見知らぬミシル

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正解だったら出会えなかった世界

僕たちは普段、意識的にも無意識的にも無数の選択をして生きている。 そしてその選択は、それぞれが異なる大きさを持っている。 小さな選択。 例えば、「今日の夕食は何を食べるか」とか「明日は何を着て出かけるか」とか、そういったことだ。これらの小さな選択はあまり恐怖が伴わない。 しかし大きな選択はどうだろう。 例えば、決別、受験、就職、転職、起業、結婚など。 これらは何かしらの恐怖が伴う。 僕たちは小さな選択に関しては、正解か不正解かをあまりこだわらないが、大きな選択をす

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    • 死にたさと散り際の境目で

      「桜を見ることで死にたいという感情に輪郭を与えることができる」 ときみは言っていたが、ぼくはどちらかというと逆で、嫌な記憶のすべてを葬ってくれることを桜に期待している。 全て忘れたいんだ。そのために今きみと桜を見ている。 きみは強いね。死にたいって気持ちも大切にしていて。 ぼくは弱いよ。死にたさに向き合うことができない。 早く逃れたいんだ。でもどうすればいいか分からないし、そんなことを考えたくないから、今ぼくはきみとこの場所にいる。 桜にも、そしてきみにも甘えてい

      • 『愛で消えうるものたち』当初の「おわりに」

        愛とは、それ自体においては、特段素晴らしいものでも美しいものでもないし、正しいものでもない気がする。

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        • 白が散る

          僕はアパートを出て、駅まで歩いている。 刺々しく澄み切った空気が皮膚を刺す。 世界から空が消え、すべての境界線が曖昧になっている。 白いふわふわとした結晶たちが、雑然と降りながら、あたりの草木や地面を整然と染めてゆく。 それらは大気をおしわけるように空から落ちてきて、風が吹くと頬を濡らし、目の前を滲ませる。 歩く度に「ギュ、ギュ」という音が地面から耳まで届く。 駅に着き、改札を通る。 プラットフォームにはまだ誰もいない。 静かだな、と思った。 線路は真っ白に

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        正解だったら出会えなかった世界

          秋、言葉を離れ

          「精神科に行くための精神も自分に合った精神科医を見つける判断力もない」 以前、俺は友人の高津に電話でそう話した。 高津は言った。 「精神科医ではないのだが、お前の性格に合いそうなカウンセラーを知っている。俺がその人に連絡をしておくから、お前は俺が指定した時間に指定した場所に行ってくれ。それだけならできるだろ」 「できる」 「じゃあまた連絡する」 その時の俺は感謝の言葉を伝えられるほどの余裕さえなかった。 少ししてから高津から連絡が入り、俺は機械のように指示された

          秋、言葉を離れ

          言葉が前を走る

          言葉が前を走ってる。 ずっと遠くを走ってる。 それはとても自由に走り続けているように見える。 言葉は徐々に速度を上げていく。 いつの間にか言葉が僕の視界から消えていく。 さっきまで胸の中にあった言葉たちは、僕の元から飛び出し、勝手に走り出してしまった。 僕は不安で仕方がない。 なぜなら言葉がなければ思考ができないからだ。 意思の疎通ができないからだ。 言葉がないのは不自由だ。 僕はこれまで言葉を大切にしていたのだろうか。 多分、大切にしていたと思う。

          言葉が前を走る

          知性という物差しを持つこと

          現代は情報の民主化が進み、誰もが簡単に情報を取得できるようになりました。 ある調査によると、現代人が一日に触れる情報量は、江戸時代の一年分、平安時代の一生分にあたるそうです。 単純に考えれば、一人一人が得られる情報量が増えれば、それだけ一人一人が賢くなりそうです。 しかしそれで人間が賢くなっているかというと、多分そんなこともなく、むしろ我々の知的能力は退化の一途を辿っているのではないか、というのが僕個人の感覚であり、それが今回この文章を書こうと思った背景です。 例えば

          知性という物差しを持つこと

          かっこいい人間の定義

          さて、かっこいい人間の定義を始めよう。 ここで僕が述べたいのは一般的にどんな人がかっこいいとか、どんな人がモテるだとか、そういう大衆感覚の話ではない。 極めて個人的な美意識の話である。 つまるところ、僕自身がどんな人間をかっこいいと感じ、どんな人間に心を動かされるのかを探求していくということだ。 そして前提として、かっこいい人間の対象は男性に限った話ではない。 女性でも子どもでも性別年齢関係なく、かっこいい人間はかっこいいのだ。 では早速結論を述べる。 それは「

          かっこいい人間の定義

          書くことは、世界を見ること

          僕はもう文章を書いていく自信がない。 今まで書いてきた文章を読んでみると思う。 これは本当に僕が書いた文章なのだろうか。 まるで他の誰かが書いたような文章に感じる。 しかしそれは確かに僕が書いた文章なのだ。 僕の文章は僕から離れた途端に他者性を帯びていく。 だから後から読むと信じられない。 これは本当に僕が書いた文章なのだろうか、と。 そして毎回思う。 もうこんなふうに文章を書くことはできないのだろうな、と。 文章をどれだけ書いても、そこに費やした時間が、

          書くことは、世界を見ること

          好きな人って星みたいだ

          好きな人が死んだ。 その知らせを好きな人の恋人から電話で聞いた。 僕は初め、好きな人の恋人は冗談を言っているのかと思った。 でもその重苦しい沈黙に、僕は全てを察してしまった。 電話越しに聞く彼の声は糸のように細く、とても弱々しかった。 なぜ好きな人は死んでしまったのだろう。 僕はその理由が気になってたまらなかったが、彼の声の奥にある底知れない悲哀を思うと、何も聞くことができなかったし、そもそも言葉が喉につかえて上手く声を発することができなかった。 後日分かったの

          好きな人って星みたいだ

          僕は人を愛せるのか

          僕は人を愛することができるのだろうか。 そもそも僕は何のために人を愛するのか。 もしかしたら愛することに目的などないのかもしれない。 でも僕は愛することの目的を考えずにはいられない。 みんなは何のために人を愛しているのだろうか。 少なくとも僕の周りにいる「人を愛している人」はなんの目的もなく愛しているように見える。 彼らのことを想像してみる。 彼らに共通していることは、自由であるということだ。 人は人を愛している間、自由になれる。 愛するというのは、他者を自

          僕は人を愛せるのか

          自己犠牲が愛なはずはない

          愛とは自己犠牲だ。自己犠牲こそが愛だ。 よく目にするフレーズだが、僕はこの考え方に違和感を覚えずにはいられない。 自己犠牲は愛ではない。そんなことがあってはならないのだ。 自己犠牲が愛だと考えている人に聞いてみたい。 もしあなたに愛する人がいたとして、その人があなたのためになんらかの犠牲を払っていたとしたらどう思うだろうか。 嬉しいだろうか。悲しいだろうか。 ちなみに僕は悲しい。 僕のために犠牲を払わせてしまって申し訳ないという気持ちになる。 これを逆転して考

          自己犠牲が愛なはずはない

          僕らの愛が届くころ

          愛する準備が整った頃、愛する対象は全て僕の元から消え去っている。 それは切なくて虚しい。 しかし僕には何もかもがある。その時が来れば、なんだって差し出すことができる。 色とりどりの花、輝く木の実、豊潤な果実。 ただそれらを与えようとしても、全て手からこぼれ落ちる。 行先を与えられなかったものたちは、方向を失い、次第に力も失う。 彼らは何も悪くない。悪いのはいつだって僕だ。 僕がもっと彼らの存在意義について考えていれば、こんなことにはならなかったのだ。 僕は彼ら

          僕らの愛が届くころ

          僕は蕎麦屋に向かう

          僕は蕎麦屋に行くことにした。 なぜなら蕎麦を食べたかったからだ。こんな日は蕎麦を食べる以外選択肢がない。ラーメンでもないしオムライスでもないしフレンチでもない。必ず蕎麦でなければならないのだ。それは毎年夏に甲子園が行われるのと同じように初めから決定されている、いわば宿命のようなものだ。 だから蕎麦屋さんを探すことにした。僕は家を出る前にシャワーを浴び、歯を磨き、髭を剃り、ワックスで髪を整えた。そして最近購入したホリゾンブルーのツイードジェケットに身を包んだ。 なぜ僕がこ

          僕は蕎麦屋に向かう

          「おすすめを教えてください」という言葉への違和感

          人に何かを勧めることは素晴らしい行為だと思う。 それは自分の一部を、或いは自分の人生の断片を相手に渡す行為だ。 ただ僕は「おすすめを教えてください」という言葉がものすごく苦手だ。 これを言われると、混乱し困ってしまう。 そして、大抵、関係性が浅い人にこの言葉を言われることが多い。 正直僕は「なぜあなたにお勧めをしないといけないのだろう?」と疑問を持つ。 そもそも「お勧めする」という行為は、勧める側が自らの意思によって勧めるから「おすすめ」になるわけで、他者から「おすすめ

          「おすすめを教えてください」という言葉への違和感

          幻日

          一瞬で分かった。 一発で分かった。 一言で分かった。 ああ、この人だ。 私はこの人が好き。 信じる。 否、信じてる。 この人との間で、どんなに傷つくことがあっても、どんなに残酷なことがあっても、その責任は全て私が引き受ける。 全力で自分を捧げようと思える。 多分、これはそういう類の出会いだ。 運命ではない。 そもそも私は運命なんてものは信じない。 そんなありふれた言葉で片付けたくない、この情動は。 私の中の眠っていた細胞が一斉に動き出すような瑞々しい感覚