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山田太一 トリビュート #1 ~ 女性は「想い出づくり。」を超えられたのか

 2023年11月29日、脚本家の山田太一さんが亡くなった。89歳、死因は「老衰」と公表されているようだ。なんだか山田さんらしくて、その死を惜しむよりも「今までありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください」との思いでいっぱいである。高校生の多感な時期に山田作品に出会い、いろいろなことを考えさせられ、教えられた。私の人間観、人間理解に多大な影響を与えてくださった山田さんに感謝の気持ちを込めて、その作品を振り返る作業をしてみたい。

 さて、一番最初に取り上げたいのは「想い出づくり。」 (1981年・TBS  全14回)である。よく言われていることだが、裏番組にあの「北の国から」(1981年・フジテレビ)が放映されていたことから視聴率が上がらなかったのではないかと思われるが、当時、大学生で主人公たちとさほど年齢が変わらなかった私は断固こちらを観ることにしていて、毎週金曜日の夜が楽しみだった。

 じきに24歳を迎えようとする、吉川久美子(古手川祐子)、池谷香織(田中裕子)、佐伯のぶ代(森昌子)の3人の若い女性たちが、「とにかく結婚」を強要するような親や社会の圧力に抵抗しつつ各々の途を模索するストーリーである。「想い出づくり。」というタイトルは、「ひとりの時(独身時代)に何かひとつでもいい想い出がほしい」という彼女たちのつぶやきから来ている。その「想い出」が、後に久美子と付き合うことになる詐欺師まがいの根本典夫(柴田恭兵)に笑われてしまうように、当面「格安ヨーロッパ旅行に行くこと」にすぎず、それも結局騙されて金を取られてしまうという、なんとも情けない惨めな事件から話は始まっていく。

 前半は、被害者同盟とも言うべきか、すっかり仲良くなった三人娘の「ありきたりな日常」が描かれる。久美子は東京への憧れもあったか、静岡の商店街にある実家を出て、小田急ロマンスカーの客室乗務員として働いている。木造アパートの部屋は古びて小さく、職場との往復に明け暮れるだけの生活模様が見てとれる。香織は勤務先は一流のようだが、一般OL。お茶くみと職場の花程度の期待しかされていない、当時の若い女性の扱われ方の典型である。その中でも結構したたかに生きていて、何人かの男性と深い仲になって品定めをしたり、上司と情事を持ったりもしている。のぶ代は下町の工場で働く親と同様、下請け会社で地道に作業員をしている。高望みをする気もなく堅実に暮らしていたが、典夫に笑われて現状打破のために考え付いたのがチア・ガールというのも、いささかお寒い選択である。ところが、この一番地味なのぶ代に台風のように押し寄せた縁談のせいで、大事件につながっていくのだから面白い。

 詐欺師まがいの典夫(柴田恭兵)を見かけた時からいいな、と惹かれていたのが、この美貌で男性の影もなかった真面目な久美子(古手川祐子)。こういう男は嗅覚がするどくて「この女は押せば落ちる」と見抜くのも早い。あれよあれよという間に寄ってきて無理やり自分のモノにしてしまった。典夫は、その場限りでもないようだが、久美子や親たちが望むような「堅実な生活」などまっぴらご免である。「ちゃんとって何 ?」といつまでも悪びれる様子もない。いいかげんこんなダメンズには見切りをつければいいのに、と周囲もドラマを視ている方も思うのだが、久美子だけは「好きだから」と言って待ち続ける。これは男の立場から見て、嬉しいものなのだろうか。ドラマではこのカップルもハッピーエンドであったが、この執念にはちょっとコワイものを感じないでもない。

 香織(田中裕子)は、遊んでいる女性と見られつつもそれほどゆるくはないのであるが、課長に紹介されたリクツっぽいインテリの岡崎係長(矢口健一・デビュー作とか)に結婚観とか男の悪口などさんざん聞かせておきながら、まともな対象として考えていないという身勝手な面もある(結局、フラれてし
っぺ返しを喰うのであるが)。堅物のはずだった公務員の父の愛人騒動にも、妙に物わかりの良さを示すユニークな娘である。

 一番堅実な途を歩みそうだったのぶ代(森昌子)に一目ぼれして、押して押して押しまくるのが、東北で一財をなした実業家の中野二郎(加藤健一・圧巻の演技)。ズーズー弁で厚かましく迫るのだが、なぜか憎めない。のぶ代は反発とほだされるのとの繰り返しで、結局自分の身の丈や、久美子の順調ではない恋模様などを横目で見てついOKしてしまう結婚だったが、結婚披露宴の前日の二郎の横暴に耐えかねる出来事が起こる。三人娘は「控室ジャック」という行動に出ることになり、ドラマはクライマックスを迎える。

 三人娘の家族など、周囲の人たちのキャラ立ちも優れているのだが、狂言回しとして存在感を放つのが、父親たちである。久美子の父親(児玉清・ピッタリ)は、親だったらこういう反応をするだろうなという典型的父親像。娘を「正道」に戻そうとして奔走するが、娘やクズ男を頭ごなしに押さえつけることに抵抗があるのは、戦後のインテリの名残か。そこを香織の父親に「田舎のエセインテリが !」と喝破されて、なんと取っ組み合いの喧嘩になってしまうところはインテリ形無しの皮肉である。その香織の父(佐藤慶)は、娘たちの不始末の事後処理については、まず弁償額のことが頭に浮かぶという面白いキャラクターである。娘が課長(菅野忠彦)と不倫したことを課長の失言で知った時も、普通は怒り狂うところだが、この課長に娘の縁談を世話させようと即座に計算するところには苦笑してしまった。彼も実は、一度の気の迷いで娘と同じ年の水商売の女性に入れあげたという過去があるのだ。そんな彼自身と娘のことを考えると、久美子の素行についてとやかく非難できないはずなのにつらっと悪口を言うところ、とんでもないと思うのを通り越してなぜか笑ってしまう。のぶ代の父親(前田武彦)は、小市民の論理として常識的。世話になっている社長の甥との縁談を断れずに娘に嫁に行ってくれとは非近代的ではあるが、実はよくあることで必ずしも不幸になるとは言い切れないのである。このドラマで一番まともな人は、久美子がアルバイトをするスナックのマスター(深江章喜)である。久美子と典夫の二人それぞれに別れるように助言をするのだが、久美子が不憫だから味方をしているのかと思いきや、久美子の妊娠を典夫に告げて最後のチャンスを与えるところ。この人は典夫の生き方にも一定の理解をしていたのだな、と思うとその人柄の深さに感動した。

 最後には、二組のカップルは元のさやに収まり、一人相手のいなかった香織には、兼ねてからファンの根津甚八にそっくりな青山信一(根津甚八自身)との出会いがあり、数年後に子どもたちを抱いて再会する姿が描かれ、大団円となって終わる。あれだけ大騒ぎしたんだから、ひとりぐらい独身を貫いてもよかったのになあ、と思うのは今だからであって、あの頃のドラマとしてはそれでよかったのかもしれない。

 主人公を演じた三人には改めて拍手を送りたい。可憐な美しさの光る古手川祐子が、恋のライバルの田中美佐(現・美佐子)に勝ち誇ったように見せた顔には、この方はご自身も気の強い方ではないかと感じた。魔性の女の面目躍如の田中裕子は当時絶世の人気でした。森昌子をキャスティングしたのは秀逸で、役柄もあるけれど、女優二人に伍して負けていなかったのには改めて観て感心した。お三人ともそのあとの人生はいろいろでしたよね。山田さんの訃報で、この作品を演じたことを思い出されているだろうか。当時、「山田先生は、どうしてこんなに女の子の気持ちがわかるのかしら」と話していたそうだが。女の子の生活の実態の描写もリアルであった。朝、出勤前に時間がない中でそそくさと支度する様子。香織がお茶を配る前にコーヒーにペッペッと唾を吐くシーン。典夫に朝、脱がされた下着を久美子が陰に持っていって穿き直すしぐさ。のぶ代が二郎と最初の夜を迎えた翌朝の赤い口紅のついたティッシュの生々しさ(それをのぶ代の弟が目撃してショックを受ける)。言葉では語られないので、よく画面を見入っていないとわからないが、うならされるシーンが多い。最近の「ながら見」可能なドラマにはないものだ。

 さて、この全編に一貫したテーマとして「結婚」を連呼されるこのドラマを、今の若い女性が観たらどのような感想を持たれるだろうか。「そんな時代もあったのね」と一笑に付されるだろうか。毎週食い入るように観ていた私も、将来への不安のまっただ中にあった。あの当時の女性を取り巻く閉塞したムードを思うと今でも胸が苦しくなる。山田さんが世に問うた問題意識が、良い意味で過去のものとなっていればよいのだが、いかがであろうか。

 なお、ドラマのオープンニングに流れるのは、パンフルートという楽器の演奏で(ザンフィル)、今回のキャッチ画像に使わせていただいた。三人娘の揺れ動く心を表すような哀感のある曲調が印象的。山田作品では本当に、いつも良い音楽が使われておりましたね。