「結婚しないの?」って、なんで挨拶みたいに言えるんだろう?
28歳で離婚した。
私のなかでは「結婚生活を卒業した」卒婚だと思っているし、別にネガティブな経験でもないから隠すこともしない。
そして、これは前にも書いたかもしれないけれど、そもそも「バツイチ」とかの呼び方も好きじゃない。「結婚生活経験者にレ点(☑)」にしてくれない?せめて、と思ってる。なによバツって。
相手の家族の事は今でも好きだし、感謝しているし、連絡を取ることはないけれど、あの経験はあの時の私にとって必要だったなって、財産だなって心から思えている今に感謝してる。
…で、ここからがタイトルの件。
さすがに離婚したての頃は、理由も理由だったから(男性不信になってもおかしくない…言ったら、極端かもしれないけれど)この言葉は言われなかったけれど、それでも1年、2年経つ頃には
「再婚しないの?」とか、「いつか再婚できるよ絶対!」って言われることも増えた。しかも、距離感が近くない人に限って。
分かってるよ?悪意がないのは。
でもさ、そもそも「結婚することが幸せの条件」とか、なんか、失礼だなと思ってしまうことがあるんです。
これは、あくまでも私の価値観で、何が良いとか悪いとかが言いたい訳でもない。(し、結婚も悩んだし、もちろん離婚もちゃんと考えた末の結論だから、いい加減な気持ちで簡単に決めたことじゃない。という前提も伝えておく。)
幸せのカタチは人それぞれだし
そこに「結婚」という選択肢がある人も、ない人もいる。
その人の人となりが分からないのに、自分の価値観を無意識に当てはめてしまうことには、時にタイミングや心理状態によっては、言葉を選ばずに言うならば「ただの暴力」だと思う。
そこには、もしかしたら「幸せになって欲しいから」とか「幸せを願って」言っている想いもあるかもしれない。それを感じることもある。だから、一時期はつらいと思ってしまった。こんなことを思う自分は、なんて悲しいやつなんだって。なんて冷たいやつなんだって。
でも、そんな私も
今は、一周回って、堂々と「今の私は」と気持ちを伝えられる。
過剰に反論することも、その言葉に一喜一憂させられることもなくなった。
それは、自分が誰に何を言われても、自分の確かにある気持ちを信じられるようになったから。
それでも敢えて、あの時の悲しさや、もどかしさを思い出して、敢えてこの記事を書いているのは、その言葉に傷ついている人がいたから。しかも、私の大切な人が。
いいんだよ、悲しんだって。
あなたは何も悪くない。
誰かの幸せの価値観に、定義に、あなたを無理にあてはめることはない。
自分が幸せを感じられる瞬間を、あなたがちゃんと知っていれば、大丈夫。
「私もその経験あるから分かるよ」そんなことが伝えたいんじゃない。ただただ、自分の感じられている幸せを、信じてあげて欲しい。そう言いたいんだ。
人生で得た体験は、全て誰かの役に、そして自分の糧に。お金も、時間も、感情も。生まれるものをなにかのカタチで循環させていきます🕊