夏がくるぞ

 また夏がくる。そんな当たり前のことが私にはどうしようもないくらい嬉しくて、むやみに窓をあけて、風の匂いをかいだりして、今日も一日が過ぎてゆく。

 だけど、夏がきたからって、何をしたいわけでもない。もちろん海へ行ったり、花火をしたり、お祭りの熱気につつまれたりするような、ありきたりな煌めきに未練がないわけではないし、久しぶりに帰った田舎の空港の静けさに驚いたり、通りのない海沿いの道で車を飛ばしたり、蚊取り線香片手に墓参りをしたりするような、郷愁に飢えているのも確かではある。

 でも、そんなことがすべて叶わなくたって、私は夏という季節に身を置いているだけで、充分に幸せなのだ。同時に、幸せのあまり、息がつまってしまうような気さえする。たとえば大好きなアイスクリームが残り一口になってしまったときのような。無我夢中で読み耽った小説が最後の一ページを迎えるときのような。幸福の真っただ中にいる瞬間にも、幕切れを恐れてしまうのは、私の悪いくせ。乾杯のときにグラスを合わせる音さえ、私には終わりの始まりの合図に聴こえるんだ。

 そんな私が、大好きな夏に囲まれて、平気で生きていられるだろうか。きっと街角で見つけた夏のかけらに見惚れるたびに、少し遅れて九月の足音がついてくる。だから私は、微笑むたびに物憂くて、眩しさのあとに目を伏せなければならない。

 いっそ夏を嫌いになれたなら。そんな風に考えなかったこともない。けれど、出逢ってしまったのがすべてだった。いつからか私は、夏が終わった瞬間から夏を待ち焦がれ、夏が始まった瞬間から夏の終わりにおびえるような、どうしようもない人間になってしまった。好きなものが増えるたび、失いたくないものも増えてゆく。それもまた、当たり前のことだけど、結局そんな当たり前の中で、生きてゆくしかないのかもしれない。

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