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僕の好きなアジア映画18:立ち去った女

『立ち去った女』
2016年/フィリピン/原題:Ang babaeng humayo
監督:ラヴ・ディアス
出演:チャロ・サントス・コンシオ、ジョン・ロイド・クルス、ミカエル・デ・メッサ

主人公は元恋人の奸計により、冤罪ながら殺人犯として30年に渡り収監されていたが、真犯人であり刑務所で仲の良かった女囚の自白により、無罪となり解放される。しかし自宅に帰ってみると、すでに家族は誰もいない。夫は死に、息子は行方不明、娘は嫁に行って自宅には住んでいなかった。

彼女は復讐のため自分を嵌めた、いまは地元の有力者となった男のいる島へ向かう。彼女は夜な夜な仇の男の家を見張る。美男美女がでてくるわけでもない。でてくるのは主人公の中年女性と、ゆで卵を売る中年の男と、流れ者のゲイの男、知能障害と思しき物乞いの浮浪者である。極端に言えばこの映画の物語はそれだけだ。

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動きも音も少ない長回しの映像は、説明や台詞で埋め尽くされて、さまざまなことが起こり続ける饒舌な映画に慣れている人には、静止に近いこの長回しを恐ろしく退屈に思われるのではないだろうか。しかし人間は一人でいる時、しゃべり続けたり、動き続けたりはしない。それをリアルな時間と同じ長さの、長回しでじっくり映し出すことで具体的な説明がなくても、観客は主人公の孤独な魂をまるでその場にいるように「感じる」ことができる。そしてその淡々と描写される映像に、他に類を見ない魔術を感じるのだ。

主人公は社会的な弱者である、ゆで卵を売りあるく貧しい男性や、居場所のないゲイの男や浮浪者には寛容で、慈母のごとき善き行いを施し優しさをみせる。しかしその一方で仇敵である元恋人には強い憎悪を待ち続ける。彼女の中には善と悪が共存している。

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元恋人は、自分の犯してきた罪を自覚している。しかしそれを止められない自身の中に存在する悪を神父に吐露し、神に赦しを乞う。ここでも罪を犯す悪しき感情と、赦しを求める姿勢とが存在する。

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意外な形で彼女の復讐は完結する。彼女の善行が、それに祝福された者の手によって、結果的に殺人という行為を完遂させることになる。善と悪、生と死は結局は隣り合わせである。人間とは実に哀れなアンビバレントな存在である。

光と闇を映し出す美しいモノクロームの映像。228分の長尺だけど、まったく飽きることがなく、最後まで引き込まれた。この映画はアーティスティックではあるけれど決して難解ではない。物語自体よりも、その表現方法こそがこの映画の全てで、この監督が怪物と呼ばれる所以であろう。見事な映画だと思う。

第73回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞

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