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精神病院で生きていた話 その19

病院で流行っている挨拶がある。
手を狐にしてパクパクさせながら「ぴよぴよ」という挨拶だ。
ぴよぴよと言ってもいいしジェスチャーだけでやってもいい。
僕がふざけてやり始めたらなぜか流行りはじめた挨拶だ。
 
ある日のロビー。
「次に流行る挨拶を考えたいな…」
「もういいよ、ぴよぴよで十分でしょう」
「ザッハトルテ!というのはどうかな」
「意味が分からない(笑)」
 
すると公衆電話の前に最近入院してきた女の子が現れた。いつも本を読んでいて僕らとはまだ話したことがない子だ。僕は仲良くなるチャンスかなと思い、勇気を出してみた。
 
「ザッハトルテ!!」
 
すると女の子はうろたえながら
 
「あの、あの、で、で、電話帳はないんでしょうか?」
 
混乱しながらもザッハトルテをスルーされた事にみんなで笑った。
その後、その子を交えながらみんなでお話をした。その子は名前を里桜ちゃんと言うらしい。
音楽をやっていて
 
「退院したらEPが出るんだ。」
 
などと言っていたので本気でやっているんだなぁと感心した。
里桜ちゃんは読んでいた本をオススメしてくれた。
 
「この本、面白かったよ。良かったらあげる。ブックオフで買った本だし。
 入院に備えてブックオフで本を買ったら5000円くらい使っちゃって…
 ブックオフでそんなに使うなんて思わなかったよ…」
 
たしかに本をみんなにくれるが本が無くなる気配はない。
 
「貰うのは悪いし、退院するときに病院に寄付して帰るよ」
「うん、それもいいとおもう」
 
深夜のロビーでそんな話を二人でしていた。
叫び声とドアをドンドンと激しく叩く音が響いていた。
 
「あの声、女子棟まで響いてくるんだよ」
 
あの部屋には髪の長い40代くらいの男性が入っている。
見た目とガタイの良さからみんなに「長州」と呼ばれていた。
長州はドアをガンガン叩いている。
 
「うーん、あれはどうにかしないとなぁ」
 
夜勤看護師の西東さんが出てきた。
 
「あれはちょっとうるさいですよね」
「うーん、鎮静剤注射しないとダメかなぁ」
 
と言うと同じく夜勤の安武さんと話していた。
するとナース室に戻りどこかに電話をかけている。しばらくすると2人ほどの看護師がロビーにやってきた。
応援の看護師らしい。
 
「じゃあ僕が話してみますね」
 
西東さんは部屋に入っていく。
 
「うわ!」
西東さんの声が聞こえる。部屋から看護師たちが出てくる。
 
「うーん、脇に一発もらっちゃったよ。ボクシングやってたのになぁ。」
 
看護師は格闘技経験者が多い。暴れてる患者をいなすのに必要なのだろう。
 
「無理無理」
 
と言いながらナース室でまた電話をかけはじめた。
すると5~6人の看護師がやってきて、皆で部屋に入っていった。
 
「アベンジャーズみたいだね…」
「うん、頼りになりそうだ」
 
里桜ちゃんとそんな話をする。いつも接している看護師たちがこんなに心強く感じたのは入院してから初めてかもしれない。
 
数人の看護師に押さえられながら長州は保護室へと連れていかれた。
里桜ちゃんは虚ろな目をして
 
「私ここにいちゃいけない気がするな」
 
と言った。その数日後、里桜ちゃんは退院していた。入院して2週間ほど。スピード退院だった。
こうして病院の人々はどんどん回っていく。一期一会。それぞれの生活に戻っていく。
僕は自分の生活に戻るのがとても怖くて退院していく人たちがすごいなと思っていた。
みんな強い、看護師も里桜ちゃんも長州も。みんなその強さに気づいていないだけなんだな、と僕は思った


実話をもとにした創作精神病院入院記です。
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