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猫と菜園

家によく来る野良猫がいる。

窓前をゆっくり横切るように進み、庭の小さな菜園の脇を通って隣家へと抜けて行くのが彼のお決まりのコースだ。
敏感なので少しの物音でも警戒するし、近付こうとするとサッと逃げてしまう。

でもその日の朝は違った。
庭に出てふと菜園に目をやると、彼が身じろぎもせずじっと佇んでいた。
いつもはこちらの姿を見た途端、あっという間に去って行くのに。
もしかしたら、やっと心を許したのかもしれない。

ちょっと嬉しくなって、おはよう、と声を掛けてみた。
逃げない。
これはもう確かだ。脈アリだ。
気のせいか表情にも今までには無かった親密さを感じる。

どした?なにしてる?けさもさむいね。
げんき?わたしはね、いまはあんまりげんきじゃないよ。
はるはいつもよりちょうしをくずすね。
でもまぁ、いきてればいろいろあるからね。
おたがいたいへんだけどぼちぼちやってこ。

猫に近況を話している体で、途中からほぼ完全に自分への言い聞かせだった。
それでも彼は神妙な面持ちで終始こちらの話に耳を傾けている。
おかげで心が少し軽くなった。

「まぁ、ゆっくりしていきな」
土の上に寝そべる猫に気分良く声をかけて家に入ろうとした時、視界に何かが映った。

菜園の青菜にかぶせている鳥よけ用のプラ製ポットの中で、何かが小さく動いている。
よく見ると、鳥だった。
青菜を狙ってポット内に入り込んだムクドリが、うっかり出られなくなってジタバタしていたのだ。

何のことはない。
猫はめったにありつけないご馳走を狙って、ただ野性をギラつかせていただけだった。
散歩ルートでたまに見かける人間がふと吐露した心情に深く共感していたわけでもなかった。
猫には猫の、シビアな生活と現実があるのだ。

鳥よけポットにそっと近付き、棒でそれを恐る恐る持ち上げると、ムクドリは勢いよく羽ばたいて一目散に空へと逃げて行った。
先ほどまで猫がいた場所に目をやると、姿も気配もすっかり綺麗に消えていた。

猫も案外即物的だな。

1人取り残された菜園の前で伸びをして、静かにそっと家に入った。

メルヘンで優しい世界はどこに。


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