Ayano hirota

対話者/エッセイスト 「私なんて」と思う人生と「私でよかった」と思える人生。どちらも歩…

Ayano hirota

対話者/エッセイスト 「私なんて」と思う人生と「私でよかった」と思える人生。どちらも歩んだ「今」の想いを綴ってます。

マガジン

  • 備忘録/映画

    ただ観るだけに終わらず、その直後なにを想ったか。それは、観るタイミングによって違うものだから、自分の記憶を記録していくための場所。もし同じものを観たなら「あなたは何を想った?」コメントで教えてくれたら嬉しいです。

  • 人生の節目に遺した想い

    「人生の節目に想いを遺すcorelight interview」 私の願いから生まれたサービスを、自分でもちゃんと味わいたくて。もうひとつの、私のSTORY。

最近の記事

  • 固定された記事

かぞく写真は、全員揃って撮らないと意味がないと思ってた

前提として、私はかぞくが大好きだ。この30年の月日の中にはいろんなことがあったけれど、それでも父方、母方の従姉妹を含めた親族と毎年集りには欠かさす参加しているほど(むしろ楽しみにしているくらい)、私にとってかけがえのない存在であり、大切に関係性を育み続けたいという想いがブレることは一度もなかった。 我が家のお正月には、親戚が一同に集まって食事を囲む。それが毎年の恒例行事だけれど、年を重ねるごとにみんなが集まることは難しくなってきた。 特にここ数年は、祖父も叔父も他界。「今

    • そこにさえ行っちゃえば、あとは自分が答えを見つけてくれる

      タイトルが全てなのだが、長く話してみると。 友人の結婚式に参列するという、すごく幸せな予定を明日に控えている私は、せっかくならと「好きな人たちに会いに行く旅」と題して新幹線に乗った。 時期はGW真っただ中。遠出でもするのだろうか、大きなキャリーを見かけることもあれば、親子で楽しそうに歩く家族の姿も歩く旅に目に入る。 気が付けば数カ月ぶりの新幹線。関東から関西に向かう道中の車窓からは、静岡の美しい緑や川が見え、それだけで心がウキっとした。 (やっぱり緑に囲まれた場所が好

      • どんな「私」でも、何かを守ろうとしている大切な存在

        私は二重人格どころじゃなくて、100重人格くらいあるんじゃないかとよく思う。 例えば ある日の朝、「よしやるぞ!」ってエネルギーみなぎるやる気満々の私(通称:やったるぞうくん🐘)の時と 雨の気圧に負け、ポンコツ具合が増してどうにも力の入らない私(通常:だるだるスライムちゃん🫠)は、同じ私なのに全く違う人格だし 完璧にしたくて妥協を許さない、特に仕事や特定の時に現れる私(通称:きっちりメガネさん🥸)も 「なんでもいいじゃん〜大丈夫〜」と思う私(通称:仏さま👼)もまた、

        • haishopソーシャル映画祭「草間彌生∞INFINITY」を観て衝撃を受けた話

          先日3月25日、横浜にある KITCHEN MANE さんにて開催された haishopソーシャル映画祭 。そこで【草間彌生∞INFINITY】が上映されました。 終始圧倒されたドキュメンタリー映画。今回はその感想と、この機会をつくってくださったThe Doorless Art Okinawa さん、そして haishopさんについて綴りたいと思います。 私と草間彌生さんとの出逢い 毒々しい色使い。気が遠くなるほどの点。 私が草間彌生さんの作品をはじめて見た時の感想は

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          『MISSION:JOY 困難な時にこそ幸せを見出す方法』を観て、離婚した理由を思い出した話

          2024年に入ってから、月に1本は映画を観るぞ!と決めていた。アウトプットしたいものは山ほどあるけれど、まずは今日観た最新のものから備忘録として綴ろう。(いつもは完璧に、綺麗にと思うけど、今回は本当に備忘録で!) MISSION:JOY 困難な時にこそ幸せを見出す方法 この映画と出会ったきっかけは、大好きな近所のミニシアターでの掲示板。初めてその映画館に訪れた時「なにこの可愛い空間…!!」と感動したことを覚えている。 ここで上映される映画も、大手の映画会社では上映されな

          『MISSION:JOY 困難な時にこそ幸せを見出す方法』を観て、離婚した理由を思い出した話

          最近の私は、見ている世界を捉えなおそうとしている(のかもしれない)

          今日はちょっと真面目モードに。(こういう書き出しの仕方って、自分を守ろうとしてるよね…。それくらい、何か大切なものを綴ろうとしているんだろうなぁなんて思いながら、一旦誰かに見られるとか関係なく書いてみる。) 私はよく「人は、無意識のうちに”自分の欲しい答え”を集めている」と思っていて。これはもしかすると、よく聞く「RASの法則」に近いのかもしれないなぁとも思う。 いつからだったかは定かではないけれど、定期的に「自分が今、何を集めようとしているのかキーワードを書き出す」とい

          最近の私は、見ている世界を捉えなおそうとしている(のかもしれない)

          何に慣れるかで、今の自分が創られる

          「私は料理が苦手だ」と言うと、大体の人からは「え、意外!」という言葉が返ってくる。今思えば、このやりとりは遡ること小学生の頃から始まっていたように記憶している。 これは自慢でもなんでもなく、むしろコンプレックスだったのだけれど、見た目から「なんでもできそう」と言われることが多かった分、出来ないと分かると途端に期待を裏切るような気持ちにさせてしまうのが申し訳なかった。し、それを挽回しようという気もさらさらないので、このやりとりはその後も長く私について回るのであった。(この現象

          何に慣れるかで、今の自分が創られる

          取りこぼすのではなく「今はまだ」遺せないだけなのかもしれない

          「言葉はいつも、大切ななにかを取りこぼす」 いつもどこかで気にしていた言葉を、不意に人から発せられたある日。 それまでの私は、この言葉に対してネガティブなイメージを持っているというよりも、そういう場合もあるよねというような感覚を持っていた。 感じたもの全てを言葉にすることは到底難しいし、むしろ言葉にしなくても良いことも沢山あると思っている。 一方で、「これは言葉にしておきたい」だとか「知りたい、確かめたい」という時、何か確信めいた根拠のような、確かなものとしてカタチと

          取りこぼすのではなく「今はまだ」遺せないだけなのかもしれない

          大切な人の大切な瞬間に立ち会いたいから、ゆっくりと、長く続く道をゆく。

          ふと、1年前にインタビューをしたはるちゃんと当時の話をする機会があった。 「いつかお願いしたいと思ってて、その節目の日が来ました!」 その嬉しいメッセージが届いたのは、2023年、年が明けてすぐのこと。人生で初めて、自分の想いをカタチにした「人生の節目に想いを遺すcorelight interview」をスタートさせてから1年が経とうとする頃だった。 それまでの私は、自分のサービスなんて作ったこともなければ、会社員以外の働き方もしたことがなかった。でも、「今しかない、今

          大切な人の大切な瞬間に立ち会いたいから、ゆっくりと、長く続く道をゆく。

          「最近気になることは?」という問いに「着たい服がないこと」と答えたわたし

          あえて書くほどでもないし、人に言うほどでもないけれど、最近着る服がないことが気になっている。去年の夏ぐらいからの出来事だったと思う。 正確に言えば着る服はあるし、それらも自分が気に入って迎え入れた子たちばかりだった。 ここ数年、体重は一定の数字を記録している。髪型だって外見だって大きく変わったようには感じない。はて、なぜだろうと考えた時、心当たりが2つ見つかった。 ひとつめは、自分の内面の変化。 自分のなかで人生のルール変更が行われ、今までと違う選択をするようになった

          「最近気になることは?」という問いに「着たい服がないこと」と答えたわたし

          道草をして出逢ったふたりと私/michikusa in 代官山蔦屋書店 haruka nakamura × 大給亮一(sundaysfood)

          「雪降るんだって」 「えっ?!うそっ!!」 楽しみにしていたその日に雪マークがついていることを知ったのは、開催日3日前のことだった。 暖冬だね、春みたいだねとみんなで話していた2023年から2024年にかけての冬も、暦が大寒を迎えた頃にはすっかり冬本番の寒さになっていた。でも、雪マークはこの日が初めてで、なんてロマンチックなタイミングなんだろうと思った。 なぜなら、待ち焦がれた haruka nakamura さんと大給亮一さんの「道草」の日だったからだ。 遡ること一

          道草をして出逢ったふたりと私/michikusa in 代官山蔦屋書店 haruka nakamura × 大給亮一(sundaysfood)

          分からないと落ち込んでいた自分から、分からないを楽しめる自分へ。

          今日、「あ。今の自分、好きかも」と思える時間があった。それは、分からない問題に直面した時、必ずと言っていいほどに落ち込んでいたのに、楽しめるようになっている自分の変化に気付いた瞬間だった。 これまでの(厳密に考えると3年前までの)私だったら、「分からない」と思った次の瞬間に湧いてくる感情は、自分に対してものすごく厳しいものだった。 「え、そんなことも知らなかったの?(カッコ悪いなぁ)」 「私って本当にダメな人だなぁ」 今思うと、”誰がそんなこと思うの?”ってレベルです

          分からないと落ち込んでいた自分から、分からないを楽しめる自分へ。

          布団から出たくなかった私を起こしてくれたのは

          「うわっ!もう9時じゃん……。やらかした。」 時計の針が、何度見ても9時であることを示している。早く設定しているわけでも止まっているわけでもなく、日本時間の朝9時である事実には変わらない。 12月半ば。暖冬と言われながら、しっかり寒く冷え込むようになったここ数日の朝は、自分のダメダメさに落胆しながら目が覚める。別に何時に起きようが誰にも迷惑はかけないのだけれど、何となく、眠りにつく前の自分のなかでは、翌朝6時に起床、6時半に読書したりストレッチしたり、ほっと一息つく時間や

          布団から出たくなかった私を起こしてくれたのは

          「何もない人生」なんて1つもないという事実

          よく「私の人生、普通だよ」って耳にすることがあった。確か、小学生の頃だったかな。 幼いころからよく、両親の出掛ける先に率先してついて行くタイプだったので、本当に老若男女いろんな人と出会ってきた。高校生のお姉さんから、会社員の方、自営業をされている方もみえれば、専業主婦をされていたり、定年退職後のおじいちゃんや、○○に住んでる○○さん、といったような感じ。 その人達は、私にとってはみんな「面白そう」な人だった。 ある人は、最近はまっている自然食品の話をしていた。 無農薬

          「何もない人生」なんて1つもないという事実

          「どうして」ばかり考えて「どうしたら」を考えていなかったから、いつまでも次の一歩が踏み出せなかったんだよ。

          今思うと「私なんて」時代、私の思考はいつも「どうして」と考えていた気がする。 何かが起こると「何故そうなった?」と、次の対策のために、予防のために、その原因ばかり考えていた。 でも、原因を考えれば考えるほど、矢印は過去ばかりを向いて、ちっとも未来を向きやしない。ましてや「今」を置いてきぼりにしていることにさえ気づかなかった。(考えることが悪い、というわけではなく、そこに時間を掛けすぎて次の一歩が踏み出せない状況をつくっていたなぁという話。) 「あぁ、なんだか最近、ちゃん

          「どうして」ばかり考えて「どうしたら」を考えていなかったから、いつまでも次の一歩が踏み出せなかったんだよ。

          「結婚しないの?」って、なんで挨拶みたいに言えるんだろう?

          28歳で離婚した。 私のなかでは「結婚生活を卒業した」卒婚だと思っているし、別にネガティブな経験でもないから隠すこともしない。 そして、これは前にも書いたかもしれないけれど、そもそも「バツイチ」とかの呼び方も好きじゃない。「結婚生活経験者にレ点(☑)」にしてくれない?せめて、と思ってる。なによバツって。 相手の家族の事は今でも好きだし、感謝しているし、連絡を取ることはないけれど、あの経験はあの時の私にとって必要だったなって、財産だなって心から思えている今に感謝してる。

          「結婚しないの?」って、なんで挨拶みたいに言えるんだろう?