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邪馬台国と卑弥呼…魏志倭人伝は実に正確だった   10.正確に読む:『水行十日陸行一月』

  外国で著された文書を読む際の日本の研究者達の態度の問題をまず、指摘しなければならない。
 『魏志倭人伝』を表した作成者『陳寿』は、中国の正史に名を残すほどの人物であり、実績のある人物でもある。彼は国外を訪れて、各国の『訪問記』を著している。目的は、渡航した『外国』の情報を本国に伝えることである。言い換えれば、現代の『諜報活動』と同じものである。
 この『陳寿』のミッションを考えると、『正確であることが生命』なのである。誤った情報を伝えることは、報告者としては明らかに『失格』なのである。
 このような背景を踏まえたうえでも、彼の記述に『誤り』があると言うなら、確固とした
 ・過ちを犯した背景・理由
などを明確にすべきである。
 もし、『誤り』があるとするなら、『その記述以外』信頼できる情報とすること自体、極めてナンセンスである。その記述以外が『正確である』ことを立証しない限り、『魏志倭人伝』に基づく論を展開することは、ご都合主義であり、研究者としての素養が疑われても致し方無い。まったく論理性に欠ける方法である。研究者の風上にも置けない人々である。
 研究者達が、解釈に困ったために持ち出す『陳寿誤記論』などは、論外であり、笑止千万の業以外何物でもない。
 歴史を研究する際には、論理的で科学的な根拠も含めて議論しない限り、研究者個人の感想文程度のもである。
 
さて本論に入る:
 『東夷伝 倭人の条』通称、魏志倭人伝を読むうえで、多くの先人たちを悩ませてきたのが、この「水行十日陸行一月」の記述であろう。
 またこの解釈を巡って珍論・奇論が登場することになった。
 しかし、この表現を解釈する際に『あまりに想像力の無い、知恵の無い解釈』に終始していた研究者たちは大いに反省すべきであろう。
 まず、この表現から、『水行を十日した後、陸行を一月』と考えている研究者達がほとんどであり、解釈に柔軟性の無いことが明らかである。
 その前に、解釈を進めるうえで、重要な前提の確認すべき事項がある。
 それは、
 ・陳寿は女王国(卑弥呼の都する)に至ったのか?
と言う点である。
 もし、
 A. 陳寿が女王国に至ったのであれば旅行記である
一方、
 B. 陳寿は女王国に至って無いとすると旅行情報である
このような識別が必要なのであるし、二つのケースがあることを考慮しなければならない
 

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