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勝手に留年方式~ところてん禁止条例~

 あっという間の1週間。
 子どもの学校行事や色々なことが重なってバタバタしていたせいもあるんだけれども、でも実のところ睡眠時間が削られているのは・・・

 ドクターマリオ廃人状態だから。

 テトリス99の次は、これまた似たようなドクターマリオかよ!
ってぜひともつっこんで欲しい。

 いやしかし、こういうシンプルゲームの沼にはまりやすい脳って絶対あると思う。というのもこの間帰省した時に久しぶりに会った親友も、1年くらいポコパン(テトリスに似たLINEゲーム)廃人だったと言っていたからである。年に1度会うか会わないかという私たちなのだが、遠く離れていてもびっくりするくらい同じことをしていたり、思っていたりするという摩訶不思議。似た脳同士は、惹きつけられるものも自然と似通ってくるということなんだと思うんだけど、毎回ビックリして笑い合えるという幸せなことといったら。

 というわけでドクターマリオ沼を満喫しすぎてたんだけれども、ムスメ氏の中間テストの直し(復習)も連日一緒にしていた。私もまた懲りずに全力でテストを解いてみたんだけれども、悔しいことに100点とれないんだよなぁ。がっくり。なんて残念がっている親はおそらくあんまりいないだろうし、よくそんなことするよねって言われるんだけれども、基本私は教科学習が好きなんである。私にとっては、ドクターマリオも教科学習もおんなじ感じ。「あん!?なんで?どうやったらうまくいくん?」と考えてるのがちょっとした快感になっているってだけで、勉強(教科学習)好き=立派ってわけでは決してない。

 それにしてもテスト勉強なるものを(放っておいたら)ちっともしないムスメ氏であるが、「多少なりともやったら点数があがる」っていうことを実感してもらいたくて、今回の定期テストは直前に介入してみた。そうしたら軒並みどの教科も点数が上がり、ムスメ氏からも「次はもうちょっと前からやったら〇点とれるかも~」なんて前向き発言が飛び出てきたので、ハハの目論見は一応大成功。中学生になって突然「定期テスト」なる未知の世界に放り込まれた感の強かったムスメ氏だったけれども、半年かけてようやくテストなるものの意味を経験的につかんでくれたみたいである。

 ただまぁ点数に一喜一憂しても仕方がないわけで、テスト前の勉強以上に大切なのは「テストで間違えたところの解き直し(復習)」だと思っている。計算問題の間違えひとつとってみても、単なるケアレスミスなのか、それとも計算のルールが入ってないのかで、その後の勉強の仕方も変わる。また「自分なりに力を入れてやってみたけど思うような結果が出なかった」のなら、試してみるのは「もっと頑張る(根性論)」ではなくて、「勉強の仕方を変える」である。英単語ひとつとっても、「書いて(運動として)覚える」のか、「見て(写真記憶として)覚える」のか、「聴いて(歌のように)覚える」のか、あるいはそれらをミックスして自分にとっての最適な形を模索する必要があるのかどうか、振り返ることが大事だと思う。結果(点数)以上に、「自分の認知特性に合った勉強の仕方」を探ること、それを厭わないというスタイルを確立すること、がその後の学びを大きく左右すると私は思っている。

 テストが終わってずいぶんと経つのに、まだ全ての教科の復習ができていないようなのんびりカメさん状態なんだけれども、ムスメちゃんには「今日は一日レジン(アクセサリー作り)に没頭したい」という日もあって、それこそ朝から晩までずっと「楽しい♪」と言いながら手を動かし続けてハッピーになっているんだから、「それでいい」と私は思っている。「勉強」か「自分の好きなこと」のどっちか選ぶ2択じゃなくて、「どっちも自分のペースでやってくれ」に尽きる。中学(義務教育)はあと2年半しかないんだから、そんなペースで大丈夫?と思われるかもしれないが、実は我が家。

 「勝手に留年方式」

 を取り入れることにしたんである。現状公教育は「できていようが、できていまいが期間終了したらところてんみたいに押し出されてしまう」のであるが、西尾家は「ところてん禁止」条例を制定した。具体的にどういうことなのかというと、

 「中学卒業程度の学力がついたと認められないと(中学の基礎学力確認テストで合格点をとらないと)、高校受験はさせない(お金は出しません)。=テストに合格するまで留年するか、自分で学費を稼いで高校へ行ってくれ。」

 という非常にシンプルなお約束である。別に高校は義務教育ではないので、勉強したくないなら行かんでもよろしい。お勉強したくないっていうのは別に怠惰だとかそういうことではなくて、教科学習的なものに魅力を感じないタイプ、っていうだけだと私は思っている。だから自分が好きなもの、いきいき取り組めることを選んだっていいわけで、それは個人の選択である。でももっと勉強がしたいとか、自分の好きな道に進むために進学する必要があるっていうなら全力で応援する。ただしそうであるならば、理屈的にも「中学で身に着ける基礎学力」がきちんと獲得されていなければ「その後」につなぐわけにいかぬ。基礎学力がついていないのに、時期がきたら「みんなが行くから」「自分が行けそうなところを選んで」受験するという道は、西尾家ローカル条例で認められていない。「高校行きたいなら、何年かかってもいいから基礎学力をつけてね~。」というわけで、中3で基礎学力がついていないと判断された場合は中3での高校受験は認めず、高校浪人してもらうことになる。もしかしたら厳しい条例のように思われるかもしれないけれども、見方をかえれば「お勉強のんびりコース」を独自に新設したということなのだよ。ゴールは「時期がきたら中学卒業→高校進学」じゃなくて、「中学卒業程度の基礎学力をつけること」として、そのゴールまでの期間設定を単に取っ払っただけにすぎない。「ゴールに向かって3年間で必死にがりがり勉強する」以外に、「好きなこともしながら、のんびり自分のペースで勉強できる」選択肢を用意したというわけである。

 この条例案を提出すると、「ムスメちゃんは面倒くさい親のもとに生まれちゃったなー。でもしょうがないよねー。」と爆笑するオット氏であったけれども、高校浪人を認めるなんて超絶やさしくね?レジンなりゲームなり、好きなことに取り組んでいるのに、「そんなことしてないで勉強しろ」と受験をちらつかせて脅されたりもしない。まぁでも「自分が今していることの責任を自分でとらさせる」という厳しさはあるかもしれない。「あぁっ。あの時レジンに没頭しすぎたせいで一浪する羽目に。」って本人は思うかもしれないよね。いやムスメちゃんに限っては、「だってレジンしたかったんだもーん。」とあっさり受け入れそうな気配が濃厚・・・

 ところでこの中学程度の基礎学力テストを既存の民間試験に頼るか、オリジナルを作成するかで迷っている。オット氏は「みーちゃんも一緒に勉強して、自分で作ったらいいじゃなーい。」と簡単に言ってくれるけれども、その労力!半端ない!!っていうか、また変に懲り始めて「作問沼」に自らはまって「やめられないとまらない」依存症モードになりそうな気が・・・

 まぁとにかく今の子どもたちが置かれている状況っていうのは「超高速ベルトコンベアー」にのせられて、時間いっぱい何でもかんでもやらされていっぱいいっぱい、という感じに思えてならない。ベルトコンベアーから降りるのには勇気がいるようだけれども、でも正直変化のスピードが速いこの社会が10年後どうなっているのか分からないような中で、今までと同じベルトコンベアーに乗せることのほうに私は勇気を必要とする。だから汎用性の高い基礎的な力をつけて、あとは「自分の好きなこと、居心地のいい場所へ向かっていける力を潰されないように」ぼちぼちのんびりのびのびと、楽しくやっていって欲しいと願っている。戦争経験者たちが「戦前の空気がする」と警戒するようなきな臭い雰囲気が漂うこの日本で、心身病む直前まで文句言わずに耐えることのできる「規格」として売り出される人間ではなく、規格外としてさっさととんずらして、自分が自分らしくいられる環境を自ら作れ。そして。

 生き延びろ。

 大げさな!と思う人は、わが国の年間自殺者数の異常な多さを考えてみてね、としか。

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