【短編小説】 拝啓、無題

気がつけば、そこは海岸だった。
遠く、空と海の境界が見える。
自分が知らない海だと知る。

見上げれば、吸い込まれるほどの青い空。
あまりの青さに思わず眩暈がする。

視線を正面に戻せば「あの人」がいた。
白い歯を覗かせ、かんかん照りの太陽に負けない
くしゃくしゃの笑顔でその人は笑った。

目を合わせようとした。
けれど、その人の目は
何か靄がかかったようにひどく滲んでいた。



おかしいな。



目を擦ると、その人は涙を流していた。
相変わらず目は見えないけれど、
頬に幾重も伝っていた筋が証明だった。

ぽたり。

手の平に、雫が落ちる。
天を仰げば、灰色の雲が空を覆っていた。

急に頭が重くなった気がして
こめかみを押さえながら前に向き直る。

その人は、口を開く。
「 ——— 」

何て、言ったの。
そう尋ねる前に意識は濁流に飲まれていった。



———



固い木の感触で目が覚める。
ああ、そうか。机で突っ伏していたのか。

身を起こして机に目を落とす。
「拝啓、」それだけが書かれた便箋がある。

万年筆を手にとり、少し逡巡する。
そして溜まっていた息を吐き出し、想いを連ねる。

感謝と懺悔。
そして

「どうかお幸せに。」

席を立ち、小瓶にそれを詰め、家を出る。



———


気がつけば、そこは海岸だった。
遠く、島々が見える。
自分のよく知る海だと知る。

見上げれば、ベタ塗りされた灰の空。
あまりにも重い空に思わずため息を吐く。

視線を正面に戻し、小瓶を海面に置く。
その時だった。

小瓶が何かを反射した。
見上げれば、微かに雲間から陽光がさしていた。



あの人の、顔が浮かんだ。



陽光はすっと海をなぞっていく。
乱反射する海面が眩しくて。あたたかくて。懐かしくて。


『行かないで。』

そう、一歩を踏み出した。



———


濁る意識の中で思う。



過去に

海に



囚われている。





———
写真はみんなのフォトギャラリーより
Hayato Noumi様からお借りしました。


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