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切り取った速度

 1年ちょっとぶりくらいに『LA LA LAND』を観た。
 大学最後の年に観たそれは、当時何もないくせに希望で満ち溢れていた私にとって、輝きをふんだんに放っている作品のひとつだった。
 キラキラした世界、未熟な二人の恋に、まっすぐな想い。
 新しい世界に一歩踏み出す手前にいた私は、そんな作品の明るい部分だけを目にしていた気がする。
 ミアとセブが迎える、少し切ない結末を否定することもせず、人生うまくいかないこともあるよね、なんて。その程度だった。
 それでも、私はこの映画は大好きな作品のひとつだった。デジャヴを起こしそうなほど、さまざまな作品が踏襲されている演出に、作品全体の雰囲気を盛り立ててくれる音楽。衣装も、過度な派手さはなく、シンプルだが目に楽しい。

 DVDが発売された当時、迷わずコレクターズ版を購入したものの、実家に貸しっぱなしになっていて、なかなか観ることが叶わなかった。クリエイティブなことに興味があるらしき弟に見せたかったのだが、こういう映画は好かん!と父と共に拒否。てめぇは本当にクリエイティブに興味あるんか!という怒号はさておき、とにかく私もアベンジャーズを履修したりと忙しい日々を送っていた。
 爆音上映なるものが最近頻繁に行われているが、そのラインナップに必ずあげられている作品のひとつが『LA LA LAND』である。仕事との兼ね合いもあって、なかなか観に行けなかったが、ここらでちょっと行っておくか。そんな軽い気持ちで、発売当日にチケットを予約したのだった。
 『LALALAND』を最後に観たのは、大学の卒業式の日だ。ろくに友だちもいなかった私は、卒業証書を手に映画館に向かった。ビールとつまみを買って、スーツに身を包んだ私はなにを考えていたのだろう。
 就職先も決まっていなかったし、不安でいっぱいだったはず。でも、お得意のケセラセラ精神で妙に自信があったりもして。明日のことは何も分からない自分を、ミアとセブに託して観ていたのかもしれない。
 あれから1年と少し、今の私はちゃんと仕事をしている。なんだかんだ4月からは働いていたし、超絶真面目というわけでもないけど、ゆったりとかたつむりのような速度で成長をしている……はず。
 24という中途半端な年齢に、“女”という性別は、私にとってネック以外の何物でもない。実家に帰るたびに、せっつかれる結婚のことは考えたくもない。でも、地元の同級生たちは続々と子どもを産んで、だんだん私とは生活パターンも変化していく。連絡をとる頻度も、どんどん少なくなってきているのが現状だ。

 劇場が暗くなり、明るすぎるくらいの画面に色とりどりの衣装を身に着けて踊るダンサーたちが映される。軽快な音楽に、たっぷりの夢が詰め込まれた歌詞。希望と不安を胸に上京をした自分を思い出す。いつの間にか、頬は濡れていて、わけも分からず、私はその後も泣き続けていた。
 生活のために一度夢を諦めるセブ。不本意な音楽を続ける彼を見つめるミアの揺れる瞳に、これまで以上に自分の感情が入り交じって号泣。オーディションシーン、改めて素晴らしい歌詞に号泣。
『夢追い人たちに拍手を、愚かな夢追い人たちに』
 きっと、私のしていることは愚かなことなのだろう。仕事はしているけれど、定職ではない。やりたい仕事をやりたいだけやって、将来のことを考えていないと怒られても否定はできない。
 24歳になって、たびたび考えることがある。
 “私はいつまで頑張れるんだろう?”
 いつまででも頑張るつもりだし、続けて実を結ばないことなどないと信じている。でも、いつかプッツリと糸が切れたら、私はどうするんだろう。
 結婚はするのだろうか。子どもを欲しいと明確に思ったことはないけれど、いつか持ちたいと渇望するのだろうか。
 女にはタイムリミットがある。これは、否定のしようのない事実だ。いつでも子どもを産めるというわけではないし、そう考えて逆算していくと……自分の年齢がいかに余裕がないかが分かる。どうしたかもわからないから悩んでしまうだけなのだろうけれど。
 ラストシーン、ミアとセブは重ならなかった人生の“もしも”を想い描く。あのとき、あの瞬間、そして今。
 ミアとの生活が叶っていたら、きっとセブの夢は叶わなかった。ミアの夢が叶わなかったら、そもそも二人の関係は壊れていた。
 描かれていく“もしも”のなかで、ミアの一人芝居を誰よりも大きなガッツポーズで喜ぶセブ。このセブが、私は作品のなかで一番好きだ。彼がまっすぐにミアを愛して、誰よりも応援していたことが分かるから。それは、皮肉にも“叶えたかったもしも”のなかで見えることなのだ。
 言葉もなく、視線を絡めたまま静かな微笑みを浮かべる二人な、私の涙腺にとどめをさした。涙を拭いても意味がない。ダラダラとただひたすらに泣いて、少しだけ気持ちがリセットされた。
 叶えたい目標がある。想い描く生活がある。それが叶うのはいつか分からないけれど、少なくとも現在の私は諦めたくない。
 だったら、踏ん張るしかないじゃないか。
 若さは日に日に削がれていくし、悩みが簡単になくなることはない。でも、自分が納得するまで、どれだけゆっくりでも歩いていくしかないんだ。
 また、頑張ってみよう。やりたいことはやろう、言っていこう。
 そんな小さな決意を新たにした私だ。

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