見出し画像

人の心配をして泣き、自分と違う考えに感動できるひと @うだちゃん

このコーナーは「ミテモで働くひとって、かなり変わってる?もとい、個性的で惹きつけられるぜ!」と感嘆したライターによるミテモスタッフ・インタビューです。

うだちゃん。彼女はいつもウニウニ考えている。答えをすぐに出したりしない。自分ひとりの考えに収束することを恐れて、ウニウニしたままの考えをゴロンと両手に出し「ゆらぎ」を与えてくれる仲間に相談する。自分と違う考えに出会うと感動し、またウニウニしながら多面的な視点をひとつひとつ認めていく。うだちゃんはミテモで制作業務をしながら、チーム全体の業務工程や勤怠管理、メンバーの働きやすい環境づくりを担当している。「ひと」に関わる仕事が中心だ。ミテモには個性的で多種多様なメンバーが揃う。eラーニングのプロフェッショナル、クライアントに向き合う営業、webデザイナー、現代美術のアーティストまで「違う考え・異なる背景・多様なスキル」の集合体だ。企業で多様性を構築するとき「意見が対立してしまう」「チーム力が育たない」「個性がいかされない」事態は当然起きる。
多様性がハイパー豊かなミテモで、うだちゃんはどんな考えで「ひと」の環境を整えているのか?アレコレ聞いてみました。
(インタビュー写真は、シャイな彼女の最大限可能な範囲の仕上がりになっております。お察しくださいませ!)

多様性って難しい

多様性を生み出すことは、実はすごく難しいと思っていて。異なる背景や考え方が違う人たちを同じ場所に集めても、相互作用がうまれるような豊かな多様性にはならなくて、ただの寄せ集めになってしまう。多様性はすぐに生み出せるものじゃないし、同じものに興味を持ち、同じ場所で働いているというだけで一定の一様性があるわけで。わたしたちは「ある立場(ポジション)をとる」ことから逃れることはできず、そうでない可能性に目を向けなくてはならないし、その可能性自体が実は制約されているということを忘れてはいけない。だからこそ、相手に興味をもって、コミュニケーションをとることが必要なのかも。どうしてこの人こうなんだろう?と理解しようとしたり、どう伝えればいいかな?って考えたり。そういった関係は、相手を敬うことのうえに成り立っている。誰もが、自分がしたことのない経験を積んでいるし、自分には見えない世界が見えているはずだということを忘れたくない。相手そのものを尊重できないと、多様性は生まれないし機能しない気がする。

自分と違う考えの人に出会ったとき、びっくりすると同時に感動する。「えー!そうなるんだー!すごいなぁ」って。ときどき、うっとりしています(笑)そして、それと同時に自分の「頑なさ」を感じることもよくある。自分はどういう考えで、その背景にはこれがあるというふうに、自分を観察するよい機会。自分の考え方や傾向性はゼロにはならないから、それがどんなものかを知っておかないと。自分にとって苦手だったり、ちょっと違うなと思う考え方に出会ったときは、シャットアウトはしないけれど受け容れもしない。受け止めて、受け容れられない自分がいることを認める。あなたはそう考えるのか、わたしはこう思うという話をそこから始めたい。やっぱりお互いに相手に見えているものを尊重する姿勢がないと、成立しないと思う。

人を責めず、仕組みを整え言語化する

ミテモは、もちろん管理職の方もいるけれど、ピラミッド型の組織構造がなくて、フラット(写真:スーーーッ!を表現するうだちゃん)。誰かに決めてもらうことよりも、相談しながらではあるけれど、自分で決めることが多い。先輩や上司をみて、自分がどんなステップを踏んで、どうなっていくのか、先のことが大体わかるという環境でもない。自分が目指す方向も、もちろん相談しながらだけど、自分で築いていく必要がある。それは、一つの側面からみれば、やりがいがあって、たのしいけれど、もう一方の側面から見れば、どこに向かってよいかわからなくて、不安なことかもしれない。「決めてくれない」「やってもらえない」「普通の会社だったらこんなことはない」と環境や周りの人を責めてしまうかもしれない。でも、それは悲しいことだと思う。ミテモはこういう考え方をする会社で、良い面もあれば、表裏一体でマイナス面もあるという共通認識が大事。みんなが理解したり共通認識を持つことができれば、非難でなくて、構築に結び付く気がする。いまある問題とともに、ミテモの魅力を言語化して伝え、一緒に組織をつくっていく仕組みをつくりたいなと思って、いろいろと考えています。

他にも、仕組みを整えること、言語化して共通認識をもつことで、改善できることがたくさんある。でも同調圧力みたいなものが生じるのが怖い。たとえば、以前、全社で共有することを話す場が整っていなくて、一部の人に声がかかっていなかった。それに違和感があって、全員参加に切り替えるように動いたことがあった。「別に関心がないからいいや」って言われないか内心ドキドキしたし、今もそう思っている人もいると思うけれど(笑)。でも私は必要だと思うから、それを信じてやっています。その結果、狭い場所に大勢の人が集まることになり「関心はあるけれど、人が多くてその場所にずっといるのが辛いから参加しなくてもよいか?」と相談してくれた人がいて、そのことがとても嬉しかった。率直に言ってもらえたことが何より嬉しかった。(他の理由で参加できない人もいるから、毎週内容をまとめて皆がみられるように更新するように仕組みに昇華した)。結局、全てに対して100%うまくいくことはないから、そこで零れ落ちるものをキャッチできるつながりや、関係性をつくることが大切だと改めて思った出来事でした。私ひとりの力では無理なので、どこかで誰かがつながっている状態をつくりたいと思うけれど、いまだ解決はみえず、まだまだ考えながら日々過ごしています。

この先こういうのをやってみたい!は決めすぎない

ずっと自分のなかでテーマになっていることはあるけれど、それにどのように関わるかは決めていません。何か具体的で明確な目標をおいて、それに向かって脇目もふらず進むことが苦手で、そうすると、目標達成までのプロセスが苦しくなってしまって。義務みたいになってしまうので。やらなきゃ!やらなきゃ!って思うと心が辛くなってくる。手段が目的になってしまう。自分のテーマは大切にしつつ、いま心が動くこと、気になること、今できることを夢中になってやるように意識しています。不快なところにわざわざ飛び込んで、そこで成長するモデルも苦手だから、ジワジワジワジワ進めていく感じ(笑)。軸に立ち返りながら、今に夢中になってあーでもない、こーでもないってやっていって、振り返った時に、何かになっているといいなと思っています。

ウニウニするのが好きな自分

何かを決めるのが苦手で、立場をとるのが苦手。いろいろなことを考えてしまう。たとえば、ファミレスで注文をするときもいろいろ食べているときの自分を想像してしまう。想像しながらも、この基準で選ぶとこうなるし、この基準にするってことは前提がこうだしと考えていて、その前提も変わりゆく。どうしてすぐに決められないのかなと思うこともあったけれど、私はウニウニ考えるのが好きなのか、と認めるようになりました。こんな感じで、仕事でもウニウニしています。こうするとあの人にとっては〇〇だけれど、あの人にとっては××で、こうするとこうなる可能性があるけど、一方で…みたいに。とにかくウニウニ考えています。

人との出会いで開放される

いまは周りのメンバーに助けてもらっています。ウニウニしすぎると本当に戻ってこられなくなるので、いい具合に抑えないといけない(笑)。行きすぎるとむしろ思考が硬直して周りも見えなくなってしまう。尖った線みたいになってしまうから、もしや、いまウニウニしすぎかもと思ったら、メンバーに相談するようにしています。相談すると、学べることがたくさんあって。ある人は、私が思考を整理するのを助けてくれるんです。話しているうちに、道筋がみえてくる。ただ単に「そんなに考えないでとりあえずやれば?」と言うのではなくて、きちんと聞いてくれたうえで「そこまで考えているなら、きっと大丈夫だから、まずはこうしてみたら?」と言ってくれる。考えるという私にとって大切なプロセスを認めてくれたうえで、そう言ってくれる。お蔭様で、苦手だった「まずやってみる」ということも、もちろん考えながらだけれど、ちょっとずつできるようになりました。

多様な人が集まって、場をゆらしてくれることは大切だと思う。いろんな角度で物事を捉えることにもともと興味がある。この考え方でも見るとこうなる、あの考えで見るとああなる、同じ世界なのに、見え方が違う。それもあって、もともと哲学の研究もしていました。私自身、自分の考えや主張はしっかり持っているタイプだけれど、それに収束していくのが怖いなと思っています。多様な人が率直に話してくれる環境は大切にしたい。尊重がベースにないと成立しない関わりですね。ゆらぎを感じると、そこから思考も始まって、そこには楽しみも気づきもあるし、もちろん不安になることもある。でもそんな自分を客観的にみて、ゆらいでいることに安心している自分も常にいます。

居心地の良い牧場みたいな場をつくりたい

ミテモは本当にいろいろな人がいて、動物園みたい!と思ったことがあったけれど(笑)、檻はないから牧場なのかもしれない。動物たちが、何か一つのものを目指して邁進しているというのは多分違って、放牧されて、一緒にいる。必要に応じて集まったり離れたり「どう見えるの?どう思う?」と聞きあっていて「それいいね」「それはちょっと私には無理だ」など、言い合っているのではないかと。

柵の内側には掲示板もほしい。この動物は何が得意でどんな特性があるかが書いてあったら便利そう。遠足のお知らせも書いたりして。外向きにはちょっとかっこいい看板をつくっておきたい。私が掲示板のお知らせを一番に大切にしていそう(笑)。「あなた、ちゃんと聞いた?」「あなた、ちゃんとみた?」って言ってまわっていると思う。

私にとって、決まった場のなかで、自分とある一定の関係があるひとが、幸せになることは大切なことなのかもしれない。みんな楽しいかな?みんな幸せかな?と気にしてしまう。自分が楽しいことをしたいという思いももちろんあるけれど、この人のこういうところが素敵!となると、特に気になる。その人に何かあったりすると、どうにかしたくなります。時には心配で軽く泣くくらい共感することもあるので、注意しています(笑)。最近は、壊れてしまって買い替えることになった会社のプリンターに感情移入して切なくなりました。これからも、ウニウニ考えながら、仕組みを整えたり、言語化してコミュニケーションをとったりすることで、それぞれが輝くおもしろい会社づくりにかかわることができたらいいなと思っています。

<ライターのつぶやき>
うだちゃんのことを「ほかほかのおでん」と表現したメンバーがいて、超わかる!と感嘆してしまった。個性的なメンバーを、大根・ちくわぶ・牛スジだとして、彼女は関西風のおでんのだし。関東風の濃い目ではなく、薄めのやさしいほう。最先端の教育現場の言葉でいうと、彼女自身がインクルーシブ(包括的な)で、排除・分断と真逆の方法を選ぶ。インクルーシブな場づくりは、何より時間がかかる。多様な個性それぞれの納得解、相互理解を丁寧に積み上げていく。違う価値観に悩むひと、ピラミッド型の組織で自分を隠しているひとは、うだちゃんに会いに来ればいい。温かい眼差しに包まれながら、スーーーッ!と気持ちが晴れやかになることは間違いない。
この記事を書いたひと : シムラケイコ
徳島出身。上京後クリエイティブディレクターとして都会に生き、現在は逗子に住み、原っぱ大学を運営する、小学生男児をひとり持つ母。変わり種がたくさんなミテモに興味を持ち、「ミテモなひと」コーナーのインタビューと執筆を担当。おとな・子ども関係なく、それぞれがワクワク心躍らせる瞬間に立ち会うのが好き。そんな瞬間をたくさん生み出すためにも、すべてのひとにとって心地よい場をつくりだせないか?と頭と心をめいっぱい使って日々試行錯誤。

スペース協力:
インタビュースペースとして、神田錦町にあるコワーキング&シェアスペース「Fusion_N」にご協力いただきました。落ち着いた、居心地のいい空間をご提供いただきまして、ありがとうございました。

ミテモHOMEROOMの最新情報をいつでもチェックできるSNSはこちら!
Twitter:@mitemo
Facebook:@mitemocontents

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?