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4人以上の集まりが苦痛でその場から消えたくなる。1対1なら全然話せる

1対1だとたくさん話せるのに、、って思うのって私だけなのか。

4人以上のグループになると話せない!って人を今まで何度か見たことがあってめちゃくちゃ共感できた。

何も大人になって気を遣うようになったからとかじゃない。

子どもの頃からうるさくしたりみんなではしゃいだりとかできない方だった。




ともだち100人もできない

小学校、中学校、高校と一貫してずっと学校に行くのが嫌だった。

別にいじめに遭っていたわけでもない。

毎日、朝起きて学校に行くまでの時間が憂鬱だったし、日曜日なんかは「今この階段から落ちてケガすれば明日学校に行かなくていいのかなぁ。」なんて考えていた。

小学生の頃から何事も考えすぎる子どもだったし、人の目を気にしすぎる子どもだった。

当時はそんな自分でいることが普通だったけれど、でもどこか他の人とは違うよなと感じていた。

中学生の頃は、なぜみんないつも呑気で楽しそうなんだろう、とクラスの人たちを眺め、静かにしていた。

本当に子どもらしくない子どもだったと思う。

高校生になり、今までのような「クラス」や「教室」という概念もなく自由にひとりで好きなように過ごせる大学生というものに一刻でも早くなりたいと思っていた。

1日のうちの小休憩も長い昼休みも全部机に突っ伏して1日を終えたこともある。

友達が全くいないわけでもなかった。

でもたいていみんな嫌いだった。

3学期頃にやっと仲良くなれそうかなってやっと思い始めて、でももうすぐクラス替え、みたいな。

大学生になりいっきに生きやすさを手に入れたような気がして、初めて自分の生を生きている感覚になれたことを覚えている。

それでも人付き合いにおいて、周囲のみんなが普通にできていても自分にとっては困難なことがいくつかあった。

「友達付き合い」は、会社や仕事とは違って、誰かに強制された関係性ではない。

そんな自由度の高い交流でも大変さを感じてきたことを書き殴ってみる。


いてもいなくてもいっしょ

10人弱の集まりでは徹底的にだんまりになってしまう方だ。

厄介なことの発言せず黙ったままでいることで誰かに気を遣わせてしまうのでは、とかなんかしゃべれよと思われてるんじゃないかとソワソワもしながら早く終わらないかななどと思いやり過ごす。

授業のグループワークなんかもそうだ。

班で話し合ってください、と言われるのなぜかたいていは仕切り役や横から意見を言う役が出てきてくれる。

自分にも意見がないわけではないが、机をくっつけて話し合いが始まると同時に自分はどういう立ち位置の人間になればいいのだろうと考えていると話し合いのテーマに対する意見を捻り出すことに頭を使うことができず自分の意見が出ないままタイムアップ。

気づけば代表者が順々に班の意見を発表する時間へ。。

その間の時間に、あ、私はこう思うな、とそういえばな感じで思いつくのだ。

まぁ意見が頭にあっても話し合いの中でこの人が話し終わってから言おう!、、、あっ別の人が話し始めてしまった、、などタイミングを見計らい続けてどうせ口に出せないまま終わるのだろうけれど。

こういうグループワークってどうしても参加する人、参加しない人が出てくる。

参加しない側の私からしたらまじでいなくてもよくね?と思うと同時にいなくていい人認定されてるんじゃないかと自意識も高まり、とにかく早く終わってほしかった。



舌が動かず脳ばかり動く

大人になってからの飲み会や女子会的なものもそうだ。

こんな人間だからもう上手な断り方を心得たし、そもそも誘われることもほとんどない。

でも、今まで参加してきたものの中では学校の班の話し合いをする子どもとは違い、大人になるとより個人個人のタイプ、立ち位置、個性がバラつきが強く出るため、自分にとっては情報量の多さからそこに同席しているだけでも疲れてしまう。

それに加え、私の声は小さくて低いため、大人数で各々会話するのに適していない声なのだ。

人間、楽しいときはそうでないときよりも大きくて高い声が出る気がするのだが、苦手である大人数の集まりに出席した私はさらにさらに背が縮こまりハキハキと話せるはずがないのである。

一度肺活量を上げる!みたいなトレーニングをしてみたこともある。

居酒屋ともなると、周りのテーブルから聞こえてくるガヤガヤにも自分の声をかき消されてしまい、すぐ隣にいる人との会話も滞るため、それだけで相手をイライラさせてしまっているのではとハラハラしてしまいそれだけでも神経を使い疲れてしまうのだ。

場所が静かなカフェなどであっても、4人くらいで穏やかにおしゃべりをするのだってなるべく避けたいと思っている。

どのタイミングで話そうかな、この人が終わったら…と思っているとまた別の話題になってしまった、それなら私はこう思うしこれ言おう、、いやこれ言ったらこの人にはウケるけどこの人にはもしかしたらタブーだったりするのかもしれないし、やっぱ黙っとこう、、あれ??私相槌打ってばっかの人になってない?楽しんでないと思われて気を遣わせちゃうかもしれない、、!黙りすぎてるかも!えいやっっ!!「あそうそう私はっ、、あ、すみませんアハハ(発言したタイミングが他の人と被って譲り合う)。」

などなど。

とにかく神経を使って楽しむどころではない。

または初めの方に頑張りすぎて後半疲れてきてテンション低い人みたいになっちゃったり、逆に初めの方なかなか入り込めずにいたが、後半から慣れてきてどんどんおしゃべりになってしまいそれが恥ずかしくなって帰りたくなったりもする。

一貫して聞き役になって終わってしまうパターンではただただ申し訳なく思って帰宅する。



何モードでいけばいいの?

人数が3人に減るとやっとぎりぎり滞りなくストレスなく会話ができるようになる。

大人数では埋もれていた私がやっと地表に顔を出せる、そんな感覚。

タイミングを伺うという自分の中の作業が格段に減るからだ。

しゃべるならしゃべる!黙るなら黙る!どっちかにいたい私にとって3人だとしゃべる!に徹することができてやっと楽しむことができる。

大人数でいると典型的なコミュ障の印象を持たれている自信があるが、1対1の会話となると持ち前の!と言えるほど会話が弾ませられるし、途切れない会話なんて本もあるが2〜3人で会話する時の自分にとってはあまりにも不必要なものである。

その場にいる人や人数によって二重人格並みにコミュ力が変わるのはHSP関係あるのかどうか正直わからなくなってきてもいる。

でも、HSP気質というものに自分が当てはまると気づいたことで子どもの頃から周りのことを気にしすぎると言う子どもの頃から違和感に少し合点がいったのだ。

「どの自分でいればいいかわからない」

言い換えれば、どのモードで挑めばいいかわからないという感覚が大人になっても消えない。

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