takashi kurihara

文筆:新潟県内の地域紙(市町村単位)で記者の仕事をフリーの立場でやっています。 イベン…

takashi kurihara

文筆:新潟県内の地域紙(市町村単位)で記者の仕事をフリーの立場でやっています。 イベントの取材のほかにインタビュー記事・連載記事も経験しております。  コピーライティング:ランサーズ当選4回・宣伝会議賞一次審査通過(2017・18年・21年) 本業の傍ら、言葉に関わっています。

最近の記事

宣伝会議賞プレーヤーの2月 私の場合

私、53歳。宣伝会議賞プレーヤーになって10年になる。 宣伝会議賞プレーヤー? まあ、「クイズプレーヤー」なる肩書もあるのだ。 この場に限って、こんなふうに名乗ってもいいだろう。 ただ、記事を通してこの単語だと鬱陶しくなるので、以下応募者と書く。 毎年2月、宣伝会議賞応募者にとっての1大イベント、一次審査通過者発表が「宣伝会議3月号」誌面でなされる。 このnoteや、Ⅹ(エックス)なんかでも一時審査通過何本なんてコメントが毎日のようにある。 私も当然、他の応募者と同様に当

    • 8/31 「あまちゃん」 鈴鹿ひろ美のせりふ 「天野アキをやらせたらあなたの右に出る女優はいません」 天野アキにも、能年玲奈にも言っている。

      • 終わらない夏に想う、終わらない決勝戦

        今から14年前 夏の甲子園決勝。 わが県勢、初めての決勝進出。 わたしはその試合を、聴いた。 見ることもできたのだが、目を背けた。 そのチームは県予選で、対戦相手をことごとく蹴散らしていた。 県内敵なし。勝てる!甲子園でも。 とはいえ、そのチームは過去夏の大会4回すべて初戦敗退。県勢は夏通算でこれまで16勝。 「どうせ、また・・・」と頭をよぎる。 仕事中にテレビ、ラジオに触れにくい職種に就いていた。 試合結果はメールで確認。 初戦の2回戦 4-3 辛勝だった。あれだけの打

        • 宣伝会議賞SKAT21 私的プチ騒動記

          第59回宣伝会議賞1次通過以上の作品集「SKAT21」が9/27日、「デジタル版で」発売された。 発売の発表が焦らされたうえでの、初めてのデジタル版での発売。 困惑、諦め、それでも期待。 3、4年前の発売日からすっかり遅くなった発売日を健気にも待ち続ける。 まずは自分の作品を見るために。 1次通過3本。 3年ぶりの1次通過、4年ぶりの複数通過。 課題はコプロ・事業構想大学院大学・そしてパナソニック。 予想的には半々か。ヤマハ発動機、ちょっと自信あったんだけどなー。 「W

        宣伝会議賞プレーヤーの2月 私の場合

          腸ねん転とアップダウンクイズ

           わたしが小学校に入学する1年前、昭和50(1975)年4月、ある1つの クイズ番組が日曜の夜7時にBSN(新潟放送)でスタートした。 「アップダウンクイズ」  クイズの内容を簡単に説明すると、クイズに正解すると解答者が乗っているゴンドラが1つ上がり、間違えると一番下まで下がってしまう。そして下まで落ちずに10問正解するとゴールとなり、ハワイ旅行の特典が与えられるーというもの。  斬新、に見えた。  子ども心に「やっぱり新番組は違うなあ」と感じた。  テレビ好き、そし

          腸ねん転とアップダウンクイズ

          第59回宣伝会議賞応募を終えて。

          「もう辞めようか」と思いつつも、結局今回も参加した宣伝会議賞。     締め切り日が仕事の公休日だったことも手伝い、締め切り5分前の駆け込み応募や、サイトのカウントダウン時計終了の瞬間を体験することができ、例年とは違う感慨を今、味わっている。 今年の応募総数は136本。昨年の53本というふがいない数から比べたら2・5倍に増えた。常連さんからみれば「それでも少ない」と思われるのだろうが、本業、副業を抱え、なおかつ応募期間がかつてより2週間ほど短いことを考えると、過去の自己最高

          第59回宣伝会議賞応募を終えて。

          愛と憎しみの野球

          野球、見るのは好きだった。 40年以上前、小学生だった時。 毎年夏の高校野球が楽しみだった。PL・箕島の快進撃に心躍った。    テレビはもっぱら巨人戦。王選手がホームラン世界記録に追いつき、追い越そうとしていた。756号のニュース速報は今でも覚えている。       「ドカベン」アニメから入ったクチだ。明訓が弁慶高校に負けた時はショックだった。 野球、するのは・・・、好きになりたくてもなれなかった。 人の想像のはるか上を行く運動音痴だった。 走れない。足が遅い。 

          愛と憎しみの野球

          原点と天職

          わたしは今、ライターの仕事をやっている。noteの別の記事に書いた「とある紙媒体での記者の仕事」である。とはいえ本業の合間にやっている程度のもので収入はわずかなのだが、若い時は漠然と、そして年を重ねるにつけはっきりと「物を書いて収入を」と考えていたので小さいながらも念願をかなえている。そしてその仕事には、本業にはない原点・ルーツみたいなものがある。 今から34年前。わたしは高校3年生だった。 わたしが通っていた高校は、わたしの入学時に創立3年目を迎えた新しい学校だった。「

          原点と天職

          箕島ー星稜 縁なる激闘

          春の選抜高校野球は東海大相模高校の優勝で幕を閉じた。 昨年はコロナ禍の影響で春夏の大会が中止となり2年ぶりのセンバツとなったが、競技上において、2018年から導入されているタイブレークに加えて1投手につき1週間500球以内の球数制限が今大会初めて採用された。 このような制限・制約をすることで、かつて多くの感動を呼んできた「いつ終わるともわからない延長戦を1人の投手が投げ抜く」といったタイプの名勝負は今後少なくなっていくものと思われる。 今までの「劇的なる甲子園」の一要素

          箕島ー星稜 縁なる激闘

          嗚呼、悩ましき宣伝会議賞

          日本一の公募広告賞と言われる「宣伝会議賞」。昨年、第58回の一般部門(これとは別に中高生部門がある)応募数は617203点を記録した。 それらの作品において一次・二次・三次と審査を重ねていき、最後に残ったファイナリストの中からグランプリ、ゴールド、シルバーなどの賞が発表されるという流れだ。 私は昨年まで7年連続でこの賞に応募している。 2月発売の「宣伝会議」3月号でまず一次審査の通過者の発表があり、4月号で二次審査以上の通過者、そしてファイナリスト作品の発表があるのだが

          嗚呼、悩ましき宣伝会議賞

          1979年 NST新潟総合テレビ 日曜オールゴールデンタイム。

           今から約40年前、私がまだ小学5年生だった1981年3月までは、わが新潟にはテレビの民放チャンネルが2局しかなかった。一つは県内最古の民放局、BSN・新潟放送。そしてもう一つはNST・新潟総合テレビ。当時におけるキー局からのネット状況はというと、BSNがTBS単独だったのに対してNSTは日テレ・フジ・テレ朝の3局をネットしていた。  このころは大都市圏や札幌・仙台・広島・福岡といった地方の中心都市がある以外の県はほとんどにおいて民放が2局であった。チャンネルが足りない分地

          1979年 NST新潟総合テレビ 日曜オールゴールデンタイム。

          新潟ー長岡60キロ

           今では想像もつかないが、半世紀前の大手通りとスズラン通りとの交差点は長岡で一番交通量の多いところであり、交通整理の警察官も立っていた。そしてその交差点にあった主要都市との距離標識の一つにはこう表示してあった。 新潟 60㎞。  長岡一の交通スポットにあった、なんとも覚えやすいキロ数。他の県内の都市、例えば上越や三条までが何キロかと言われても答えられないのだが、新潟までの距離はこの標識によって覚え、すぐに言える(他には高崎180㎞というのも覚えている)。  国土交通省に

          新潟ー長岡60キロ

          遠藤麻理さん、BSNラジオに参上!

          一昨日まで2日間行われた「BSN夏ラジオ」。              「番組内で重大発表」の言葉に嘘はなかった。 6月に閉局した新潟県民エフエム放送・FM PORTのナビゲーター(パーソナリティ)だった立石勇生さん、遠藤麻理さんが8月からBSNラジオで番組を持つことが発表された。 特に、スタジオゲストで登場と破格の扱いであった遠藤さん。最初のあいさつ代わりの「BSN初鳴き」からスタジオでのBSNアナウンサーたちとのトークまでしばらく新番組の詳細を言わなかったので「何曜日

          遠藤麻理さん、BSNラジオに参上!

          隣のアナウンサー

          (この記事は、現在ほぼ閉鎖状態になっている私のブログ「新潟をブログする」に今から3年前に掲載した文章を改題、加筆、修正をしたものです。掲載当時と変わらぬ印象を持ち続けているので再掲載させていただきました。お許しいただけたらと存じます。) UX新潟テレビ21の朝の情報番組「ナマ+トク」の中継コーナーに、近正仁さんが出演している。 現在の肩書はディレクター。とはいえ、昔からの新潟県民ならご存知の通り、近さんは長い期間アナウンサーだった。 その人となりは故安田辰昭氏の名著「近

          隣のアナウンサー

          高校野球は特別か?

          夏の甲子園大会の中止が発表されてから10日以上たつが、今でも「規模を縮小してでもできないか」「地方大会の代替開催を」など、何とかして球児に試合の場をという声が止まない。その声は多くの高校スポーツを集めているインターハイの中止発表ではあまり聞かれなかったものである。 そしてこのような意見が出るたびに「高校野球だけが特別ではない」という反対意見も多数出てくる。野球部の活動を統括する組織だけが別、NHKによる全試合の中継などいびつな実態が多くあるのも事実だがそのあたりはひとまず置

          高校野球は特別か?

          地方局女性アナウンサーのニュースキャスター後。ーNSTの場合。

           東京キー局と比べて、地方ローカル局は自社制作番組が少ないこともあってアナウンサーの活躍の場がそれほど多くはない。           そんな、希少な出演番組の中でも夕方のニュースキャスターは、特に女性アナウンサーにとって花形であり、と同時に「上がり」ともいえる肩書である。「上がり」というのは、ニュースキャスターを卒業後はいろいろな理由でそのテレビ局を退社することが多く、同時にその地域のテレビからは消えてしまうという意味でそう言っている。エリアによっては事情が異なるのかもしれ

          地方局女性アナウンサーのニュースキャスター後。ーNSTの場合。