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そういえばnoteを始めたキッカケ

<とても長いので「長いな…」と思われた方は最後の章だけ読むこともオススメです。>


自分的に「noteちゃんとやろう!」と思い始めたのはつい、今年に入ってから。
初投稿はたしか昨年の9月頃だったと思います。

とは言え、このnoteをやる前にその前衛的なnoteを数年前につくって、少しだけ書いてすぐに消しちゃった記憶もあり。

さらに遡ると、2015年からはてなブログを日記用として非公開でだらだらと書いています。

そもそもなんで結構まじめにnoteを書こうと思ったんだっけ?とふと思ったので整理のために記録します。

まぁ、まとめると。

就活中に鬱っぽくなっていた自分を救ってくれたのは、それまでは知らなかったインターネットの世界でブロガーやライターの方々が書き綴る想い、見せてくれた広い世界だったので、自分の考えや経験が誰かの助けになるって素晴らしいな、私もいつかそんな文章を書く側の人になって遠い誰かの役に立てることができたならそんな嬉しく誇らしいことはないなと思っていたからです。
(あんまりまとまってない)



きっかけ : 就活がしぬほど嫌だった

正直、会社勤めなんかしたくなかった。したくなさすぎた。

大学院を中退し自己嫌悪から抜け出せないまま実家でお世話になっていた私は自分の部屋で求人票を見漁ったり履歴書を書く傍らネットサーフィンをして悶々と過ごしていた。

普通に会社に入って普通にサラリーマンをやる。
毎日同じ時間に、同じ場所で、同じ人間と、おもしろくもない仕事を1日中して家に帰った頃にはもう夜ご飯を食べてお風呂に入って寝る、

のが普通の生活。

家に帰ったらとっくにもう日が沈んてて、その日の仕事の疲れを取って次の日に備えて気力を準備するなんて、仕事のために生きてるようなものではないか。

なんて、ちょっと悲観的になりすぎていたのもあるけれど、その時の自分が想像する会社員ってそういうものだった。

どうしてみんなそんなことを「普通」として、平気な顔で当たり前に日々こなしているのか不思議でならないと反骨精神のようなものにまみれていたその頃。

会社員という働き方を辞めて今はフリーランスとして時間にも場所にも縛られずに生活している〜という感じの人のブログを見つけた。

詳しくは覚えていないけれど、その人のブログで綴られていることが、自分が日々考えていることと似ていて、自分と同じ考え方の人がいることがすごく嬉しかった。

ノマド、ジプシーという言葉もそのとき初めて知り、心が躍ったのを覚えている。

周りの友達がまともに社会人としてのスタートを切る中、自分はそれができなかった、自分の考え方はおかしくて自分はダメなやつなんだと、今で言う自己肯定感が爆下がりだった時期に、知らなかっただけで自分の考え方でも生きられる道があるんだと希望を持てた。

他にもいくつもそういったブログや記事を見つけていろんな考え方を知ることができてとても勇気づけられたし、何より世界が広がったのだ。
自分はなんて狭い世界にいたんだろう、と。



元祖ブログ爆誕:やったことリスト

その頃は鬱と診断されるほどではないが、プチ鬱状態だったと思う。
ネットでその日したことやできたこと、よかったこと、思ったこと、なんでもいいので少しずつでも日々書き出してみると良いということを知って早速初めてみた。

それが私が2015年に始めたはてなブログである。

(意味わからんようなことも書き殴っているめちゃくちゃ見づらいただの日記だし、中2ポエムみたいなことも書いてるし恥ずかしいのでこれまでもこれからも非公開)

確かに達成感を感じられたり、その日の振り返りをすることで頭の整理になり漠然とした不安が解消できた。

おすすめは「今日やったことリスト」。
箇条書きで簡単なものいい。
例えば、

・午前中に起きれた
・朝ごはん食べれた
・スーパー行けた

こんなことでいいのだ!

なんでもない日、なんにもできなかった日だと思っていた今日だって、なんだ、意外と生命活動できてるじゃん自分!と前向きになれていった。

箇条書きのリスト以外にもその時自分が感じたことや、そのことについて深く追求したりしてみて、とにかく誰も見ていないこの自分だけの場所で、好きな形で好きなこと、嫌いなことについてまでも好きなだけで書き殴るのはとても気持ちが良かった。



懐古:クラスの誰よりも作文が長かった


誰よりもは正直盛りすぎかもしれない、小学校の頃のみんながどれくらいのボリュームを書いていたのか知らないから(笑)

でも、自分でもそう言いたくなるくらい宿題の作文はいつまででも書けそうだという感覚だったし、書き終えるのにはいつも指定の枚数を超えなければいけなかった気がする。

小説も読まないし決して読書好きではなかったけど、そういや小さい頃から書くことは好きだった。

口に出すことは苦手でいつも物静かだけど、文字にすると饒舌なタイプの子どもだった。
(大人になっても変わってないかも)

長く書けるというだけで文才はなかったと思うがボリューミーだから先生に褒められることはあった。

将来の夢は小説家!なんて思ったことはなかったけれど、いつも頭の中に文字がいっぱいある感覚は子どもの頃からあった。



やっと始動:誰だって味のある人生なのでは?

頭空っぽでひたすらやりたいことをに向かって飛び込んでばかりの20代は、文章を書くをということが頭から離れていた。

なぜなら、とにかく自分の落ち着きがなかったから笑

時は過ぎアラサーになり。
振り返れば、同じ学校で同じように学んできた同級生たちとは全然違う方向に歩いてきた自分。

みんなが就職していくなか、大学院に進み、
院の友達が修論テーマを決める頃、ドロップアウトし、
同級生の友達がやっと会社に慣れてきた頃、やっと内定をもらい、
みんなが石の上にも3年とあくせく働くのを横目に、さっさと退職して海外放浪し、
第一次結婚ラッシュに入った頃、夜の世界に足を踏み入れ、
第二次結婚ラッシュに入った頃、個人事業主となり、
出産ラッシュに入った頃、イヌとネコとヒモ(彼)(笑)を飼い始め。

どう考えても一般的ではないタイプの人生の歩み方ではあるけれど、
自分の心の声に従って過ごしてきただけなので、自分にとっては普通も何もないし、何と言うか何とも思っていない。

よくある普通の人生よりも、何だそりゃ?!っていうわけのわらかんストーリの方が面白いドラマになるよね…??

そう思い始めてからは、漠然とこんなだったなと自分のこれまでの人生や考えを紙に書き出したりして振り返った。

それから、きちんと向き合い、自分の中でも咀嚼し、味わえるものにできるよう形成をしていきたいと思うようになった。

noteの存在を知り、記事を投稿する、に至る。

はじめは思いついたものをそのまま書き出していてなんと読みづらいこと。だったが、最近は見てくれている人に楽しんでもらいたい!心に残ってほしい!と思っているので書き方を自分なりに工夫するようになった。

ちなみに、はてなブログで書いていたネタたちも掘っくり返していつかは読者の方にお見せできる形にできたらと思っているところ。

noteと違って誰にも見られていないのだから静かに感情が爆発していて、ある意味こっちの方がおもしろいかもしれない(笑)(からこそそのままでは絶対に見せられない笑)




大学院時代につまづき、思い描いていた人生を送れていないと苦しんだ時期に、顔さえも知らない遠くの誰かのたくさんの言葉や想いを知って世界が広がって救われたことは、自分にとって本当にやりたいことはこれだ!という小さくて静かな確信を生んだと今になって思います。

研究を頑張ってゆくゆくはアカデミックな分野でキャリアを築いていくぞ!としか考えていなかった私は自分の得意不得意もやりたいことも本当には分かっていなくて、無意識下で思考停止に陥っていたのだと思います。

人生を思い描くのには材料が必要で、その材料は自分の知っていることの中からしか選べない。

自分みたいなやつの意味のわからない人生や意味のわからない考え方でも、
誰かにとっては未知の、新しいヒントになり得るんじゃないかなとポジティブに考えていて、

あの時の自分のように何かに囚われたり、狭い世界の中でぐるぐると迷子になっている人たちに自分の経験や想いを綴ることで、小さな気づきを与えられたり別の世界を見せたりできたらいいなと思っています。

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