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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった

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近世大名は防衛のため城下の街路を、敵が容易に近づけないように屈曲させたという。しかし各地の城下絵図を見るときれいな碁盤目をしてる城下が少なくない。いったい、通説はどの程度、真なの… もっと読む
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「輝元 広島に城を移す」をねちっこく読む

これは『近世大名は城下を迷路化なんてしなかった』( https://mitimasu.fanbox.cc/posts/383229 )の宣伝をかねて、本編では取り上げなかった『陰徳太平記』の『輝元卿広島ニ於城ヲ移《ウツ》被事』をねちっこく読んだ一連のポストをまとめたものです。 このエントリは攻城団にポストした「ひとこと」をまとめ、加筆訂正しました( https://kojodan.jp/profile/1462/ )。 ソース1:明治44年の活字起こし ソース1:江戸時

浜松は本当に横に車が二挺立たなかったのか

これは『近世大名は城下を迷路化なんてしなかった』( https://note.com/mitimasu/n/nf71167fb5a63 )の補説です。 城郭入門書では「遠州浜松 広いようで狭い 横に車が二挺立たぬ」という俗謡を引用して、防衛のためわざと道幅を狭くした根拠とされる例が多くみられます。この俗謡は事実だったのでしょうか?検証してみました。 このエントリは攻城団にポストした「ひとこと」をまとめ、多少の加筆訂正を行いました( https://kojodan.jp/p

城下町古地図の目抜き通り起こし

これは『近世大名は城下を迷路化なんてしなかった』( https://note.com/mitimasu/n/nf71167fb5a63 )の補説です。城下絵図の目抜き通りを可視化し、大名が城下を迷路化しなかった都市はこんなにあるよ!と示したものです。 別の言い方をすると、筆者は何の実績もない人間なので、どんな内容かより誰が言ったかを重視するタイプの人には、なかなか目を向けてもらえないので、地道に証拠でブン殴っていく、という作業のまとめです。 つまりは本編の宣伝をかねた、主張の

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(27) 第6章 総括:街路変化は五業循環

# 第6章 ~総括:街路変化は五業循環~## 6.1. 道が悪くなる理由は、城下町ごとに様々### 6.1.1. 調べてみたら、身もふたもない結論はい、一同、脱力~~~、ズッコケ、着席。楽にしてください。 荻生徂徠が築城についてなんだかんだ述べたあと、 「気の向くままに好きにやればよい」 という、何の役にも立たない結論を出してた、あのやるせなさを、まさか自分が披露する羽目になるとは。 そうなんですよ。各城下町ごとに、事情がさまざまで、すべてに適用できる一行理由なんか、な

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(26) 第5章 5.5.~5.6. 囲郭が役目を終える近世

## 5.5. 近世以後:都市民による都市民のための都市### 5.5.1. 人間のための都市へ向かうルネサンス理想都市■ 中世で疲弊したヨーロッパの復活 ふう。疲れました。そもそも5章は、1~4章で証明した 「近世大名は城下町を迷路化なんかしなかった」 という事実を補うための、まとめに向かうための比較対象を事実整理するのが目的だったのに。ただちょっと軽く海外の事例を紹介するだけのつもりで書き始めたのですが。 調べれば調べるほど、定説に矛盾が見つかって、逆に5章のために

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(25) 第5章 5.4.5. 都市が方格設計を求めた真の理由

### 5.4.5. 幅広な大路こそ防衛のための街路■ 結論は再確認される事実――都市戦とは放火である いよいよ、謎解きとまいりましょう。 手戻りになりますが、事実の解明のためには話をいったんヨーロッパに戻します。 そもそも、中国と同じく温帯が多く、北方騎馬民族の影響下にあったヨーロッパの城郭都市が中国同様の巨大・北闕(ほっけつ)・正方位・中心軸プランでないのはなぜなのでしょうか? 逆に言えば、なぜ中国の都城はヨーロッパのように石造り・コンパクト・非正方位にならなかっ

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(24) 第5章 5.4.4. 中世の方格設計都市③

### 5.4.4. 朝鮮と日本の都城制都市たち■ 非北闕で不定形な異端児――シルラ・ワンギョン(新羅王京) 日本へ飛ぶ前に朝鮮半島の三国時代を征したシルラ(新羅)の首都、シルラ・ワンギョンを見ます。 ここも日本の平城京や平安京と同じく碁盤目を持った王都でありました。 古文献に、そのように碁盤目型への都市改造を行ったと記されており、発掘調査前に推定した復元図は平城京や平安京の兄弟のような正方形に近い都市を想定していました。 ところが実際の発掘調査から確認された条坊(中

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(23) 第5章 5.4.3. 中世の方格設計都市②

### 5.4.4. 中国における中国式都城制の変遷■ 春秋・戦国時代の城郭都市は周の理想から離れていった さて。古代中国においては商(殷)の時代に方形プランと中心軸プランが始まり、西周の時代に碁盤目街路、すなわち方格設計が都市の理想形態とされたことがわかりました。ここでもやはり、方格設計は車輪が伝達したあとだったのです。 周王朝が絶頂だった時代には、地方都市も、周の理想とした都市計画を自分の都市に用いたようです。これはチーフー・グーチァン(曲阜故城)のレイアウトから推

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(22) 第5章 5.4.~5.4.2. 中世の方格設計都市①

## 5.4. 中世:ローマ植民都市と中国都城制### 5.4.1. 方格設計都市の受容と変遷ギリシアと中原(ちゅうげん)。ふたつの地域で、方格設計都市が、ついに規格化されました。テンプレとして成立しました。 これが、もっとも欠点の少ない都市設計術であったなら、いまごろ世界の都市はすべて、碁盤目で整形されていたことでしょう。それが古代中国人の望みでした。 が、21世紀の現在、世界はそうなっていないようです。なるほど大都市、それも近代以降の都市計画では方格設計が採用され、そ

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(20) 第5章 5.2.5.~5.2.7. 方格設計都市の誕生②

### 5.2.5. 古代中国:農耕開始は早く方格設計採用は遅い■ まず長江流域で稲作が始まった メソポタミアやインダス川流域では遅くとも紀元前3000年頃には方格設計の芽生えが見られました。古代中国ではどうでしょうか? 中国大陸には北京原人で知られる通り、初期の人類が定住しました。70万年から80万年前のことです。 このスパンで考えるとつい最近ということになりますが、ほんの今から一万年前、紀元前8000年頃には長江流域で稲作が始まったのがわかっています。 これはな

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(19) 第5章 方格設計都市の誕生①

# 第5章~都市はなぜ碁盤目街路に向かうのか~## 5.1. 世界の都市と比較する意味そもそも、街路を屈曲させることは、防衛上の利点になりうるのでしょうか? 前章まででさんざんディスっておいて、何をいまさら、しらじらしい。……と我ながら思います。 思いますが、疑問よ、そなたは美しい。 皆さんは不思議に思いませんか? 街路を屈曲させるのが防衛において有利なら、なぜ、世界にはそうなっていない、むしろ碁盤の目の城郭都市が数多く存在するのか。 中国の都城制やルネサンス~ゴシ

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(1) 第1章~第2章

 * 第1章 城下は本当に迷路か?  * 第2章 概要、用語の定義、調査手順の説明  (イマココ) (2)https://note.com/mitimasu/n/nc0c3134c67b5  * 第3章 地図調査――浮かび上がる、言うほど迷路じゃない城下町   * 3.1. 地図の出典   * 3.2. 交差点種別の定義について (3)https://note.com/mitimasu/n/n1b9c8ce647d2  * 3.3. 第一印象  * 3.4. 地点別調

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(2)第3章3.1.~3.3. 地図調査について

# 第3章 地図調査――浮かび上がる、言うほど迷路じゃない城下町## 3.1. 地図の出典本章の調査において、城下町の地図は正保城絵図を用いました。 出典: 正保城絵図 - 国立公文書館 デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0300000000/0305000000_6/00 非城下町の地図は明治~昭和前期の国土地理院地図(旧参謀本部陸

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(3) 3.3.~3.4.1. 東北編

## 3.3. 第一印象交差点の定義は終わりました。では、いよいよ地図調査の結果を見ていきます。 「全選手入場ッ!!!!」 ■ 城下町 弘前城 盛岡城 出羽本庄城 久保田城 米沢城 山形城 仙台城 棚倉城 二本松城 白河城 会津若松城 水戸城 古河城 小田原城 村上城 新発田城 長岡城 掛川城 大垣城 膳所城 桑名城 松坂城 大和郡山城 岸和田城 新宮城 篠山城 明石城 津山城 岡山城 備中松山城 福山城 広島城 松江城 丸亀城 大洲城 徳島城 高知城 小倉城 臼杵城 府