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日本伝、倭人伝通読

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中国二十八史の倭人伝や日本伝などを精査したもの。
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記事一覧

明史で見る豊臣秀吉(倭の五王はデタラメ説を添えて)

 豊臣秀吉は日明戦争(文禄・慶長の役の別名)の当事者であるので、当然明史や朝鮮王朝実録に…

みし
2年前
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倭の五王と日本書紀

 倭の五王と言うのは日本史に出てくる南朝宋に使いをだしていた五人の大王とされる。この名前…

みし
2年前
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宋史日本國伝を読む(2)神代

 宋史日本國伝の「王年代紀」引用部分の神代部分を読んでみると以下の様になった。 初代:天…

みし
2年前
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宋史日本國伝を読む(1)

 編纂が酷いので有名な宋史だが日本國伝も例外ではない。その代わり、素の資料をそのままぶち…

みし
2年前
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欧陽脩と日本

 欧陽脩と言うのは北宋の政治家である。どちらかと言うと文学者と詩人としての方が有名である…

みし
2年前
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魏志倭人伝に於ける「食生菜」を考える

 三国志魏書第三十 烏丸鮮卑東夷伝第三十 倭人条に出てくる、「食生菜」は、定説では「生の…

みし
2年前
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倭の五王(その3)

 現在の発掘結果や史書類から人物が特定できるのか?  答え:できません。  これでは面白くないので突拍子もない仮説を立ててみました。  倭の五王は、倭姓を名乗っていました。当時日本で倭のうじを名乗っていたのは、倭国造(直)家です。倭国造家が倭国王を名乗っていたわけです。倭国造家は瀬戸内海の交易を抑えて居たと言われているので施設を送る能力をもっていたでしょう。倭国(やまとのくに)のトップだから王様。仮にシナの皇帝に突っ込まれても、嘘はついていないで押し切れる気がしてきた…

倭の五王(その2)

 今回のテーマは、倭の五王、遣使の背景。  結論を書くと、朝鮮半島の権益(鉄)を守る為で…

みし
2年前
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阿毎多利思北孤

 隋書の以下の文、どうよみとりますか? 俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌  姓アメ、名…

みし
2年前

倭の五王(その1)

 今回のテーマは以下の部分(実在は置いておく) 東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を…

みし
2年前