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おばあちゃんの入院

2023年5月9日
GWが明け二日経ち、世間は普通の火曜日。

今日は家族全員が休みをとって
祖母が入院している病院に行った。

私が小さい頃からずっと一緒にいた祖母。
ばーばと呼んでいる。

今日という日はここ最近で1番心がギュッとなったので
しっかり収めておこうと思う。


つい数時間前に地元で衝撃的な経験をして
東京に帰ってきた今、
とっさに入ったカフェでこれを書いてる。
なんなら今も人目を忍んで涙流してる。笑

自分の記録の為にあったこと全部書くので長いです。



遡ること2週間前。
4月末に体調を崩し、とある病院に入院していたが
もう少し詳しく検査をする必要があるとの事だったので
今日転院することになった。


今年92歳になるばーば。
私は高校卒業以来、実家を出ているので
1年で数回の帰省時にばーばと会う感じ。

なので今日のばーばとの対面は
入院前の元気な姿以来。
(コロナの影響で面会が制限されているので)

もう92歳だし、2週間もベットで寝ている生活となると
筋肉も衰えちゃうはずだし、
喋ったり考えたりすることも日常よりは必然的に減るだろうから
もしかしたらかなり弱ってるかも。と覚悟はしていた。

実際……
病院から出てきたばーばは細く小さくなっていて、
車椅子に乗っていた。表情もなかった。

ちょっとびっくりしつつも平然を装い
美里だよ!と声をかけると、
「よく来たねぇ。」
絞り出した小さな声で答えてくれた。

明らかに衰えてるし
自分が知ってるばーばの姿ではなかったけど、
一声目がそれで嬉しかった。


これから車に乗って移動するよ、と言うと
「トイレに行きたい」と言うから
じゃあ行こう!と。

ここら辺からなんか自然と涙が出てきて、
ずっとこらえてた。
(振り返るとこのタイミングではなぜ涙が出てきたのか言語化出来ない。)

叔母ちゃん(ばーばの娘、私の父のお姉ちゃん)の目もうるんでる気がして
それもまた泣けてきて、
あー、ばーばの前では泣かないようにしないとと思って必死だった。


一人で立ち上がったり歩いたりできないから
もちろんトイレも一人で出来ない。
車椅子から便座に移動させてあげて、
ズボンとおむつを脱がせてあげて。

全っ然、嫌じゃない。ほんとに。
けど、今まで自分がお世話してきてもらったばーばのトイレを手伝うのは
なんだか本当に心が辛くて
ああ、こうやって人って年老いていくのかと実感した。


なんやかんやでトイレ終わって車に乗り込み、
転院先の病院に移動。

ばーばの隣に座って、用意してきたプレゼントを渡した。
お手紙、お花、猫の本、家族とクロノスケ(ペットの猫)の写真、ノートとペン、簡単なパズル、黒猫の絵が描いてあるハンカチ。

猫の写真見せると、
「クロ」「ロシアンブルー」と発し、覚えてた。よかった、安心。

だけどばーばの横にいる間はずっと涙堪えてて、
マスクで隠しながらずーっと鼻かんでた。
多分ばーばは私が隠しながら泣いてること分かってて、
「どうしたの?」って覗き込んできた。一瞬だけ。その後は何もなし。


もうバアちゃんだから
ボケちゃってる部分がほとんどなんだけど、
美里が青山学院に通ってた、とか
お父さん・叔母ちゃん・お兄ちゃんの息子の名前ははっきり覚えてて
嬉しかった。

ばーばからもらった指輪を私がつけていたので
こればーばから貰ったんだよ、覚えてる?というと
「うん。美里が付けて。」
と。
うん、これからもずっと大切にするよ〜


そんな会話をしてると15分程で病院に着いた。
車椅子に乗って、病院の前まで向かう。

規制が厳しくて病院の入り口からは
付き添いが二人しか入れないので、父と叔母ちゃん以外はここまで。

私はその足で関東に戻る予定だったので
そこで一旦お別れ。
写真撮って、手を握って、またねと言ったら、
最後の最後に涙あふれ出してしまった。堪えてたもの全部出た。
ばーばとおとうと叔母ちゃんの前では見せまいと思っていたが…
すまん。

実の息子・娘って、こういう時なにを思うんだろう。
孫の私は気遣いもできず、感情ダダ漏れしてましたが……


”お別れ”って言葉、できる限り使いたくないし
縁起でもないこと言うつもり無いけど、
ここまで弱ったばーばを見たら
もしかしたら明日にでも旅立つかもしれないし、
はたまたこっからあと10年生きるかもしれない。ってリアルに思う。

人は遅かれ早かれいつかしぬ。
もちろん長生きしてほしいけど、
‘死と向き合う’ ’受け入れる’ことも
大切なんだよね。

それをすごく感じた。


とはいえ
弱った身内を見るのって正直かなりつらい・・・


まぁこんな状況で何より大事にしたいのは
本人が、どんな’最期’を望んでいるか?なのかな。

その上で、
自分にできることってなんだろう。
って考えて、できる限りのことをやる。

自分自身に残された余生を真剣に考えて、生きる。

・・そうやって後悔しないように
大切なひとを送り出して、
自分の人生をまっすぐ生きていくしか無いんだよなぁ。

そんなこと考えてました。


でもほんとに、
人って”最期”に何を求めるんだろう?


自分はどんな死に方したいかな、と考えたら
単純に”やりっきた老衰”で、
弱った姿は身内に見せず
元気なお婆ちゃんの記憶のまま病院でそっとひとり死にたいなぁなんて思った。


ばーばは残りの余生に何を望むのか、
もう半分ボケててちゃんと会話できないから
はっきり汲み取ることは難しいかもしれないけど。

何はともあれ
今日このタイミングでばーばに会えて、よかった!
弱ってても、ちゃんと生きてるばーばに会えてよかった!

ばーばの残りの余生が充実しますように。



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