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【中編】インスタライブ感想 『2021年の雛祭り・作品解説!』

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▶︎藤川さきさん(28:48頃〜) / 大槻さん解説

今回もまずは大槻さんの解説から。

○ 普段は油絵具やアクリル絵具をふんだんに使った立体的でワイルドな作品を作る作家さん
○ 今回ははじめてのデジタル・ジークレー作品。
○ 大槻さん自身が以前から藤川さんのデジタル作画を好きで、それを作品にできないかという話をした
○ ジークレープリント時の紙選びにもこだわった。藤川さんの作品世界に合う紙質を選んだ(多分キャンソンのプラチナファイバーラグ)
○ プリント作品は平面的なもの。しかし普段の藤川さんの作品から感じる良さを全く損なわない仕上がりになった
○ (『桃を燃やせば』の)ピンクの発色も、ディスプレイで見ていたそのままの色。むしろプリントすることによって良さが増している
○ 旧作のジークレープリント作品もある
○ 藤川さんは過去のひなまつり展にも参加されていた。これまでは「祝われる側」の立場に立って作品制作をされていた。
○ 祝う側は良くても、祝われる側はそうではない場合もある。気持ちが重すぎると、祝いが呪いになってしまうこともある。その繊細な部分を作品に昇華している作家さんだった。
○ そういう部分を取り上げて作品を作っていたため、これまでは暗い空気を纏った作品も多かったが、今回はそれが解き放たれたような感覚がある。今までのひなまつりとはまた違った視点の作品が出てきた。
○ 描かれた女の子にもまた一段階心の成長があって、今までよりもずっと広い世界を感じているような感覚があり、春の訪れを楽しみに待つような感じに見える。
○ 呪いから解き放たれた印象があり、藤川さんの作家の歴史から見ても、違った印象を受けると思う。そこにも注目して、作品を手に取ってほしい

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ナツメ感想(藤川さきさん作品)

藤川さんの作品は以前から大好きで、webだけでなく画集でもよく拝見していました。大槻さんの仰るようにワイルドというか、すごくエネルギーを感じる作品だと思っています。

特に最近の油絵具の作品は、個人的には「抽象化されたアルチンボルド」のように感じていました。

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ジョゼッペ・アルチンボルド(1526~1648年)
『四季・春』
引用元:https://artmuseum.jpn.org/profilearcimboldo.html

アルチンボルドといえば有名なのが上記引用作品のような「寄せ絵」です。遠くから見ると一枚の肖像画に見えるのですが、よく見ると果物、野菜、動植物などを寄せ集めて一つの作品に仕上げているのです。

そして肖像画のパーツとなる食品や動植物などもものすごく綿密に描かれていることが特徴です。まるで一つ一つのパーツが命を持っているようです。

私はその感覚を藤川さんに感じており、アルチンボルドのような精密画ではなくとも「一筆一筆にエネルギー(≒命)が宿っている」という点が非常に近いように思っていました。

そんなことを思いつつどんな新作が出てくるのだろうとわくわくしていたら、まさかのデジタルジークレー作品!良い意味でとても驚きました。

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『今日に辿り着いた全てたちへ』引用元:shuuue.net

私自身も藤川さんのデジタルラフスケッチは大好きで、よく拝見していたのですが、こうして作品として展示されることは全く予想していませんでした。

しかし見てみるといつも通りの藤川さん作品がそこにはあり、そのことにもまた驚きました。なぜなら、絵具の盛り上がりや筆やナイフの筆跡などが藤川さん作品を特徴づけるものだと思い込んでいたからです。その思い込みは見事に打ち砕かれ、新たな挑戦をした藤川さん作品に見惚れてしまいました。

『今日に辿り着いた全てたちへ』は、桜(梅かもしれませんが)の下で振り向く女の子が特徴的ですが、何より気になったのは、鋭角の細い三角形のような形で差している光の描写でした。

一見マチエールの一部にも見えるのですが、たしかに彼女を照らしていて、いや、彼女の周りに息づく者たちすべてを照らし、「今日に辿り着いた」ことを祝福しているように見えました。

「今日」は決して特定の一日を指すわけではなく、明日もいずれは今日になり、また今日はいずれ昨日になっていきます。しかしこれは時間を線軸で簡易化して考えた場合の話なだけで、必ずしも「今日」を迎えることは当たり前ではありません。

だからこそ「今日」に辿り着いたすべての者たちが愛おしい。そしてその背景には「平和」と「健康」が潜んでいるように思います。一見春の絵に見えがちですが、ひなまつりの原点が見えるような作品だと思います。


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『桃を燃やせば』引用元:shuuue.net

『桃を燃やせば』は、ピンクの発色の良さに驚きました。実物はもっと美しいのでしょう。

ひなまつりは桃の節句ですから、桃というワードが出てくることにはなんの不思議もありません。しかし「燃やす」とはどういうことなのか。少し考えてみました。

そこで個人的に思い至ったのは、「この女の子は人間のフリをしたぼんぼりなのではないか」ということでした。たしかに人物画なのですが、どこか彫刻的というか、立体作品に近いものを感じたのです。

ぼんぼりに灯りを灯すと淡くピンク色の光が漏れてきます。しかし彼女はもっと強烈なピンクを放っている。それは生命力であるかもしれないし、これから成長(変化)していくに当たっての意思表示かもしれません。

内面に秘めた燃ゆるものを外面に見せる。生きる強さ、生きていくための決意などを感じる作品のように思いました。


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『全てのあなたを見守る』引用元:shuuue.net

『全てのあなたを見守る』、こちらは過去作品のジークレープリントですね。お内裏様とお雛様が通常とは逆の配置になっていることが印象的です。

宝石のような周りの飾りに緞帳と、いわゆる「雛人形」という感じではないのですが、そのイレギュラーさが包容力を増しているというか、「(どんな状態になっても)全てのあなたを見守るよ」という優しいメッセージが伝わってくるように思います。


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『世界線の修正』引用元:shuuue.net

こちらも過去作品のジークレープリントですね。

世界線というのは生きていくうちにどんどん変わっていくもので、例えば小中学生の頃に仲良く遊んでいたとしても、大人になってからもその関係性が続くとは一概に言い切れません。なぜならそれぞれ歩む道が変わる=世界線が変わるからです。

ここに描かれた女の子はやや深刻そうな表情をしているように思います。もしかしたら、周りとの世界線が変わりつつあることに気がついたところなのかもしれません。

しかし自分が自立していく以上、誰かの世界線に縋り付いたままいきていくことはできません。少女たちはある地点に来ると自分の世界線を修正する必要が出てきます。

そこには別れが伴うこともあれば新しい出会いが待っていることもある。恐れずに世界線を修正してみようという、強い意志を感じる作品であるように思います。


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『願われること』引用元:shuuue.net

「あなたのためを思って」と言われても、本人はそうでもないことも当たり前にあります。ここに描かれた女の子は、「(なにかを)願われた」ものの、自分の考えや道との齟齬を感じてしまい、複雑な気持ちを抱いているのかもしれません。

藤川さんの作品の特徴として、眉毛が(ほとんどの場合)描かれないという点が挙げられます。そのためわかりやすい表情ではなく、目だけでなにかを語ろうとしているように見え、見る人・そして見る時期によって、想起されるものが変わってくるように思います。

心なしかお雛様たちも少し疲れたような表情をしていて(そういえばこの雛人形も並びが逆ですね)、祝われた彼女の心境を表しているようにも感じられます。

もしこの彼女が「祝う側」に立った時、どんな気持ちになるのか、そしてどのような行動を取るのか、先の展開が気になる作品です。


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『全ては色でできている』引用元:shuuue.net

ワンちゃんが中央で美味しい空気を吸ってホッとしているような、そんな気持ちの安らぐ作品ですね。

全ては色でできているということは、全ては光で出来ているとも換言でき(色は光が無いと現れないので)、このワンちゃんは光の中で生きているようにも思えます。

真っ赤な空に対して水色の雲。自然の法則に従うならばそのような色には決してならないのですが、藤川さんの作品はそんな違和感をそっと忍び込ませて、かつ、不自然さ無く見せることのできる作家さんではないでしょうか。『全ては色でできている』のは、藤川さん作品、あるいは藤川さん自身の心象風景などを指しているのかもしれない、そんな想像をさせるような作品だと思います。


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『桜と赤』引用元:shuuue.net

こちらは原画がデジタルなのでしょうか。デジタル特有の筆跡などが現れているように思います。

『桜と赤』というタイトルですが、個人的には圧倒的に桜が強いように感じます。先程の作品に繋げて色の話をしますと、赤はどんなに水で薄めても「薄い赤色」にしかなりません。色彩検定などで使用されるカラーカードにピンクのカテゴリがあるように、赤に白を足さないとピンクにはならず、赤とピンクは似て異なるものなのです。

そういう色の側面から見てみると、彼女は「自分の持つ原色の赤色に白を受け入れる決意をした」ようにも見えてきます。

これまでの自分とは違ったものを受け入れる。それはなかなか難しく、葛藤も多いものです。まだまだ赤の要素が強い部分がありつつも、桜(色)へと変化する途中の段階、様々な葛藤を抱えつつもそれを乗り越えるを決意しているような表情。そんな風に見ることもできる作品のように思います。


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『健やかな炎』引用元:shuuue.net

『健やかな炎』では、制服らしき服を着た女の子の頭部が、炎のような赤に晒されています。しかしタイトルの「健やか」が指すように、恐らく危険なものではなく、太陽の光のようななにかプラスの要素を与えてくれるものなのではないかと推測されます。

日本には様々な祭りがありますが、燃え盛る火の上を渡るという祭りもありますね。このお祭りはたしか男性の通過儀礼的なものだったように記憶しているのですが(違ったらすみません)、この絵の場合は女性が炎を洗礼を受けているようにも見えます。

それこそ健やかさを祈るものだったり、成長を願うものだったり。一見ひなまつりとはあまり関係がなさそうに見える作品ですが、そうした視点から見てみるととてもひなまつり的だなと思います。とても興味深い作品ですね。

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▶︎金田涼子さん(35:25頃〜) / 大槻さん解説

大槻さんの解説はこちら

富士山と梅の組み合わせは実は珍しい。あまり無い(桜が多い)
○ 初めて画像で見た時、「ひなまつり」からこんな作品が出来るんだ、と、すごく感動した
○ ご本人も山登りをしたりするため、金田さんは自然が身近な環境で生きてきた人だと言える
○ そのため、「自然の気配を纏った状態」で生きてきたところがあり、それを視覚化できないかということを考えている作家さんである。
○ 今まで日本の自然(特に山が多かった)を女の子のキャラクターにして、その山などから出てくる自然の気配・匂い・自然によって包み込まれている感じなどを、小さい女の子のキャラクターを使い、その子たちをいろんなところに配置させることによって、(自然の)気配を表現してきた
○ 金田さんの過去作品を知らなくても、この作品だけでも可愛らしくて十分楽しめるが、実は金田さんの作家の歴史を辿っていくと、今回の作品はかなり新しい作品になっている
○ (グッズにプリントされた過去作品と比較して)これまでは、山を擬人化して自然を身近に感じてもらおうという目的があったと思う。その際、擬人化された山などはちゃんと女の子(人間)の造形をしていた
○ それに対して今回は顔だけ!(笑) シンプルに山に目だけくっつけた形になっている
○ それが金田さん作品の中では新しすぎて、ちょっと笑ってしまうようなところもあり、しかし「金田さん今回かなり思い切ったな」と思うところもあった
○ 金田さんファンの方は、そういった点もびっくりしながら見て頂けたら良いなと思う
○ (付け加えて言うと)、「山に顔を描いてキャラクター化する」という「アイデア」としては、すでにあるものである。地方のゆるキャラなどでもよく出てくる。
○ アートの世界でも、去年村上隆さんが「富士山に顔を描いてキャラクター化した絵画」を発表している。
普通、「自然物に顔を描いたらそういうキャラクター」として何も疑問を持たずに受け入れられる。「そういう表現ってあるよね」といった風に、普通に(疑問を持たずに)見れてしまう。村上隆さんの作品についても同様。
しかし金田さんは「どうしたら自然の気配を身近に感じてもらえるか」ということをずっと考え続けてきた人。だからこそ擬人化という手法を用いてなんとか自然の気配を身近に感じてもらおうと、これまでに色々な試行錯誤があった。
○ そういう様々な試行錯誤と変遷を経た先に、今回の作品が生まれたというのが重要なポイント。
○ よって、探っていった結果「山に目をつける」という一番シンプルな形に落ち着いたというのは、金田さんの作家史から遡ると実はすごく面白い作品になっている。
○ しかもこれは雛祭りの絵である。だからこそ、「富士山と桜(という富士山主体で考えた時によくある組み合わせ)」ではなく、「梅の花」なのである。そう考えるとすごくアツい。非常に豊か。
○ 細かいところ(小さい女の子の仕草)を見てみると、茄子を食べている子が居たり、鷹の格好をした子も居る、という、ちょっと笑っちゃうようなところもある → 一富士二鷹三茄子
○ 個人的には、以前のようなしっかりと擬人化された作品の時には「キャラクターの造形」にあまり目がいっていなかった。目の形がどうかなど、細かいところを見るよりは、ざっくりとした印象で見ているところがあった。
○ しかし今回のようにシンプルに顔のパーツだけになった時に気づくことが色々あった。
○ 例えば目の描き方は金田さん独特のものだと思っている。勿論(金田さんが)過去に見ていたイラストレーターさんたちの影響はあると思うが、それを自分にとって一番良い形にちょっとずつ改変していっているように思う。
○ (具体的には)目頭の窪みなど、普通(あまり)描かないようなところが描かれていたり、まつ毛が眉毛の役割も果たしているような描き方だったりなど、細かいところの技術が優れている。
○ だからこそ、目をひとつを取って見てみても面白く見ることができる。そういったところ(細かな描写)も是非見て頂けたら良いなと思っている。

ーー大槻さん談

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ナツメ感想(金田涼子さん作品)

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『富嶽図 -梅-』引用元:shuuue.net

金田さんといえば擬人化された少女たち、といった印象が強かったので、この作品には驚きました。しかしよくよく考えてみると、ひなまつりというテーマだからこそ生まれた表現であるように感じます。

大槻さんが金田さん解説の冒頭で話している通り、この絵を見て富士山だと思わない人はほとんど居ないと考えらえれます。そのくらい、国内でも外国でも富士山は有名な山です。

つまり、富士山という、世界的に有名な山がモチーフであることから、(大幅な)擬人化をする必要が無かったのかもしれないと考えることもできるなと思ったのです。

擬人化しなくても感じ取れる自然の息吹というのが、富士山にはある。だからこそ、一番伝わる描き方を探った結果が、目を描くという描写だったのではないでしょうか。逆に、あまり知られていない違う山なら、これまで通り擬人化の必要があったかもしれません。

そのくらい強烈な印象を与える富士山ですから、ひなまつりの絵というよりも富士山の絵としか捉えられなくなってしまう危険性もあったように思います。しかしそれを中和するのが、梅の花の気配を纏った「小さい女の子ちゃん」たちです。

富士山をシンプルに、梅の花の精のような小さな女の子たちをたくさん鮮明に描くことで、画面のバランスが保たれているように感じました。特に往年の金田さんファンの方でしたら、小さな女の子ちゃんたちがどんな仕草をしているのかに気持ちを向けるのではないかと思います。

こうした行為が生まれることによって、この富嶽図は「富士山が見える地域のひなまつり」という絵に帰着するのではないでしょうか。とても可愛らしく、「こんなひなまつりの絵があったんだ!」と嬉しい発見のある素敵な作品だと思います。

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▶︎北浦朋恵さん(44:10頃〜) / 大槻さん解説

大槻さんの解説です

○ 北浦さんは実はひなまつり展皆勤賞!5回とも参加してくださっている唯一の作家さん。
○ また、じん吉さんと同じく、北浦さんも初めての展示がひなまつり展だった。→思い出がたくさんある作家さん
○ 北浦さん(の作品)がどうして面白いか。彼女は現代のデジタルのスピード感にそぐわない描き方をする作家。ものすごく面倒な工程を経る描き方をされる。
○ 線や色に対するこだわりがすごい。執念とも言える。自分のイメージする線や色に辿り着くため、一枚を仕上げるために全身全霊をかける作家さん。
○ ぱっと見はサンリオキャラクターを彷彿したり、絵本に出てきそうな柔らかな線なのだが、それだけではない。
○ 北浦さんがいつも考えていること。それは実際にこのキャラクターが生きているということ。そのためキャラクター絵に落とし込む前に、じっくりと動物を観察したり、リアルなスケッチなどを行う
○ そうして骨組みや肉付きなどの、「(その動物の)本物の姿」を自分の中ですごくしっかりと感じて、その上でキャラクター化を行なっている
○ つまり、彼女の中で「生きたもの」として、ものすごくシンプルな線で仕上げている(ちなみにサンリオキャラクターもお好きだそう)
○ そういう意味では、キャラクターにしていく時の眼差しは金田さんと似ているかもしれない。何にも考えずにキャラクターを作るわけではなくて、「サンリオキャラクター的なものの背景にも生き物はいるんだよ」ということをすごく感じながら(キャラクターを)作っている作家さん
○ そこへのこだわりがすごすぎて、制作に膨大な時間がかかる(笑)一枚一枚に全身全霊を掛けている、知る人ぞ知る恐ろしい作家さん。北浦さんにはそうしたアツいエピソードがたくさんある
○ 線一つとっても、「このカーブじゃないとダメ」というのがあったり、目の描き方一つとっても、ものすごく時間をかける。
○ iPhoneで撮影しているため、原画の持つ色の美しさを伝えきれないのが残念。この赤色(「トシ」を指して)は、iPhoneでは少し暗めに見えているが、原画はなんとも言えない明るい赤色をしている。
○ (「春」を指して)この白い絵なんかも実物はキラキラしてる。このまま和菓子のパッケージなどになってほしい(笑)原画で見ないと絶対にわからない部分が多いので、是非見にきて欲しい
○ あと、(描写の)細かさや、北浦さんがキャラクターを作る時の意識、動物への愛情をお持ち(なのでその辺りも見てほしい)※北浦さんは動物が大好き
○ 動物への愛情というのは、明るい面だけではない。動物というのは生と死と切り離せない。彼女は動物の持つ生と死というものも身をもって知っていて、生と死に対する「嬉しい気持ち」「悲しい気持ち」「寂しい気持ち」などを手放さずに持っている。
○ だからこそ、本当に小さな喜びや本当に小さな悲しみなどを全部自分で感じて、そのあたりの気持ちが(「サチ」を差しながら)描かれたワンちゃんの微妙な膨らみなど(ベジェ曲線では描けないような絶妙な線)に込められている。すごく時間をかけて描いている。
○ ひなまつりということで、今回は赤色の作品がメイン。これは北浦さんが意識してそういう風に作っている。
○ コロナの時代になった時に、彼女は本能的に赤を欲したという話をしていた。
○ (大槻さんの知っている話でいうと)昔中国で病気になった人に赤色のお布団をかけてあげるという話を聞いたことがある。赤には「病気を治す」「体温を上げる」という効果があるらしい。
○ 日本では厄除けなんかに赤色が使われたりするが、あれにはやはり意味がちゃんとあり、健康への不安が現れた時に自然と赤色を使うというのは解るし、自分としても身をもって実感するところがある。そんなこともあり、(北浦さんの作品に)感情移入している。
○ (「モモ」を指して)この絵のピンク色も、iPhoneでは全然再現できていない。全然違う色をしており、こんなに美しいピンク色を見たことが無いというくらい、すごく豊かな明るいピンク。非常にクオリティが高い。

ーー大槻さん談

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ナツメ感想(北浦朋恵さん作品)

北浦さんの作品はwebを通してよく拝見しているのですが、今回のひなまつり展の作品を見て、自分の中にあった個人的解釈が深まったように感じました。

それは「北浦さんの作品はどこか薬膳的に感じる」ということです。当然ながら食べ物ではないのですが、薬膳の定義である「栄養、効果、色、香り、味、形など全てが揃った食養生の方法(via. Wikipedia)」に、とても近いように思うのです。

なので、色を作るというよりも、まるで漢方を調合しているように見えるのです。

赤ならクコの実をメインに八角を入れて、緑なら色の濃い薬草を入れて…というイメージで。線や色へのこだわりは、そういった思想とも結びついているように感じられるなと、個人的に思っています。

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『赤い模様』引用元:shuuue.net

この絵は下記のツイートに書かれているように「隣にいる子を突然ポカっと叩くような子」を想像して描かれたそうです。

北浦さんの作品は、見た目の可愛らしさはもちろんのこと、こうした背景がかなりしっかりしているのが大きな特徴です。掘り下げれば掘り下げるほど面白くなる、スルメのようなタイプの作家さんだと思います(すごく好きです…)

着物の模様の丁寧な描写も素晴らしいです。とても細やかで、「この子に着せてあげるものだから大切に描きたい」という気持ちが伝わってきます。

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『春』引用元:shuuue.net

この絵を見た時に、これは新しいひなまつりの形かもしれない、と思いました。赤と青の着物に象徴される雛人形ですが、最近はお客様のニーズに合わせてパステルカラーの着物を着たお雛様も作られているそうです(NHK BS 「イッピン」より)

しかしこちら真っ白な雛人形、しかも絵画です。雛人形といえば春の風物詩ですが、こちらの絵は年間を通して飾ることも可能なのではないでしょうか。

ひなまつりが女の子の行事になったのは案外最近で、江戸時代あたりからの習慣だそうです。それまでは男女問わず、上巳(じょうし、じょうみ)の節句に無病息災を願う祓えの儀式だったとのことです。

つまり、家族の健康を祈るという点を重視するのであれば、そして歴史的にも風習が変わり続けていることを鑑みるのであれば、この絵を飾り日々無病息災を願うという形式が生まれてもおかしくはないのかもしれないと感じました。目立つ色を描かないことによって、ひなまつりの本質を突く作品になっているように思います。


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『花のちゃんちゃんこ』引用元:shuuue.net

こちらも大変可愛らしい作品ですね。モデルはウサギの置物のようです。

ちゃんと ちゃんちゃんこ の形をした羽織を羽織っているのですが、生花に包まれているようにも見えます。描かれているのは桃の花でしょうか(桜だったらすみません)。春の訪れを感じますが、しかしちゃんちゃんこを着ていることからまだ肌寒い日が続いているように思われます。なので、完全に春になったよという絵というよりは、小春日和的な、寒い冬でもささやかな暖かさを感じられる日を表す作品なのかもしれません。


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『トシ』引用元:shuuue.net

お宮参り時に赤ちゃんに着せる前掛けを彷彿するような、健やかさへの祈りの印象を受ける作品です。身体が赤いから余計に「赤子」を想像してしまうのかもしれません。

しっかりと前足を揃えておすまししているところが可愛らしいですね。子どもを授かった人にプレゼントしたくなる作品だと思います。


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『サチ』引用元:shuuue.net

『トシ』ちゃんよりも少しだけ『サチ』ちゃんの方が年齢的に上に見えるのは私だけでしょうか。こちらは先程の『トシ』ちゃんに比べてお姉さん的な(と言ってもまだまだ幼い)自信を持った子に感じられました。

思わず「大きくなったね」「これからも元気に大きくなってね」と声をかけたくなる作品です。名前から女の子であると考えられますが、それが身体を描く曲線にも現れていて、本当に細やかな作品づくりをしているのだなということが伝わってきます。


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『モモ』引用元:shuuue.net

『モモ』ちゃんは大槻さん曰くなんとも言えない美しいピンク色とのことで、出来ることなら現地で拝見したかったです…(コロナめ…)

『モモ』ちゃんは先の『トシ』ちゃん『サチ』ちゃんに比べると目線が下に向いており、もしかしたら生まれたばかりの赤ちゃんを見ているのかなと想像してみたくなる作品だと思います。もしかしたら犬の赤ちゃんではなく、自分より小さな虫たち(アリなど)かもしれません。

そんな風に、この子には「見守る目」が宿っているように見えてきます。

ワンちゃんモチーフでもこれだけ個性がそれぞれ出ている作品を見ると、北浦さんの動物に対する愛情ある眼差しや、観察眼の鋭さがすごく伝わってきて、思わず「わぁ…!」と声が出てしまいます。

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今回も長くなりました;次回で最後です!

2021年02月 文責:ナツメミオ

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