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お菓子と取り引きの未来

今回は全くどうでも良い話をすることを許してもらいたい。

◾️お菓子を貰う

自分自身、大学教員の仕事に就いて3か月が経ち、ようやく異常に忙しい状態を脱しつつある。そんなある日のこと。いつものように講義を終えて、片付けをしていた時のことである。
とある男子学生がフラリとやってきて「お菓子がいっぱいあるから、先生にあげるね」とお裾分けを受けた。一瞬唖然としたが、有り難く頂戴した。ちなみに、僕が担当している講義は、100人、200人という規模なので、正直、一人一人と関係が築けているわけでもない。そうした緩やかな関係において、このように優しい?振る舞いができる学生がいることに衝撃を受けた。
ひょっとして、講義の中で、都市におけるコーポラティズムやコモンズ、相互扶助について触れていることが影響しているのだろうかと考察してみたが、多分違う。純粋に、学生の優しさと捉えるのが妥当であり、であるが故に、都市のコミュニティ、コモンズは、こうした何気ない優しさから創発するのではないかという期待がよぎった。とはいえ、このお菓子を巡るやり取りを反芻してみた時、今一つの出来事を思い出した。

◾️お菓子をあげる

10年近く前の話だが、日本福祉大学の吉村先生にお声かけいただき、ゲスト講師で講義をしに行ったことがある。それが終わって、吉村先生と大学のコンビニに出向いた際、吉村先生を知る女子学生が、2、3人が近づいてきて「てるてるー!(吉村先生の下の名前が輝彦)」と声をかけてきた。自分にとっては尊敬すべき都市計画の研究者である吉村先生に向かって、てるてる呼ばわりすること自体が衝撃でしかなかったのだが、次の一言で度肝を抜かれる。
なんと「お菓子買ってー!」であった。「何を馬鹿なことを」と思った僕の呆れ顔の隣で、吉村先生は「しょうがないなあ、、」と自分の買い物かごに彼女たちのお菓子を入れてくれていた!どういう甘やかせ方なんだと唖然としたものだが、まあ、大学の先生と学生の間に、そういうフレンドリーさが醸成されることもあるのかなあと思っていたことが昨日のことのように思い出される。

◾️お菓子の先にある未来

ここまでの2つの事例をみると「学生におかしを譲ってもらう教員」と「学生にお菓子を奢ってあげる教員」という対比的な関係に気づく。何故このような違いが生まれるのかに関する分析は今後の課題であろう。
最近僕は、現代資本主義社会(貨幣経済)の行き詰まりを超えるための第二、第三の社会エンジン(多元的経済システムへの手掛かり)として、信頼経済や贈与経済の重要性、可能性に着目している。その視点からみると、ひょっとして、このようなたわいも無い取り引き、やり取りから、未来社会は創発するのかもしれない、と言えば言い過ぎであろうか。
そんな思いを噛み締めて、学生からもらったお菓子を頬張るのであった。

冒頭の写真は UnsplashNico Smitが撮影した写真です。

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