたしだって!不器用で定評のあるわたしだって。貞心尼みたいに村の子供にうまいこと言ってぜんまい集めさせて(ぜんまいの新芽の綿毛を摘んで手毬に詰める気の遠くなるような面倒な作業)美貌を生かして色男の旅の物売り(名前忘れたけど貞心尼に惚れてる)にタダで色糸貰って美しく仕上げて良寛様に贈りたいわよ!って100%無理、全ての条件をクリアできないのだけれど思っちゃうのよ。

もう死にそうになっちゃう良寛様の下の世話をする貞心尼。羨ましい!わたしも良寛様を看取りたいわよー!「じゃあ介護の仕事につけよ」って言わないでね。わたしはね、良寛様のお世話をしたいのよー!

寂聴さんの著書について語ると止まらないわよ。(飽きて途中で読むの止めた人いる?)これを読んで誰か寂聴さんの本を読んでくれるかなあ。わたしは源氏物語も寂聴さん版が一番好きでかなり読み込んでるわよ。

そして「孤独を生ききる」は古びて買い替えるほど読んだわ。わたしは寂聴さんや宇野千代さんのような華やかな人生ではないけれどもやっぱり辛い時代も長かった。人って心が傷ついたときにしか沁み込まない文章ってあるのよね。

寂聴さんの墓碑銘は「愛した書いた祈った」なのよ。確かそういう題名の本もあったような気がする。わたしはなんだかこれは敏腕編集者がつけたような気がするんだけどなあ。編集会議で「キャップ!これでいきましょう」って。

でもかっこいいよね。みんな墓碑銘何にする?死ぬのはまだ嫌だけど墓碑銘を考えるとなんだかワクワクしない?やっぱり三拍子よね。井脇ノブ子さんの墓碑銘は「やるきげんきいわき」かな(ねえねえ、葉月里緒菜のデビュー当時のキャッチフレーズは「やる気元気ハズキ!」だって知ってた?)

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わたしの自分の人生の3つのビッグイベントは

「生まれた産んだ死んだ」なんだけどそれじゃ「ゆりかごから墓場まで」みたいよね。

やっぱり「食べた寝た笑った」かなあ。

あ、わたしお墓は作らないんだった。大事なことなのに

すぐ忘れるのよ。







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