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丁寧な暮らしなんてどうでもいい。ただ、生きていることを実感したかっただけ。

東京で会社員だったとき、生きることに、そして食べることに必死だった。毎日、朝ごはんもほどほどに会社に行き、昼になったら混み合っているエレベーターで外に行き、ランチをする。

夜は仕事をしながらコンビニで買ったご飯を食べるか、もしくは家に帰って何を作ろうか、と考える。1日3食も食べるのって、大変で気が重い。社会人になりたての頃、気合を入れて素敵な曲げわっぱのお弁当箱を買ったのに、毎日おかずをつくる余裕なんて全然なくて、断念した。

冷凍食品ですら、詰めるのがしんどい。社会人になるまでは、ご褒美だった外食もいつの間にか「特別」なものではなくなり、むしろ家で食べるご飯が貴重な時間になった。そんな生活を1年間続けていたら、大げさかもしれないけれど、本当に自分がいま、生きているということが信じられなくなった。

生きていることを確かめたい、そんな切実な思いを抱いた時に、偶然ある女性との出会いがあった。前髪はパッツン、丸メガネの下には大きな瞳。元気ハツラツと話す彼女は素敵だった。

彼女は、都内の会社で働きつつ、千葉県の匝瑳市で、田んぼと畑を借りているという。こんな可憐な女性で、しかも会社に勤めながら農業ができるのか、と衝撃を受けつつ、そんな彼女みたいになりたくて、「私でもできますか」と思わず声をかけてしまった。その後、気づいたら彼女の紹介で田んぼを借りられることになっていた。

「無農薬の田んぼで機械を使わずに米を作る。」どこかでみたことがある一節だ。製法にこだわっているのね、という感じ。よく目にする概念や言葉は、軽く使いがちだ。自分もよく「オーガニックの…」なんて気軽に口にしていた。その後、田んぼを借りて半年間、たったそれだけだが、自分が今まで多用していた言葉がいかに実のないものだったか気づいた。

足を田んぼにそっと入れた時の、なんとも言えない土の柔らかさ。膝まで水がくるので、転ばないように神経を手足に向けると変な動きになる。しばらくして気持ちが落ち着いてくると、足元にはオタマジャクシがいっぱいいることに気がついた。よくわからない虫もたくさんいる。米作りはおろか、土を触ることすら初めてだったので、とにかく最初は必死だった。

でも草取りをしながら、ふっと顔を上げたとき、流れる雲の美しさや、風が頰を撫でた時の心地よさに気づく。そしてすくすくと育っている草たちの生命力を目の当たりにすると「あれ、今すごく生きている気がする」と思うようになった。

借りていたのは、たった一畝(いっせ)、30坪ほどの田んぼだったが、そこには胸がぎゅっとなるストーリーがたくさんあった。雑草とひとくくりにされる草たちにも花が咲き、名前がある。そんな彼らが住んでいる田んぼに私はズカズカ入って、心の中で「ごめんね」と言いながら、欲しい稲だけを残して草を抜く。

春、田植えをした頃には、とても小さかったオタマジャクシたちも、気づいたら足が生えていて、大きくなった。稲刈りをする頃には、もうその子たちはいない。かわいらしく生えていたしっぽも消えて、地上へと旅立っていったのだろう。

田植えをしてから5ヶ月経ったら、黄金色の稲ができた。刈った後に、天日干しをするとでんぷんが増えて、もっと美味しくなる、そんなこと知らなかった。

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最終的なお米の収穫量は、14.5キロだった。数字で見るとわずかばかりだが、その14.5キロのお米を手にするまでに、「消費者」と「生産者」とが分断された現実に気づいた。それがなんとなく「生きていない」感じがする現状につながっていることに気がついて、もやっとした気持ちを抱える。

でも、一通りお米の作り方を学んだあとは「私でもできるんだ!」という、新しい能力を身につけたような、そんな安心感も得られた。

生産者というと遠い気がしてしまうから、「つくり手」と言いたい。一杯の茶碗のお米の裏には、繊細な自然との関わりや、力強い自然との出会いがあり、それは決して東京のオフィスのPCからは覗けない景色だったろうと思う。

私がつくったのは、たまたまお米だったが、にんじん、キャベツなどの野菜や、肉、魚の現場であってもそうなのだと思う。それらがスーパーに「商品」として並んでいる頃には、つくり上げるための努力と多様なストーリーが、「新鮮」や「オーガニック」などの言葉だけで、つくり手の思いを想像しなくてはいけなくなっている。むしろかなり意識しないと、想像できない。

東京での仕事がもっと忙しくなり、体力的にしんどくなったので、それ以降、米づくりは一旦お休みすることにした。自分ではつくれない、だからこそつくり手の顔が見えるマルシェなどに、たまに行くようになった。

そこで売っている野菜、ハチミツ、味噌…それらをつくり上げるのはどれほど大変だったか。むしろつくり手たちの、それらへの愛情を感じたり、大変だったお話を伺ったりすると、お返しがお金だけでいいのだろうか、と物足りない気持ちになることさえある。

つくり手を知っていて、「ありがとう」を伝える先がわかる生活がどれだけ幸せかということを実感する。そういうやりとりをすること、それってすごく「生きている」感じがする。たとえ自分がつくり手になれなくとも、そのつくり手の体験や、思いを知るだけで、言葉を選ぶ時に慎重になったり、台所に置いてある、にんじんが愛おしく思えてきたりして、さあ、食べよう、料理しよう、という気持ちがムクムク湧いてくる。

今でも、クタクタに疲れてコンビニご飯をむしゃむしゃ食べてしまうこともあるけれど、それはそれで有難いし、たまにはいいと思っている。その分だけ、つくり手の顔が見える食材やご飯に出会えたら嬉しいと思うから。いつかは、つくり手で生きて生きたいかもしれない。でも、今はつくり手との距離が近い場所にいたい。それが自分にとって、生きていることを実感できる、大事なことだから。

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3年前の今頃。めっちゃ嬉しそう。

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